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雲のような生き方〜留学を決めた時の話〜

「空のあり方と生き方」

おそらく、「ボク」という人間は、随分と早い時期にある程度出来上がっていたんじゃないかと思う。大人はよく、子供を見下すというか「子供だから」という理由で話をまともに聞かないことが多々ある。子供のいうことや考えをまともに聞かずに、大人である自分の正しさを強要しがちだ。

しかし、ボクの場合は、幼い頃からある程度の「道理」という物を確立させようとする姿勢が身についていた。特に空の在り様や天気に、「道理」というものの片鱗を視ていたような気がする。

中学3年生の頃のボクがアメリカの高校に進学することを決めた時も、空の在り方に助けられた。ということで、今回はボクが留学することを決めた時のこと、そして「ボクと空の関係性」についてお話していきます。

「ボクとソラ」

あれは確かボクが小学4年生の頃。PS2用のソフト、「トロと流れ星」というゲームを購入し遊んでいました。トロ、という白猫のキャラクターを知ってる人も結構いると思います(ちなみに最近「トロとパズル」というアプリゲームがリリースされました)。

このトロと流れ星というゲームは、トロという猫型チャットボットと対話していきながらストーリーが進む、という内容になっています。トロが色々とボクについて尋ねてくるのですが、質問の1つに「将来なりたいもの」というのがありました。ボクはそれに「雲」と答えました。そうです、あの、青い空に浮かぶ白い雲です。(ちなみに、トロは将来人間になりたいらしいです。)

「将来なりたいもの」という問いに「雲」と答えた当時のボクは、こう考えていました:

「雲になれば、どこへ行くか考えずに風に吹かれるままに何処へでも行ける。自分の行く先は風の気まぐれに預けて、自分は広い世界を眺めながらゆったりと回遊していればいい。もしかしたら辛い事や苦しい事があるかもしれないが、風が止むことはないので、ただ吹く風の流れのままにすれば大変なこともいつかは過ぎるだろう」

諸行無常とはまさにこのことではないでしょうか。方丈記の冒頭に出てくる「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という一文にも通ずる考え方です。

時は流れ、現在、24歳目前のボクは悩みや戸惑いについて考えています。悩み事や不安ばかりで行動が伴わないのです。そんな時にネットである記事を見つけました。そこには「師を見つけ、その師が貫く道理に従うべき」という内容が書かれていました。これはインド哲学でいうところの「グル」ということではないでしょうか。グルというのはサンスクリット語で「重い」とか「重要」という意味があり、つまりは「重きを置く人」といった意味合いになります。

この記事を読んでボクは、ボク自身がしたがっていきたい「道理」ということについて考えました。そこでパッと頭に浮かんだのが、深く青に染まる空を背景に、淡く浮かび立つ雲の流れでした。大きな不安や悩みに立ち止まるよりも、大きな流れに身を委ねて広い世界に生きたい、そう思いました。

「雲の流れと人生の歩み」〜留学決意の瞬間〜

そしてハッと思い出しました、中学3年生のボクが昼休みの校庭に寝転がり空を眺めながら留学することを決意した時のことを。

あの日は確か、これ以上ないというくらいの日本晴れでした。そんな空を眺めていると、ふと、淡い雲がゆっくりとカタチを変えながら流れていくのが目に入りました。

そして、「絶えずカタチを変えながら進んでゆく雲も、行き先はわからずとも何処かへ進んで行くのだなぁ」と思いました。すると、留学というものに対する不安は水蒸気のようにスゥっと消えて行くのを感じました。

そして蒸発した不安の後に残ったものは、「期待」「興味」「好奇心」といったもの達でした。

「不安を好奇心に変える」

未来や将来のことはわかりません。なぜなら未来は「未だ来ていない」もののことだからです。つまり、将来を気に病むということは、ある意味、存在しない物事について妄想し、自分で作り上げた妄想に恐れおののいているだけ、と言えるかもしれません。

もちろん、苦しい現在があって「この先大丈夫かな」という不安が起こることはあります。しかし、そういった不安は今現在のことであり、未来のことではありません。おずおずして、あれこれ気に病んで行動できずにいるだけでは、物事は始まらないし動き出しません。現状に対する不安や恐怖におじけづいて何もしないでいるよりは、これから起こるかもしれない楽しいことや、より良いことへの期待を元に、精神的なエネルギーを生み出した方がいいと思います。

つまり、「これから何が起こってしまうのか」ということに対して不安を持つのではなく、「次は何が起こるんだろう?」という新しい物事への前向きな興味や関心を持つことで、「不安ではなく好奇心をもつ」という道理を、ボクは雲の流れに見出したのです。

「留学への不安と期待」

ここで、「不安」と「期待」は表裏一体の関係にある、ということを話したいと思います。

留学を控えたボクは不安と期待の両方が頭にありました。「大丈夫かな」と思う一方で「楽しみだな」という思いもありました。アメリカには一度も行ったことがなかったので、まだ見ぬアメリカ生活に不安と興味はごちゃ混ぜでした。しかしトータルで見ると、不安よりも興味と期待が勝ち、なんだかんだで8年間アメリカにいることになります。

具体的な話をすると、留学することの不安は、例えば:

・異文化に馴染めるかどうか

・友達はできるか

・一人でやって行けるか

その反対に、留学することの期待は:

・新しい文化を学べる

・日本では出会えないような人と交流を持てる

・自己管理をできるようになる

などが挙げられます。

お気づきになったかもしれませんが、上に挙げた不安と期待の例は、同じ内容ではありますが、観点が違います。例えば「異文化に馴染めるかどうか」という「不安」と、「新しい文化を学べる」という「期待」は、表裏一体であり、どちらも「新しい生活様式の中で暮らす」ということを悲観的と楽観的にとらえただけの違いです。

これを雲の話に適応すると、何処へとも知らずに流れて行く雲の動きを、「何処へ向かうのかわからず不安」と捉えるか、あるいは「何処へ向かうのかわからないけど面白そう」と捉えるか、という違いになります。

どちらが絶対的にいい、という話ではありません。もしも、今いるところが好きで特に別の場所に移るということに興味がなければ、別にその雲を追う必要はありません。

一方で、もし「もっと広い世界を知りたい」とか「別の場所に行きたい」という思いがあるのならば、不安を断ち切り、思い切って浮雲のあとを追って見てもいいのではないでしょうか。

「まとめ」

このように、ある意味でボクは、風に吹かれる雲の流れ方に「師」と「道理」というものを見出したのです。

「狭い世界よりも、広い世界に身を置きたい」

そういう思いが既にあったからこそ、まだ小さい存在であった中学生のボクは、不安という思いを断ち切って、思い切って、留学を選んだのです。

大きな流れに身を委ねて見ると、思いもよらない自分に出会えるかもしれません...





今回はこの辺で、失礼します。では、ショオヘエでした...

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