見出し画像

持論・公論―【後清の習武帝と国連の安保理】稲羽兎迅速報


持論・公論―【後清の習武帝と国連の安保理】稲羽兎迅速報

 

 

 

 バイデン大統領は一昨日、台湾の防衛を明言し、バイデン氏の対中・対台方針に変化が見られ、米国や日本でビッグニュースとして報じられているが、そもそも習近平氏はどうして台湾にこだわるのか、そして今後の中国と台湾情勢はどうなるのか、中国という謎の多い国を紹介しながら、独断と偏見で論じてみたいと思います。

 

 

一、安保理の常任理事国

 

 みんなさんご存知の通り、1912年1月1日、南京で中華民国が樹立され、清の最後の皇帝宣統帝(溥儀)は2月12日、正式に退位し、ここに清は276年の歴史に幕を閉じ、完全に滅亡しました。

 その後の中華民国だが、国民党と共産党の内戦で実質中国のトップである蒋介石氏がほとんどの領土を失い、平家政権みたいにあっちこっちに流転し、中華民国は最終的に台湾という島に逃げ込みました。

 現在、中国の教科書では中華民国は1949年に滅亡したが、実際のところ、中華民国はまだひそひそと生き残っており、滅亡しておりません。

 

 言うまでもないが、中華民国がいまだに滅亡していないのは米国が守ってくれたお陰です。では、どうして中華民国(台湾)を守らないといけないのか大きく2つ理由がございます。

 

 1つ目の理由は米国の世界における覇権と利権を守るためです。つまり政治や軍事において他国の追随を許さない世界一の地位を維持し、経済において際限なくドルを刷り続けるという「打ち出の小槌」を維持するため、台湾を守っているのです。逆に考えれば、中国が米国を排除し、人民元を際限なく刷り続け、名実ともに世界一になりたいのであれば、先ずは台湾や尖閣諸島を占領し、米軍との直接対決で勝つ必要があり、これは習近平氏にとっては避けて通れない関門です。

 

 中華民国(台湾)を守らないといけない2つ目の理由は国連憲章です。実は英語版の国連憲章の原文では未だに中華民国が安保理の常任理事国になっています。常任理事国と言えば、安保理で拒否権を行使できる絶対の権力を持っています。今現在、中共が常任理事国になっているのは原文を改正せず、解釈をねじ曲げるというあらわざを使ったためです。それで可能性は極めて低いのだが、何らかの事情で中共が滅亡した場合、中国はもちろん大混乱が起き、下手したら戦国時代に逆戻りという最悪の事態も起きるかもしれません。米国はこの最悪の事態を想定し、大混乱を未然に防ぐために中華民国(台湾)という裏の手を予め用意し、いざという時、中国本土の統治を中華民国(台湾)に委託し、安保理の常任理事国に復帰させる算段です。〔続通鑑長編、宋太祖紀〕では「天下は一家なるも、臥榻の側、豈に他人の鼾睡(かんすい)を容(ゆる)さんや」というくだりがあり、我が寝床で他人が眠ることを許さないという意味ですが、習近平氏は独裁者だから、中華民国(台湾)というライバルを潰さないと気が済まないわけです。

 

 ちなみにこの国連憲章の改定は国連総会で3分の2の賛成を経て、安保理常任理事国の5ヶ国がそれぞれ自国で憲法改正と同じ手続きを経て、改定された国連憲章を批准しないといけませんので、国連憲章に書かれている安保理の常任理事国を、中華民国から中華人民共和国に書き換える自体はほぼほぼ実質不可能であると言えます。

 

 

二、後清の武帝

 

 上述の通り、清が滅亡し、中華民国もほとんどの領土を失い、中共が中国で政権を樹立し、今日に至るわけですが、この中共が1949年に政権を樹立した際、なぜか滅亡した清をパクって中華人民共和国という新しい国を作ったので、現在の中華人民共和国は中国のネット住民の間で自虐的な意味合いで「後清」と呼ばれ、同じく自虐的な意味合いで習近平氏は中国のネット上で習武帝又は太祖武皇帝と呼ばれている。曹操や劉備、孔明が登場する三国志は後漢の天子がまだ存在し、曹操は後漢の天子から丞相という役職に任じられ、劉備は益州牧、孫権は揚州牧に任じられ、それぞれの領地を統治する正当性を得ているのだが、中共も清の制度をまるごとコピーすることで正当性を得ようとしたかもしれません。

 

 民間人は皇帝を名前で呼んではいけないので、習近平氏の称号は武帝とし、台湾を占領し天下を統一した初代の皇帝だから太祖武皇帝という称号に相成りました。

 また、清の皇帝の御所―「紫禁城」では元々玄武門という門があったが、清の康熙帝のご本名は「玄燁」だから、玄武門という門は無理やり「神武門」に改称されました。

それで恐れ多いから習近平という皇帝のご本名は使用できず、中共は後清なので清の神武門にちなんで太祖武皇帝という称号になったわけです。

 

 ちな中国では滅亡した清を「前清」と呼ぶことがあるが、「京都の人が先の戦争というとき、応仁の乱を指す」の「先」と同じ意味合いで、「先の清」という意味であり、後清と関係ありません。

 

 

三、清の政治と司法制度(概説)

 

 上述の通り、中共は実質的に後清だから、清の政治と司法制度は中共とほぼ同じで、皇帝の下に軍機処という最高権力機関があり、軍機処自体は宰相みたいなもので、宰相の権力を3〜6名の軍機大臣に分散させ、下剋上を未然に防ぐシステムです。

