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人の顔色をうかがってばかりの子供


「ゆぶねちゃん、いつもえいちゃんとばっかりあそんでる。たまにはいっしょにあそぼうよ。」


保育園に通っていた頃。私は途中入園の子供だった。

園内でいきいきと遊んでいるのは0歳児から預けられている子だ。早くから親と離れ慣れているからかわんぱくで強い子たちが多かった。

引っ込み思案の私にとってはじめての集団生活は戸惑いでしかなかった。

保育園の1日は長い。

朝預けられて夕方までの時間、園で考えられた様々なカリキュラムをこなす。折り紙、体操、習字、運動、芋ほり、チャボ小屋の掃除、仏教の教えを聞いたりなど。

それまで母にべったりだった女の子にとって毎日が試練だった。

折り紙は教えの通りやってもうまく折れない。

体操は足が上がらない。

習字は墨がにじみ字が崩れて塗りつぶしていたら「ぬりえじゃないのよ。」と叱られる始末。

病気で死んだチャボを段ボールに入れて見せられたときは恐くて震えた。

給食は残さず食べなければならず、時間を過ぎても食べきれないのでいつも壁に机を動かされていた。

園の方針なのか、先生たちはいつも厳しく見守っていた。弱音は吐けないし、自主性を重んじていたようだったので助言もなかった。

みんなできているのに私にはできないことが多すぎる。

毎日が恥ずかしかった。

一日の中で、必ず自由時間があった。好きな子と、好きなように遊んでいい時間。

私はこの時間が園生活の中でいちばん苦痛だった。


「じゃあ、ゆぶね鬼ね。よーい、スタート!」

毎日決まって鬼ごっこ。逃げるのはえいちゃん。

私の自由時間はえいちゃんと遊ぶのがお決まりだった。えいちゃんは目が大きくて気が強い。気乗りしなくてもNOとは言えなかった。言うのが怖いから黙って従うことを選んでいた。

おまけに足がクラスでいちばん速いので追いつけない。それをわかっていていつも私を鬼にするのだ。

毎朝保育園に行くたびにえいちゃんの休みを願ったが体が丈夫のようで休むことは滅多になかった。

私はえいちゃんの支配におびえていた。

園での生活に必死で他に友達を積極的に作れなかったことを悔やんだ。


ある日そんな私を見かねたのか、びいちゃんが声をかけてきた。

「ゆぶねちゃん、いつもえいちゃんとばっかりあそんでる。たまにはいっしょにあそぼうよ。」


ああ、私は救われた、と思った。そうだよ、たまには違う子と遊んだっていいじゃないか。

勇気を振り絞ってYESと答えようとしたそのとき。


「ダメッ!!!!!!!ゆぶねは私と遊んでるんだから!」

そのときのえいちゃんの鬼のような形相は今でも忘れられない。

(怖い。もうやめて・・・)

私は引き下がらないびいちゃんとえいちゃんの口論を立ち尽くして見ていることしかできなかった。

もう自分の意志なんてどうでもよくてその場から消えてしまいたかった。

卒園するまで私はえいちゃんと遊び続けた。

衝突を恐れ、わがままに付き合った。毎日顔を合わすから、もめたくない。私の意志を伝えてうらまれるようなことがあるなら我慢すればいいだけだ。

自分に言い聞かせて園生活を過ごした。

ときには夜中にうなされたりした日もあったけれども。


引っ込み思案を加速させた日々。だからこそ私は鮮明に覚えている。

今でこそ被害者ぶって書いているけれどもあの当時の自分に言ってやりたい。

「大人になっても私は変わってないよ。ケンカに慣れなよ。」


心は今でも燻っている。


と、幼少期を思い出しながら書いては見たが書かれたことが全てではない、という続記事。


書いているとエネルギーを使うのか、甘いものか揚げ物が欲しくなるんです。 健康を害さない程度につまみたいと思います。