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いわゆる退職エントリ/あるいは路頭に迷った野良編集者のキャリア論 #1

2023年4月1日。僕は九州産業大学芸術学部ソーシャルデザイン学科に、常勤教員(准教授)として着任した。

そもそも僕は大阪外国語大学&大学院で日本古代の服飾史を研究していたのだが、そこから編集者になることを志望。新卒で東京にある求人系の会社に就職した。

運良く編集部に配属されたことをきっかけに編集者のキャリアを歩み始めた後、東京ピストルへの転職・退職を経て福岡に引っ越し、今に至る(それらの経緯については、下記の記事をどうぞ↓)。

それが一体なぜ芸術学部の大学教員になることになったのか?

いわゆる「退職(はしていないので就職?)エントリ」ではないが、僕自身にとっても新天地でこれから向かうべきベクトルを見定める上で、考えをまとめておくことは有用だろう。せっかくの機会なので、ここに至るまでの経緯について記しておこうと思う。

※実際に書き始めてみると、結構な文量になってしまうことが発覚した。なので本稿(#1)では、特に「なぜ大学教員の募集に応募したのか?」という点に重点を置いた内容とした。きっと#2もそのうち公開できるはず。本稿だけでもそこそこの文量があるが、良ければぜひお付き合いいただきたい。

使い切った”変化貯金”

2022年秋、福岡へ引っ越しして来てちょうど6年になった。驚くのは6年もの間、特に環境や仕事を変えないままできてしまったということだ。

というのも僕が根っからの飽き性だからで、新卒で就職して以降、4年半以上同じ職場、あるいは土地にいたことがない。そんな僕が6年の長きにわたり、同じ家、同じ職場、同じ土地で暮らしている。

福岡へやって来たときは変化が盛りだくさんだった。退職、引っ越し、創業に始まり、出版レーベル(TISSUE PAPERS)を始めたことや、福岡デザイン専門学校で非常勤講師を務めることになったことなど、すべてが新鮮で楽しかった。

思えば、そのときに貯めた”変化(を求める情動)貯金”を、6年かけて食いつぶしてしまったのだろう。「そろそろ環境を変えなくてはならない」と閉塞感が募っていったのも無理はない。

とはいえ、「閉塞感」という感情は多分に主観的、かつ直感的だ。自分がそもそも何に対して、なぜ閉塞感を覚えているのか?  今一度細かく検討してみる必要がある。

キャッシュフローの悪さ

まず挙げられるのが「仕事」の側面だ。

福岡へ来て以降、ありがたいことに多方面からお声掛けをいただき、いろんな仕事やプロジェクトに関わってきた(これまでの主な仕事はInstagramで #yusakuraiworks というハッシュタグをつけてまとめている→ https://www.instagram.com/explore/tags/yusakuraiworks/)。

TISSUE PAPERSのように、自発的にやっていることを抜きにすると、いわゆるクライアントワークに位置づけられる仕事のジャンルとしてはだいたい

  • 自治体の地域創生/アート/クリエイティブ系

  • 大学のプロジェクト系

  • 伝統産業のブランディング系

  • 友人と一緒にやってる系

がある。

基本的に僕は「それを自分がやる意味があるのか?」という尺度で参画の可否を判断する。なので、外向けに情報を出している仕事・プロジェクトに関しては、どれも一定以上のやりがいを感じることができたものばかりだ。

また、一般的な企業案件よりも、1年〜半年ほどをかけて生み出すプロジェクト型の案件が多いのも特徴のひとつといえる。ゆえに、アウトプットを具体化する前段階で綿密なリサーチを行うことができたり、成果物(※モノとは限らない)の仕様を凝ったりすることが可能となる。時間の制約が大きいいわゆる制作仕事に比べると、これはとても幸運なことだ。

ただ、案件の受注から納品までの期間が長いということは、仕事に取り掛かってから実際に請求・振り込みされるまでの期間も長いということを意味する。結果、キャッシュフローがどうしても悪くなってしまう。

また、最近よく言われていることではあるが、アート関連のプロジェクトは概してギャランティーが安めだ。しかも真摯に取り組もうとすればするほど、コミュニケーションコストは無限に膨らんでいく。

首都圏に拠点を置き、ギャラが高めな広告案件や代理店案件をこなしつつであれば、社会貢献的な落としどころでアート関連のプロジェクトをこなすこともできるだろう。

僕としてもお声掛けいただけるのは本当にありがたいし、クリエイティブという面では(予算は限られているものの、そこさえクリアすれば)比較的好きなことができる。

ただ、いち地方都市を拠点にしている現状、やればやるほど経営的に疲弊・逼迫していくことは否めない。この悪循環を何とか改善する必要があった。

見えないキャリアパス

次に挙げられるのが、編集者としての自身の「キャリア」の側面だ。

僕はいわゆる「出版社勤めの編集者」ではない。会社はあるし、前述したように出版レーベルも有しているが、世間でイメージされる編集者とは違い、クリエイティブディレクションをやることもあれば、ブランディングをやることもあるし、キュレーションをやることもある。

とはいえ、出自やアイデンティティは「編集」にあるので、編集者というよりも、「編集という技法を用いていろいろやる人」といった方がわかりやすいかもしれない。

こうした、世の中であまり認知されていない仕事をするのは、自らまだ見ぬフロンティアを開拓しているようでとても刺激的な一方、キャリアという面においてはモデルケースがない場合が多い。