 これに対し中共の最高権力機関は中央政治局常務委員会で、7名の政治局常務委員が中国を統治しています。中共政権の二番手は首相の李克強であるが、宰相(軍機処)の7分の1の権力しか持っておらず、習武帝に意見するや習武帝と対抗するほど強い権力は持っていないわけです。繰り返しになりますが、中共は実質的に後清だから、定員3〜6名の軍機大臣という政治制度をコピーし、中央政治局常務委員会の人数が7名と定めました。

 

◯中国の霞ケ関

 上述の清の軍機処は当時紫禁城の中のボロい一軒家に設置されたが、中共の最高権力機関―中央政治局常務委員会の所在地は未だに紫禁城の中の「中南海」にあり、元や明清の皇帝たちが作った人工的な池であったため、「中南海」と呼ばれたゆえんです。

 清の紫禁城の中で勤政殿という皇帝しか使用できない建物があり、勤政殿とは「皇帝は政務に勤べし」という意味ですが、今現在、中央政治局常務委員会はまさにこの建物を使用し、毎日皇帝になったつもりで政務をこなしております。

 ちなみに中華民国は最初から最後まで紫禁城を庁舎として使用していないから滅亡したという説もありますが、実際はまだ滅亡しておりませんキリッ。

 

 

◯清の地方自治システム(概説)

 

 繰り返しになりますが、中共は後清だから清の地方自治システムも中共とほぼ一緒です。

 

 清の地方自治は明代の両京と十三布政使司を基本的に踏襲し、山東・山西・河南・陝西・浙江・福建・江西・広東・広西・湖広・四川・雲南・貴州の13省を置き、順治二年(1645年)に北直隷を直隷省に、南直隷を江南省にし、康熙三年(1664年)、湖広を湖北と湖南の二省にし、康熙六年(1667年)、江南省は正式に江蘇と安徽の二省にし、康熙七年、甘粛省が設立され、これによっていわゆる「内地十八省」が定まりました。省のトップは元々布政使であったが、皇帝は中央集権体制を強化するため、しばしば自分の側近や中央省庁の大臣を地方に駐在させ、無理やり省のトップー布政使の上司を作り、その後常態化し、布政使の上司である巡撫が実質的なトップとなりました。巡撫に防衛大臣なみの権限を与え、皇帝の側近の側近に就任させたのが総督です。

 そのため、後清―中華人民共和国では省長や市長は布政使だから実質的なトップではなく、二番手であり、副知事です。巡撫や総督にあたる省のトップは中国共産党省委書紀、例えば広東省のトップは中国共産党広東省委員会書記で、広東省長が実質的副知事であるというカオスすぎるシステムになっています。

 

 

四、習近平氏の今後の動向

 上述のように中華人民共和国の最高権力機関は紫禁城の中の勤政殿がオフィスになっている中央政治局常務委員会ですが、メンバーは皆、地方自治体のトップを歴任し、政治手腕、考え方、能力が当時(十数年前)の軍機大臣に評価され、かつ派閥争いに勝って生き残った人々です。

 

 

常務委員会現在のメンバー(後清を統治する7名の軍機大臣)


序列一位 習武帝(太祖武皇帝):廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、福建省長、49歳で浙江省の党委員会書記、その後上海市の党委員会書記を歴任。

 

序列二位 李克強:河南省党委員会副書記、河南省副省長、省長代理を経て、河南省省長兼省党委副書記・省政府党組書記、河南省党委書記(河南省省長を兼任)、遼寧省党委書記を歴任。

 

序列三位 栗戦書:西安市党委書記、陝西省党委副書記、黒竜江省政府党組副書記、黒竜江省副省長、黒龍江省省長代理、黒龍江省省長、貴州省党委書記を歴任。

 

序列四位 汪洋:安徽副省長、朱鎔基内閣で国家発展計画委員会副主任、温家宝内閣で国務院副秘書長。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員を兼任。2003年3月、温家宝内閣の元で国務院副秘書長となり、国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員などを兼任。2005年重慶市党委書記、2007年12月から広東省党委書記を歴任。

 

序列五位 王滬寧:党中央政策研究室主任、復旦大学教授を歴任。 江沢民・胡錦涛・習近平政権を理論面で支えたことから「三朝帝師」(皇帝の先生)の異名を持つ。

 

序列六位 趙楽際:青海省省長補佐、省財政庁庁長、そして副省長。省副書記、西寧市市委員会書記、代理省長、青海省省長、省委員会書記、中央組織部長を歴任。

 

序列七位 韓正:上海市人民政府副秘書長を経て市人民政府総合経済工作委員会副書記、人民政府証券管理弁公室主任、中国共産党上海市委員会常務委員と上海市人民政府副秘書長を兼務し、中国共産党上海市委員会副書記と同市人民政府市長、中国共産党上海市委員会書記を歴任。

 

 

 逆に言えば、習近平氏(太祖武皇帝)は所詮、一知事の経験者に過ぎず、曹操(魏武帝)、劉備(昭烈帝)や孫権(呉大帝)、孔明(武郷候)ほどの統率、武力、知力、政治力は持っていませんので、後ろ盾のロシアにもう頼ることができない以上、習武帝が台湾侵攻に踏み切る可能性は低いでしょう。

 

 

 

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?