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【ガンバの軌跡①】出会い〜J2降格

皆さん、こんにちは。ゆーだいです!

今回は、連載企画として、「ガンバの軌跡」をやっていこうと思います。
この企画は、ガンバに出会ったきっかけや出来事、そして、今に至るまでの思い出について語っていこうと思います。ガンバに出会ったのが2011年なので2年括りで出していこうと思います。今回は2011年から2012年に起こった出来事や思い出について語っていこうと思います。

連載内容
1回目:2011年〜2012年(出会い〜降格)
2回目:2013年〜2014年
3回目:2015年〜2016年
4回目:2017年〜2018年
5回目:2019年〜2020年
6回目:2021年〜2022年

①ガンバとの出会い(2011年)

私がガンバに出会ったのは、2011年。クラブ設立20周年と言う節目のシーズンであり、また、西野体制10年目でもあった。2010年はシーズン開幕から6試合連続公式戦未勝利。リーグ戦も開幕から5試合連続未勝利と苦しみ、11位で中断期間に入る。しかし、中断期間が終わると、水を得た魚のように躍進し、最終的には2位という好成績でシーズンを終える。

迎えた2011年シーズンは、元U-23韓国代表のキム・スンヨンやC大阪で14得点をあげたアドリアーノなど強力なアタッカーを獲得する。当時のガンバは超攻撃的サッカー、3点取られても4点取れば良いというスタンスでやっていた。そして、私が初めて見に行った第22節の川崎フロンターレ戦でも遺憾無くその実力を発揮してくれた。結果は6-3とガンバの圧勝。

その時に感じたのが「サッカーは面白い」である。それまでは、サッカーはもちろんスポーツには全く興味がなく、何の感情も抱かなかった。しかし、ガンバの試合を見て、サッカーの面白さや魅力に気づき、虜になったのである。特に、ガンバのサッカーは面白い。サッカー素人ながら、ガンバのサッカーが面白いということはハッキリ分かった。その後に見に行った第33節のベガルタ仙台戦も1-0とガンバが勝利を収めた。相変わらず、ガンバのサッカーは面白い。ブレない面白さだった。

このように、私は6-3と勝利した川崎フロンターレ戦をきっかけに、ガンバサポの一員になったのである。そこから私のサッカー人生がスタートした。

②初の降格(2012年)

2011年のリーグ戦を3位で終えたガンバは、2011年を最後に退任した西野朗監督に代わり、ジョゼ・カルロス・セホーン監督が就任した。山口智やイ・グノなど主力が退団した一方で、FC東京から今野泰幸、FCソウルからイ・スンヨルなど実力のある選手を補強した。

新監督となり、期待されたシーズンであるが、ACLのグループリーグからJ1リーグ第3節まで公式戦5連敗を喫した。その結果、セホーン監督の解任が発表され、後任に松波正信監督が就任した。監督が変わったことで状態が上向くかと思われたが、中断前の12試合でわずか2勝(3分7敗)という成績に終わり、チームはどん底の状態にいた。

昨シーズン(2011年)からサポーターとなった僕からすれば、ガンバ=強いというイメージがあったので、ここまで負けが続くというのは想定外であり、とても悔しかった。何試合か見に行ったが、昨シーズンとは悪い意味でかなり変わっていた。何より点が取れなかった。去年までは2点取られても3点取り返すスタンスでやっていたが、今年はそのような覇気やパワーを全く感じられなかった。

しかし、中断明けからは、点も少しずつ取れるようになり、盛り返してきた。特に、私が見に行った浦和レッズ戦と名古屋グランパス戦では、ガンバの武器である得点力が戻ってきたように感じた。結果は共に5-0とガンバの圧勝だった。他にも、コンサドーレ札幌戦で7-2と圧勝した試合も印象に残っている。このように、去年までは勝つのが当たり前だったのに対し、今年はなかなか上手くいかないことが多く、勝つことへの難しさを感じた。それと同時に勝った時の喜びもひとしおであり、とても嬉しかった。リーグ終盤になって得点力が上がってきて、浦和戦や名古屋戦のように大差で勝ち切る試合もあるが、僅差で負ける試合も多く、得点数67に対し、失点数が65という数字がそれを物語っている。

そのため、J2降格という最悪のシナリオは避けることができなかった。降格に関して、シーズン序盤は全く気にしていなかったが、日数が進むにつれて、徐々に降格という2文字が現実味を帯びてきた。現実味を帯びるにつれ、試合前日も緊張して眠れないことも多くあった。それぐらい、降格は怖いものであった。ガンバは降格という恐怖に耐えることができなかった。

しかし、その経験を無駄にしてはいけない。

その悔しさを次にぶつけなければいけない。2度と繰り返してはいけない

そう胸に誓った。

続く


よろしく頼みます!