見出し画像

私のナラティブ③現場から相談支援の仕事へ。

 前回の記事では9年間務めた職場の振り返りをしました。今回は、転職して現在までの8年間を振り返りたいと思います。

行政委託型の相談支援センターのコーディネーターとして

 「相談支援をしたい」と決めた私は、就職活動として県内の気になる相談支援センターを数件見学し、色々なお話を聞きました。その中でも「どんなに重い障がいがあってもその人らしく、地域で暮らす」を実践されていた相談支援センターが今の職場です。当時は「知的障がい者相談支援センター」という名称で知的障がいのある18歳以上の方を対象とした相談機関で相談員(コーディネーター)として働くことになりました。

「家事や外出をサポートしてほしい」
「娘がずっと家に引きこもっていて心配、どこか居場所をつくりたい」
「退院後の住む場所を一緒にさがしてほしい」
「会社で人間関係がうまくいかず悩んでいる」
「親が亡くなった後の息子の将来が心配」
「娘の介護で疲れてしまった、どこか預かってくれるところはないか」
「就職活動をしているがなかなかうまくいかない」
「お金を使い過ぎてしまって困っている」 などなど

・生活のこと(家事、住まい、金銭管理、余暇、居場所など)

・仕事のこと(一般就労、福祉的就労など)

・将来のこと(親なき後、成年後見制度など)              

・福祉サービスのこと  

 など、さまざまな相談を受ける場所でした。

・脳性まひがあり重度の障がいがある50代男性のお母さんからの相談。特別支援学校(当時の養護学校)卒業後、約30年間ほぼ一人で介護をしてきた。サービスなんかに頼るなという硬い考えの父が他界したことをきっかけに相談に来たケース。まさに8050問題。

・自閉症で知的障がいがあり、強度行動障がいがある30代の男性。数年前に通所先を辞めて以来、ずっと家にひきこもり状態と母から相談があったケース。

それぞれの相談内容には色々な背景があり、複雑な問題が絡み合っているものばかりでした。深刻な相談を受けることも多く、混乱することばかりでしたが、障がいや病気があることで地域の中でこんなに色々な「生きづらさ」を抱えて生活している人がいっぱいいるということを、目の当たりにしました。「もっと早く相談につながっていたらよかったのに…」と思うものばかり。一方で、継続的に支援している方の中には、地域の社会資源をうまく使いながらその人らしい生活を送っている方もいて、その方を支える支援者、そしてそのチームをコーディネートしている相談員の役割の大きさを痛感しました。社会資源とは、その方を支える人や場所などのこと。家事や外出のヘルパー、通所施設、病院、グループホームなどの福祉サービスなどのフォーマルなものから、民生委員などのボランティア、教会の牧師さん、安心できるお店など、インフォーマルなものなど人それぞれです。入社して数日後に両親が急死された方の成年後見人の面談で家庭裁判所に同行した経験も今でも忘れられません。

 利用者さんの悩みを聞いて、訪問や同行を重ねる中で、悩みを和らげたり、本人が望む暮らしのためにはどんなサポートが必要かを一緒に考え、すみ慣れた地域で「その人らしい生活」を送れるようチームで支えていく、これをゼロからコーディネートしていくことが私の仕事でした。

 最初は、対話力がなく、なかなか利用者さんの思いをうまくくみ取ることができなかったり、家族の辛い想いに寄り添っているつもりが、なかなか信頼関係を築くのに時間がかかったり、号泣するお母さんの前で冷静に受け止められずにもらい泣きをしたり。そんな刺激的な毎日を送りながら鍛えられる日々でした。

自立支援協議会の活動で区のネットワークづくり

 そして、現場への実践と別に自立支援協議会の運営も仕事のひとつでした。自立支援協議会についてはまた改めて記事にしたいのですが、簡単に言うと地域における障がい児者への支援体制に関する地域課題について情報共有し、必要な対策について協議する機関です。