僕の場合も同様で、同じようなスキルセットや問題意識を共有できている同世代の仲間はいるが、それぞれが現在進行系でキャリアを切り拓いているため、10年後、20年後、ひいては30年後に自分がどうなっているかの予測がつかない。

携わっている仕事の内容が、いわゆるクリエイティブ系であることも、そうした将来への漠然とした不安に拍車をかけていると考えられる。加齢とともに仕事の受注が減っていき、いつのまにか表舞台から姿を消したフリーランスの編集者やライター、カメラマンをこれまでに何度も目にしてきた。

今は仕事があるからといって、このまま何の対策もせずただ漫然と過ごしているだけでは、遠くない将来、自分も同じようにどこかへ消え去ることになるだろう。

そうならないためにも、今のうちに対策を打っておいた方がいい。そこで自分なりにいくつかのキャリアパスを挙げ、それぞれの実現可能性と適性について検討してみた。結果、挙がってきたのが、

  1. 採用を増やし会社をデカくして、経営・マネジメント側に徹する

  2. 今の業界で押しも押されぬ大御所になる

  3. 編集者を辞めてどこか安心安全安定の企業に入る

  4. 経験を活かし、先生的な立場になる

というの4つの選択肢だ。

で、どうする?

さっそく上に挙げた選択肢について考えてみよう。

まず「1. 採用を増やし会社をデカくして、経営・マネジメント側に徹する」だが、一応現在も会社をやっているし、自分の頑張りが結果に繋がりやすいという点では、この選択肢も一考の余地がある。

ただ、これをこの地で実際にやろうとすると、広告代理店にシッポを振る必要性が出てくる。それは死んでも嫌だ(これは「代理店と仕事をしたくない」という意味ではない。対等なパートナーシップでの協働は大歓迎だ)。

さらに僕はマネジメントが苦手ときている(昨年度初めて新卒を採用して深く自覚した)。向いていないことはやめておき、得意なことに注力した方が良い。なのでこの選択肢は✗。

次に「2. 今の業界で押しも押されぬ大御所になる」という選択肢もあるが、これは上記の1. と異なり、自分だけの努力で何とかなるものではない。

嫌いな賞レースに応募することも必要になってくるだろうし、大御所になるのはあくまでも結果なので、今の時点で僕が主体的にどうのこうのするのは難しい。

「3. 編集者を辞めてどこか安心安全安定の企業に入る」についても考えてはみたが、どうせどこかの企業に入るのであれば、これまでの知見を活かせる場所が良い(ゼロから新しいキャリアを始めるのは、コスト的・報酬的に見てまったく合理的ではない)。

となると、結局は大手広告代理店や地方創生をやっているようなコンサルティング会社が主な候補となる。じゃあそういうところに狙いを定めて転職活動をするか? 答えはもちろんNOだ。

また、この選択肢を採れば、ほぼ確実に今の会社を去ることになる。それは雇っているスタッフに対してあまりにも無責任かつ不誠実だろう。

一方、「4. 経験を活かし、先生的な立場になる」の可能性は以前から視野に入れていた。だからこそ、これまでも福岡デザイン専門学校や大阪芸大の非常勤講師を務めていたわけだ。

とはいえ、この選択肢も僕一人がなろうと思ってなれるものではない。一応修士号は取得しているが、専攻は日本古代史だったので「経験を活かす」ことを優先し、順当な手続きを踏んでアカデミズムの道に進むのであれば、今一度大学院に通う必要があるだろうと考えていた。

ただ、研究テーマを絞りきれず、なかなか行動にまで結びついていなかったのが正直なところ。「このままじゃいけないな」とは思いつつも、日々の雑事に追われ、考えることを後回しにしていた。

大学教員ポストの募集。そして応募

何人かの友人から「受けてみれば?」と九産大教員公募の知らせをもらったのは、そんなふうに漠然とした閉塞感とキャリアへの不安感を抱きつつも、特に何もしていなかった2022年夏のこと。

最初は自分とは関係のないものと思っていたのだが、上記のようなモヤモヤと照らし合わせてみた結果、なんだかうまくハマる気がしてきた。

教員・研究者という立場であれば、プロジェクトへの参画が実績にもなるし、関わる案件や実績が増えれば、それらをケーススタディとして教育に組み込むこともできる。しかもその間、僕自身は学校から給与がもらえるわけで、自身が稼働する分のギャラ確保を(そこまで)気にする必要がない。

うまくいけば研究→案件→教育→研究という流れで、フィードバックループをうまい具合に生み出せるかもしれない――と、なんとなくうまくいくイメージが湧いてきたため、「いっちょやってみるか」と受けてみることにしたわけだ。


社会人/編集者になって、はや(まだ?)15年。中途半端な野良編集者ながら、詰まるところ編集とは「偶然を必然にすること」なんだろうな、と思う。

とすれば、僕自身のよくわからないキャリアパスにしたって、そのたどって来た点を繋いでいくと、結果的に何かしらの”星座”のようなもの(©多田智美)がかたちづくられるのかもしれない。ならば、この針路変更にしたって立派な編集行為のひとつなのだろう。たぶん、ね。

(#2に続く。まだ書いてないけど)

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