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テキスト文化による言葉の瞬発力の低下

今でも関係の深い先輩から電話がかかってきた。あらたまった感じだったのでなにかあるな、とはすぐに感づいた。食道がんになったと報告だった。

その先輩は昭和の「THE兄貴」というのを体現したような人で、その人から本当にいろんなことを教わってきた。もう20年近い付き合いになる。

そんな兄貴な先輩だから報告のときも軽い。「健康診断に引っかかっちゃってさぁ、まぁ酒ばっか飲んでるから肝臓かなって思ってたら食道がんって言われちゃって」と明るく話そうとしているが、無理して強がっているのは明らかだった。

仕事や時代性からLINEやDMなど、テキストでのやりとりが圧倒的に多い。電話すること自体がとても珍しく、その先輩とも基本はテキストでのやりとりが多かった。そんなテキストに慣れている状況で、電話で「がんになった」という報告を受けると少なからず動揺してしまってすぐに言葉が出てこなかった。

これがテキストならじっくりと言葉を選ぶ時間もできたのだが、電話だとそうはいかない。考える間(ま)が緊張感を与え、相手に気を遣わせてしまうからだ。

その場では、先輩が言葉を振り絞って明るく振る舞っていたのは分かったので「怖い」んだということが伝わってきた。だから自分の役割はその「怖さ」を和らげてあげることだと考えた。

「大丈夫ですよ。いまはがんなんて珍しくないですし、ウチの母親もがんになって15年以上経ちますが元気でピンピンしてますよ」
事実、母親は子宮頸がんになったが17年経った今では再発もなくピンピンしてる。もちろん食道がんと一緒にしてはいけないことは分かってる。ただ、このときの僕は具体例をあげて大丈夫だから気持ちをこれ以上落とさないようにさせることに脳をフル回転させて出た言葉だった。

「分かってる。大丈夫だって知ってるから」と先輩は言ってくるが、「それじゃあまた何か進展あったら連絡するわ」と会話は終わった。
しかし、先輩は電話を切ったと思っていたようだが切れておらず、耳をすませると泣いている声が聞こえた。

僕から出た言葉は合っていたのか。役割を少しでも果たせたのか、いや役割が合っていたのか、ほしかった言葉が他にあったんじゃないかと自問自答する。

会話の瞬発力。テキストに慣れてしまっていて、電話での思いがけない内容にとっさに出てきた言葉の質について僕はしばらく考えてしまった。

先週、先輩の奥さんからLINEで手術が無事成功したとの報告をもらった。まだコロナ禍ということもあって家族でない僕がお見舞いに行くことは当分難しいみたいだからテキストで連絡をした。

テキストだからって、何を言うかは簡単じゃなかったけど。

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