「(障がいのある人が)〇〇で困っている」→「こういう仕組みを作ろう!」「こんなサービスあったないいな」と行政に施策提言していける機能を持っています。

 私の市では、自立支援協議会の各区ごとの活動として、毎月、区部会という会議(相談支援センター、行政・特別支援学校などが参加)を開催しており、私たちがその運営を任されていました。ケースの中から地域課題を検討し、地域のネットワークづくりについて話し合います。最初は、区内の支援者同士の横のつながりが薄いという課題があり、まずは障がい福祉関係者の顔の見える関係をつくろうということで、「ちゅうちゅうネット」(中央区障がい福祉ネットワーク)というものを作りました。名前の由来は「中央区」だから笑。最初はどんなことをしようと悩みながらも、区内で安心の輪を広げ、誰もが住みやすい街づくりをしたいという想いを込めて企画書を作成、関係機関へのアンケート調査からスタートし、みんなのニーズを洗い出し、内容を決めていきました。

 最初は、「こんなのつくりたい」がなかなか形にならず、前向きな会議ができていないような気がして勝手に落ち込む日もありましたが、会議の場で自分たちの想いを伝えると行政の係長さんや特別支援学校の先生など賛同してくれる人が増え、「どうなるかわからないけど1回目をまずやってみよう!」と背中を押してくれました。そして、忘れもしないバレンタインデーに第1回目ちゅうちゅうネット研修会を無事に開催、なんと約100名の参加者が集まり、大盛況となりました。参加者のアンケートには

「こんな横のつながりを待っていました!」

「このネットワークを続けていきたい!」

「色々な勉強会をしてほしい」

「支援で悩むことが多いので、相談できる場があるのは心強い!」

などの嬉しい感想が寄せられました。また、行政の係長さんが懇親会時に「細く長く続けていきましょう」と伝えてくれたことも印象的でした。最初から頑張りすぎて続かないネットワークではなく、少しずつずっと続けていこう、続けていくことに意味がある!というメッセージでした。中央区でのネットワークの土台ができ、「持続可能なネットワークづくり」として、年に2回研修会を定期開催することになりました。

計画相談がスタート、相談支援専門員として

 相談支援の仕事を始めて2年後の平成27年度から、計画相談支援という事業が本格的にスタートしました。この事業についてもまた改めて書きたいのですが、わかりやすく言うと、障がいのある人が福祉サービスを利用する際に、相談支援専門員がサービス等利用計画とうケアプランを作成する、というもの。相談支援専門員とは、介護保険でいうと、介護支援専門員(ケアマネ)のことです。制度ができたばかりで、分からないことばかりでしたが、当時の上司が相談支援研究会という勉強会を月に1回、有志で開催していたので参加して学びを深めました。計画相談の流れ、二ーズ整理、支援方針、目標の書き方などが難しく、慣れるまでは時間がかかっていました。また、初めてのサービス担当者会議では、進行がうまくいかずグダグダになったことも。。最初は会議が一番苦手でした。でも、尊敬する先輩から「相談支援専門員は計画を作ることや会議をすることが目的ではなく、利用者の望む暮らしを実現するための支援ツールとして計画や会議がある」と改めて教えてもらい、計画の書き方や会議の進行に捉われすぎず、利用者さんの自己実現や望む暮らしの実現に向けて何ができるか、何のための計画なのか?なんのための会議なのか?という目的を再確認しながら支援するようになりました。そうすると、計画作成が楽しくなり、今ではサービス担当者会議も大好きです。利用者さんを中心として支援者が集まり、望む暮らしに向けての支援方針やそれぞれの役割分担などについて全体で確認しあう大事な場。計画を通して、利用者さんがどのように生きたいのか、どんな暮らしがしたいのかという人生プランが可視化され、それを実現するための支援チームが動き出します利用者さんの人生に伴走し、自己実現を支援していく、とてもやりがいのある仕事です。

各区に障がい者基幹相談支援センターの新設

 そして、計画作成に慣れてきた2年後の平成29年、各区に基幹相談支援センターが開設されることになり、「知的障がい者相談支援センター」→「区障がい者基幹相談支援センター」に名称変更しました。これは市がもっと地域に根差した相談窓口をつくろうということで中学校区を単位として設置した相談機関で、①障がい児者の総合相談(全障がい対応・6歳以上~大人まで)②地域のネットワークづくり、の2つの役割を担っています。今までと大きく変わった点は、①対象が知的障がい→全障がい、18歳以上の大人→6歳以上、に広がったこと、②地域のネットワークづくりを今まで以上に注力して取り組んでいくこと、の2つでした。

