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足元に見えた、開けちゃいけない扉

書こうか、書くまいか考えたけど、自分の心の中の整理にもなるかと、書き始めてます。どっちの方向へ行くか、プランがないままの行き当たりばったりnoteです。

先日の三浦春馬君のニュースを聞いてから、度々、日常生活の中で手を止めてしまう日々。彼の事はあまり知らないけど、「恋つづ」で天堂先生を演じた佐藤健君が同じ事務所。仲良く映るYouTubeを見て「いい子だな」と思ってました。

将来、歴史の教科書にはどのように書かれるんだろう?とふと思う「時」を生きてる私達。初めて感じる空気感。今までには考えられなかった想定外の環境下で、想定外の自分と生活していて、戸惑うのは私だけじゃないはず。

これは、15年位前に、私が想定外の自分と共に生活してた時のお話。

あの時、息子達は幼稚園児と未就園児でした。高齢出産だったので、子育ては大変だったけど、すっごく楽しかった時期。週に数回、往復100kmも車を走らせて幼稚園に通い、園がない日には公園、ビーチ、動物園、博物館。。。といろいろ駆け回ってた。食事も子供の栄養を考えるだけで頭いっぱいで、「残り物には福がある」と言いながら、自分は子供の食べ残しを食べて終わらせたり。胸焼けなんだか、どうなのか。ちょっとムカムカする事があったので、「太田胃散」を良く飲んでたっけ。体の変化を通して、危険信号が点滅してたのに、まさか、それが神様からの「Slow down」のサインだったなんて、あの頃は思ってもみなかった。

ある朝、ベッドから起きて、ベッドの横に両足を揃えて置いた時、足元に見えた、木製の50センチx 50センチ位のドア。銀色のハンドルも付いてた。「なんか、このドア開けてみたいなー。」「でも、開けちゃいけない、絶対に。開けたら大変なことになる。」って瞬時にわかった。今もあのドアは幻想だったのか、空想だったのかわからないけど、ハッキリ覚えてる。

余りにも、今までに経験した事のない感覚すぎて、焦って、当時の主人に話したら、Psychiatry(精神科)に電話してみたらと言われた。米国では精神科にかかるる事は、「大丈夫?」と聞かれるだけで、それ以上も以下もない。特にすごい事がなくても、カウンセリングを受けて、自分のメンテをする人もいるし、多くの人がいろんな事でカウンセリングを受けているので、私が思い浮かべてた、ジョディ・フォスターの「羊たちの沈黙」のような「精神科」とは違ってた。

私:「開けちゃいけないドアを見ちゃったんです!」

精神科:「どんなドアですか?開けましたか?」

私:「だから。。。だから。。。開けたら、あっち側がダークなドアです。開けたかったけど、開けませんでした。」

精神科:「わかりました。では、2週間後に。状況変わったら、こちらに電話するか、911してください。」

2週間後?じゃー、そんなに悪くないのかな?でも、911?それって。。。って思いながら、電話を切った。それからだった、雪山から転げ落ちるように、自分が下へ、下へ、異常な速さで落ちてく感覚に陥ったのは。

気がついたら、過呼吸になったり。負の感情の波が自分の胸辺りに押し寄せて、体が硬直し始め、息がしづらくなって、恐怖感に襲われたり。家以外の壁に囲まれた場所には入れなくなったり。ネガティブモードに入ると、自分でわかっているけど、感情をシフトする機械がどうしても作動しなくて、そのまま、ダークモードにどっぷり浸かってしまったり。とうとう、食べたい、寝たい、動きたい、何かをやりたいとか言う「I want to」の感情が芽生えなくなり、何を見ても、感情がこみ上がってこない。表情も作れなくなり、ベッドから出れても、ソファーで口を半分開けたまま横になってたり。どう考えても、ひとつも自分が存在する意味が見いだせない日が続いてた。

精神科の先生の診断は、パニック障害、不安障害、予期不安、広場恐怖、軽度の鬱でした。ついでに、家を出る時に、ガスを消したか、コーヒーメーカーをオフにしたか心配で、家に戻る事あるんです。。。って会話の中で言ったら、「あ〜ら、ちょっとOCD(強迫性障害)もあるわねぇ〜。」と先生。

「どんだけぇ〜?」

それまでの私のセルフ・イメージは、暗い<明るい。ゆっくり<早い。ボソボソ<ハキハキ。「精神科」は、かけ離れた世界。。。と思ってた。”けど!”、実は真面目で、几帳面で、完璧主義的気味で、頑張り屋さんとか言われてたし、精神病の学校には、テスト免除でも入学できるだけの実力があった私。

先生曰く、’それでも’自分から精神科に電話をかけてきて、’それでも’カウンセリング中にポジティブな発言をチラホラしていた私には、筋肉を緩める薬以外の薬はあげられないと言う事で、お喋りだけのカウンセリングになりました。辛すぎて、先生に薬をもらえるよう、再度アセスメントテストをリクエストしたけど、「もうちょっと、落ちてる時間が長くないと。」と却下。2週間は気分が落ち続けないとダメって?無理無理!飽き性の私は、2週間連続、落ち続けられず、意地でも週一は上がれるように、いろんな事をトライしていたので、そんな私には薬は処方されませんでした。だもので、2週間毎に行われるカウンセリングは、恋人に会いに行く以上に、待ち遠しい時間でした。

相性があったのかな?その先生の事、大好きでした。先生に私を受け入れてもらってると言う安心感がものすごくあって、それまで誰にも話せなかった事を話せたり、自分の弱みも見せれたり。1時間のカウンセリングは、息もつかない程、喋りました。止まらない、止まらない。こんなに、たまってたんだ。こんなに、言いたい事があったんだ。こんなに我慢してたんだ。先生の誘導によって、私の口から発する言葉を自分の耳で聞いてみる。自分と思ってた自分は、自分が作り上げてた理想の自分像だったり、こうでなくてはならない像だったりする事が多かった。それ以来、真の自分を感じ、真の自分を取り戻す旅に出発。今だに旅の途中。

その間、実母は日本から、毎日電話をしてくれました。毎日、夕方5時。体調悪くて、電話に出れない時、出ても体調が優れず、5分も話せない時、伝えたい事、吐き出したい事がありすぎて、1時間以上も話した時。私がどんな状態でも必ず、電話をしてくれました。何もジャッジをせずに、居てくれて、聞いてくれた母。

カウンセリングは半年も通わなかったと思います。でも、自分で「大丈夫」って手放しで思えるまでは、7−8年だったかな?危ないラインがなんとなくわかったので、その前に体を休めたり、「NO」と言ったり、自分のキャパを超えるものは、自分と相談してから答えを出したり。まずは飛行機の中で酸素マスクを自分にしてから、他人をお世話をするように、自分を最初にする練習からスタートしました。

ママ友や幼稚園のママ、そして、パパ達も。。。そんなに人生経験があるわけじゃないけど、すごく頑張ってる時や無理してる時、昔の自分をチラッと見ちゃう時がある。その時は、ちゃんと頑張ってる事、伝える。もっと、もっと頑張らなくていいって、とりあえず、伝える。今で充分やってるよ、大丈夫だよって、伝える。特に子育ての時は、子供に必死で、自分で自分がみえてない場合が多いから。

そろそろ、母に電話をかける時間。あの時、母が電話してくれたから、私も今、一人暮らしの母に毎日電話。女同士は、意外と毎日、話す事あるものなのよねぇ〜。

三浦春馬くん、RIP (Rest in Peace)

Love,

Midori


Heart Sutra by Wah!


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