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"自信"の源になるのは個人的な経験値(固有性)

当時、結果を出そうと思った。
平たくその時の状況を言えば、
“おいこまれていた”ということになる。

その当時在籍していた大学を2ケ月で辞め、もう一度別の大学を受け直す決意をした。受験合格を目指し、もう一度勉強に励まなくてはいけなかった。当たり前だが、お金もかかった。

受験勉強なんてくだらないと思われるだろうけど、合格すれば一応何かが切り開かれる。環境を変えるきっかけにもなるし、それはまぁ間違ってはいないと思う。受験勉強がくだらないと思う人の気持ちはわかる。(僕は受験勉強はくだらないと思っている派の人間です。)

問題は、「自信を持って結果を出す(合格する)にはどうしたら良いだろうか?」と考えたことだった。

自信を持つことも、狙って結果を出すことも、そのどちらも僕には極端に苦手だった。

だけど ー 当時19歳 ― それなりにちゃんと19年間生きてきたわけで、挫折やら悔しい思いを色々してきて、難しいけどやってみようと当時の僕は自分に誓った。

1.努力することで自信なんてつかない

受験勉強において結果を出すには、

思いつくこととして例えば、
・1日10時間勉強をする
・集中して勉強する
・一日に色んな教科を勉強する

それでも、これらの努力はやらないといけなかった。やらないと受からない。もちろんある程度、できる限りやったと思う。

だけど一番の問題は、どれだけ勉強したところで自信なんてつきやしないことだ。

「毎日の努力の積み重ねが、勝負当日に自分の励みになる。」
受験勉強にありがちな言葉だし、
“はじめの一歩”にも出てきそうな名言だけど、こんなのほとんど嘘だと思う。

どう考えたって、世の中には死ぬ気でやってる人がいて、僕よりも質、量、才能とも全てにおいて上回ってる人たちが山ほどいるんだから、自分なりの精一杯のささやかな努力なんかで自信なんて持てやしない。

自信が元々ある人は、努力で自信がつくのかもしれないけど、僕はそうはいかない。なにせ僕は自信を持つことが極端に苦手な”性格”だったから。


2.街を歩き回ったことによる気づき

それでも、努力以外の方法で自信を持てるやり方を当時運よく見つけれた気がしたから、突破口を開けた。

きっかけは、辞めた大学の在学中に歩き回った街(ストリート)での経験。

辞めた大学の授業はあまり出席しなかった分、街にくりだしては、瓶ビールを片手に、飯をろくに食わず、当時はビルケンのサンダルを履いて歩きまくっていた。(運よく補導を受けたことは一度もなかった。)

その時のことを話し始めると長くなってしまうけど、とにかく、街には大事なことが落ちていて、僕はそれを拾いに拾い集めていた。

それは、
・街には尊敬できるカッコいい人がいる。(僕にとってデザイナーでした。)
・自分には到底できないような仕事に就いている人がいる。(僕にとって花屋でした。)
・街を歩き回った経験、素晴らしい人に会えた経験。(僕にとって大切な物語です。)

僕以外の、誰も経験していないこと。その時の感動や気持ち。そういうことに関しては、なぜか自信を持てる気がしました。

自分自身の努力なんかでなく、個人的な経験値(固有性)に自信を持てた。


3.個人的な経験値(固有性)を取り入れてやること

固有性は、個性と混ざって使われることが多いけど、僕は混ぜて使わない。勝手だけど、自分の個性なんて全く自信は持てない。だけど、経験値といった固有性が帯びてることには自信が持てる。

平たく言えば、他の人はあんな経験していないだろうとか、他の人はたぶんやってないだろう、と思えることに関しては信じれると気づいた当時の僕は、なんとか固有性を受験勉強に取り入れようとした。

では、何をやったか。
僕は受験が終わるまで国語をサボらず勉強した。
それだけをやった。


4.自分なりの目標を作ってあげる、ゴールを目標にしない

受験勉強で僕が目指したのは、文章を読める人でした。その先の目標は、デザイン思考ができる人間になること。

受験を通して、まずは本を読める人になりたい。そう思って、国語をサボらず勉強した。

僕は理系だったけど、二次試験の前でも国語を勉強していた気がする。でもどう考えたって、二次試験の前まで国語を勉強してる人なんて他にはいなかったと思う。だって、試験に出ないもの。
でも、それが固有性。

本を読める人になるには、色々なやり方がある。別の言い方をすれば様々なルートがある。そのルートの中で自分なりのルート(固有性)を信じてあげればいい。

間違えても、結果を目標にしないこと。
結果を目標にしたら本当に辛い。
目標を結果にすると、どうしても直線的というか、効率的というか、そういう風になってしまう。どうしてもそれでは自分に自信が持てないし、辛い。

自分なりの目標を、自分なりのルートで進んでいって、曲がりくねったルートの道端に咲いている花を見つけて、その時の気持ちを心の引き出しにしまっておくことの方が、僕にとっては自信が持てる行為として確立してる。


5.自信を持つことで大事なのは"アシメ"的だと思う

競争する中で、結果を求める中で、その時に行う努力とは全く関係ない自分なりのルートを作ってやる。それは感覚的に、アシンメトリー的だと感じてる。

中学の時に男子の中で急に増えるアシメヘアーだけど、今となってはアシメもいいと思う。(当時、僕はその流行には乗らなかったなぁ。)

主張したいのは、長い髪の毛の方かもだけど、短い髪の毛の方も大事。ファッションだってそう。着崩した際、長い方でだけでなく、短い方も大事。

映画だってそう。シリアスなストーリーの中にも笑えるシーンを少しは挟まないとストーリーの構造を保てない。バスケのシュートフォームだって、左手は添えるだけ。

要はアンバランスに含まれたサブの方の”縁の下の力持ち”みたいなところが、僕にとってまさに自信をつけさせてくれる。

結果はたまたまだったかもしれないけど、当時の僕は「自信を持って結果を出す(合格する)こと」ができました。

それは、やっぱり自分なりの別ルートを目標にして受験勉強をやり遂げたからだと思う。人と違う受験勉強の方法で、ということではなくて。それって質の話じゃないですか。


6.最後に、武井壮を添えて

自信を持つことは難しいけど、昔よりはマシになったかな。それは年齢のせいもあるかもしれない。それでも、固有性を大事にし続けた積み重ねとも言えるかもしれない。

個人的な経験値(固有性)には自信がある。自分に自信がなくて不安な時も、後で物語として他人に語れるような、自信を持てるような、そんな別ルートを今も日々歩んでいるつもり。

そういえば、ちなみに浪人時代の話だけど、「武井壮しらべ」っていう深夜番組の放送をYouTubeで見て、武井壮は良いこと言ってるなって思った。たぶん当時は励みにしてたんじゃないかと思う。

時間や機会があったら別の動画もぜひ見てみてください。武井壮のアシスタント宮田聡子がめっちゃ可愛いから!!

武井壮が言う「忙しい時でも、1日1時間自分に時間をプレゼントしてあげる。」
メイン(仕事)とは関係ない別のことに1日1時間の努力をしよう、というような考え方は、偉そうなこと言えませんが、当時似ているなぁって感じた。

似ているなぁ、と勝手に思いながら机に向かって評論文の問題を解いていたのも今となっては、いい思い出でであり笑い話。

屈折した考え方かもしれないけど、僕は曲がってる方が性に合ってる。曲がってるからこその、アンバランスだからこその、自信の付け方ってあると思う。自信のつけ方って人それぞれだけど、これも一種の考え方だと一個人としてこれからも信じるつもり。

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