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23歳 女性 現在無職な妹の人生

わたしの妹。
年齢:23歳(ついこの間まで自分は24歳だと思っていたらしい。そんな人本当にいるんだ。)
性別:女
職業:無職
出身:鹿児島

鹿児島(出身)

幼少期
昔から画家とか、サンプル食品とか特殊メイクとか便利屋さんとか、ちょっと変わったものに思考が向いていたらしい。テレビで見てかな。
中学
中2くらいまでは特に将来のことを考えずに生きていて、学年で下から数えた方が早かった。分数の通分もできなかったけど、特にやばいという意識もなかった。ある日、友達の紹介で塾にいくことになる。地元には珍しく、「カフェみたいにおしゃれだし、行ってみよう!」と思って行ってたら、先生の教え方も良く、勉強楽しい!ってなり、そこから勉強にはまった。
高校
高校生になっても、塾を自習室として使って勉強をしていた。母いわく妹は頑固な性格、母に塾をやめるよう言われたときも「絶対やめない!」といっていたらしい。昔から、海外好き!洋楽好き!旅行好き!な性格で、でも英語はもう飽きたな、と思ってたときに、神戸のおしゃれ大学をみつけた。それが神戸市外国語大学。神戸市外国語大学といえばスペイン語!となり、専攻をスペイン語にして受験勉強に励んだ。たくさん勉強したのだけど、色んな先生に「志望大学は厳しい」と言われ、センター試験後の合格判定もまさかの「D」。でもどうしても行きたくて、落ちたら私立いく!という気持ちで受けたら、奇跡がおきて合格した。何かに向かって挑戦することが楽しく、ゴールを目指して競えるライバルや一緒に頑張れる同志がいたから頑張れたらしい。

神戸(大学)

海外好き!洋楽好き!旅行好き!な自分と価値観が似ている人がいっぱい居て、大学生活はとても楽しかった!したいことをいっぱいした!中高は勉強がんばったから、やりたいことをぜんぶやろう!と思い、語劇やゴスペル部にはいって活動したり、オープンキャンパスで自分の経験を伝えたり、新人歓迎会にも全て参加したり、活発に活動していた。

スペイン(大学)

1年間、学部留学でスペインに留学した。結局最初から最後まで、スペイン語で授業を理解するのは難しかった。そして、日本語を学んでいる人と関わることが多かったから、どっちの言語を使えば良いか、「言語をより学ぶための利害関係」みたいなことにも苦労したそう。でも、最終的には本当の友達もできて、自分の時間を人の為に時間を使ってくれることにとても感動して、自分が日本に帰ったら、自分の時間を人に使えるよう気を付けようと思った。更に、そこで今も付き合っている彼氏(スペイン人)と出会った、しかも初彼氏(因みに彼は今日本にいて今も一緒にいる)。彼の家族にもとても良くしてもらった。

神戸(大学)

帰ってきて就職活動が始まる。皆と同じようなことしたくない!と思い、SPIを勉強するんだったら、プログラミング勉強して、手に職つけて、フリーランになろう!ノマドで働こう!と思い、プログラミングの学校に通い、勉強した。就職先もプログラミング関係の会社から内定をもらい、卒業後上京した。

東京(仕事)

上京して働いた会社がまさかのブラックだった。契約書に書いてあった残業代も支払われず、しまいには土日がまるまる潰れるほどの課題を課された。プログラミング良いな、と思って入社した会社だけど、独学と実務にはかなりの差があった。3年は頑張る予定だったが、実務のプログラミングは独学と全然違う、自分は向いていないな、という気持ちと土日も潰れる程の課題に耐えきれず辞めた。

新卒という大事な切り札を失ってしまったーと悔やむ自分に、彼氏は「最初は入りたい!って気持ちだったんだから失敗ではないよ!」と言ったそう。

もともとやってみないとわからないし、やらないと気が済まない性格だし、今は「合わなかった、ということが知れて良かった」と言っている。

現在
転職活動中真っ只中だけど、軸が定まっていない。
給料低いけど、仕事内容は楽しそう。
会社はいいけど、仕事内容は楽しくなさそう。
何を基準に選ぶか迷っているらしい。
でも将来の野望はあって、例えば、スペインでおにぎり屋さんを開く、
フードカーをする、スペイン語で日本のことを発信する、マンション買う、宅建にうかる、そのような野望も実現する為に、今はそちらにも注力して動いている。


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