 ①障がい児者の総合相談では、対象者が広がったことで、圧倒的に増えたのが精神障がいや発達がいのある方の相談です。一般就職していたが人間関係がうまくいかず退職した方、DV被害者で精神疾患を発症した方、特定妊婦(母親に障がいがあり、出産後も何らかのサポートが必要な妊婦)など、相談内容も多岐にわたりました。私は圧倒的に知識不足だったので、日々の実践だけでなく、積極的に研修で学んだり、お世話になっている福祉事業所に実習に行かせてもらうことで理解を深めました。今でもまだまだ自信があるとは言えませんが、これからも実践と学びの繰り返しだなと思っています。

 そして、②地域のネットワークづくりでは、「ちゅうちゅうネット」を継続しつつ、実行委員形式を取り入れて、地域の福祉事業所に運営に参画してもらう仕組みを作りました。私たちだけでは出てこないアイデアを沢山もらい、各事業所のポスター発表会をしてお互いの実践を共有したり、落水洋介さんという難病の当事者(こちらもまた後日記事で紹介します)の講演会を開催。また、障がいのある子どもを取り巻く支援体制が不足しているという地域課題に対して、「中央区こどもネットワーク」という新たなネットワークを立ち上げたり、身近な相談窓口として知ってもらうために「ちゅうちゅうネット通信」を発行し、民生委員さんに配布するなどの周知活動にも力を入れました。

 区基幹相談支援センターの仕事は、ケース支援(利用者支援)と利用者さんが暮らしやすくための地域の仕組みづくりを両輪で実践できるところが魅力です。「問題は個人だけでなく社会環境との交互作用にある」というソーシャルワークの基本的な考え方を積極的に取り入れ、ケースの課題を地域課題へと変えていき、ミクロ・マクロ・メゾの視点で支援していく、これが実践しやすい仕事なのではないかと感じています。

(取り組んだこと)               
・障がい児者の相談対応・チーム支援(多問題家族・8050問題・障がいのある高齢者・こども・不登校・ひきこもり・特定妊婦・DV・虐待など)    
・サービス等利用計画(ケアプラン)の作成    
・自立支援協議会の活動として障がい福祉関係者のネットワークを立ち上げ、研修会を定期開催。事例検討、勉強会、講演会などを企画。福祉事業所、行政、学校、精神科クリニック、SSW、弁護士、社協・地域包括などの多職種が集合し、連携の場になっている。                    
・地域への周知活動。身近な相談窓口として知ってもらうために通信の発行・民児協周り・ブログでの活動発信に取り組む。               
・利用者や関係者向けに福祉サービス利用のためのパンフレットを作成。(「よくわかる障がい福祉」) 
・講師としての仕事(基幹センターの役割・障がい理解・実践発表、等) 

産休・育休を経て時短勤務に。限られた時間の中で。

 基幹センターが開設されてもうすぐ4年になりますが、実は私は4年間の中で2回産休・育休を頂いており、現在も育休中です。1回目の復帰の時からずっと時短勤務をしており、日々時間との闘いです。数年前と比べて働き方も暮らしも随分変わりました。相談支援の仕事が大好きですが、限られた時間の中で「これもしたい、あれもしたい」と葛藤することばかり。でも、出産・子育てを経験したことで新しく見えてきた景色もいっぱいあります。

 今回も長文になってしまいました(笑)。3回に渡る「私のナラティブ」にお付き合いいただきありがとうございます。自分がどんな思いでこの仕事をしてきたのか、どんなことに取り組んできたのか、を振り返ってみて、改めて自分の価値観について再確認することができました。

 2回目の育休ももうすぐ終わり、4月半ばから仕事復帰します。2児の母として、ソーシャルワーカーとして、これから始まるナラティブも自分自身で楽しみながらつくっていけたらいいなぁと思っています。


この記事が参加している募集

#自己紹介

231,424件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?