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鹿児島旅行で訪れた知覧特攻平和会館|同年代で旅立った若者たちが家族に向けた手紙

こんにちは。
先日、鹿児島県の中でも南の方にある、知覧特攻平和会館を訪れました。
今回は、知覧特攻平和会館を訪れて感じたことを言葉にしたいと思います。
写真は瀬戸内海です。

特攻隊ができた経緯

特攻隊は最後の手段だった。
技術が未熟で相手国に対する戦闘機の攻撃力が足りないことや、
兵士の育成が追い付かなかったことなどから特攻隊ができたそう。
今と状況が違いすぎて創造するのも難しいけれど、
驚きの決断。それだけ追い詰められていたのか、今とは感覚が違ったのか。

同年代で特攻隊となった若者たち

まず印象に残ったのは、特攻隊となった若者たちが家族に向けて書いた手紙、遺書。
実家にいるお母さんやお父さん、婚約者、子供たちなどの家族に向けたものが多く展示されていました。
そして、若者たちといっても、19歳や20歳の人も。
私は今年で25歳なので、私よりも若い人たち。
そんなにも若くして、
前日に「明日自分の番だ」と知ったとき、
自分一人で戦闘機に乗り、敵陣に突っ込んでいくときは
どんな気持ちだったんだろう。

手紙の中身

手紙の中には、家族への今までの感謝、たとえ自分が飛び立った後でも元気で幸せに生きてほしいとの願いが書かれてありました。

家族の幸せを願う気持ちや愛情はいつの時代も変わらないものなんだね。
大好きな家族に願うのはただただ元気で、幸せに生きてくれること。
家族の愛ってすごい。

私にとって特に印象に残ったのは、若い男性が婚約者に向けて書いた手紙。
今までの感謝と、ただ「会いたい」という強い気持ち。

私は遠距離恋愛をしているので、時代と状況はかけ離れているけれど、
大好きな人にただ会いたいという気持ちには重なる部分を感じました。

そして「明日が人生最後の日」だと知っているとき
会いたいと思う気持ちはものすごく強い願いだったんだろうな。
永遠に旅立つ前にもう一度だけでも会いたいと思う気持ちだったり、
会いたいけど会えない悲しさだったり。
呼んでいてうるっときました。

(私の語彙力…←もっともっと深いので是非訪れてみてください。)

みなさん、知覧特攻平和会館の手紙コーナー、危険です。
ハンカチのご準備を。

大切な人には気持ちを伝えること

ありがちですが、
やっぱり改めて思ったことは
いつも大切にしてくれる家族、恋人、友達に対して
感謝や愛を伝えることの大切さ。
今、日本では戦争をしていないけれど、
いつ何があるのかわからない。
だから、一緒にいられる時間は有限であることを心にとめて
大切な人との時間を大切にすること。
その気持ちが相手に伝わるように言葉にしたり、
行動で表したりすることが大切だと思います。

戦争と教育

当時の日本の教育は、「国のために戦うのは偉大なこと」というような教え方をしていたとか。
ただ私にとっては疑問で、本当に国のために戦って若い人たちが自分を犠牲にしていくことは偉大なことなのか。

ただ、手紙を読みながら思ったことは、
国のために、というのも教育の影響であったのかもしれないけれど、
それ以上に、愛する家族のために、家族が生きていけるように戦う、というのがあったんじゃないかなとも思いました。

自分の人生、胸を張れるように生きること

過去の歴史があって今私が住んでいる日本がある。
戦争中は今の「当たり前」は当たり前じゃなかった。

  • 安心安全な家がある。

  • 家族や恋人、友達と会える。

  • 食べ物がある。おなかいっぱい食べれる。

  • 仕事もある程度やりたいことを選択できる自由。

  • 勉強できる学校や大学がある、いけること。 etc… 

就活とか、日々悩んだり、迷う時もあるけど、
まずは今の環境に感謝して
日常的な幸せを大切にしよう。
そして、自分の人生を生きれるように
自分に正直に偽らずに、生きていきたい。


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