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今日は起きたら、疲れていて、ちょっとグッタリしているのだけど、朝6時から散歩、写真撮影

多分、夜9時頃に寝て、3時に起床。音楽制作。お風呂に入って、新曲の手直し。今日は起きたら、疲れていて、ちょっとグッタリしているのだけど、朝6時から散歩、写真撮影。
最近、日の出と共に、自転車に乗って、河川敷か公園へ出掛けている。

今朝の写真、河川敷にて
セイタカアワダチソウ

プラモデル作りも割とハイペースで行っているが、今日はグッタリしているので、明日、WAVEで再販されたエンゲージSR1をランナー塗装する予定。今日は写真について書いていく。最近、写真をそこそこ撮っているので。あと、プラモデルについて、散文で書くことがあまりないのもある。プラモデル作り、楽しいよ。

カメラ選び、という記事をよく見かける。カメラ選びは、プラモデル選びと同じで、模型屋で見る、ネットで見る、とにかく見て、目を慣らすのが肝要ではないだろうか。
そして、セール、一目惚れ、個人的な理由、癖、一期一会で選べばいいと、私は考えている。
私だったら、中古で5000円以下のコンデジでも十分で、今はiPhoneのカメラで十分。iPhoneのドラマチックというフィルターがいい。
ゴールドベルベット。そういう様な色味で撮りたい。パッキリせず、滲みがあるような、渋みも欲しい。

カメラもいいな、と思うのだけど、欲しいデジカメがずっと見つからない。イコンタのような風格。

スナップフォトはプラモデル作りと違って、あるいは、絵を描くのと違って、イージー。私からしたら、大した技術は必要ではない。なので、撮影技術よりも、それ以外が大切だと、私は考えている。
写真において必要なのはテーマで、テーマとは「根拠」である。根拠とは、存在の根拠であり、存在とは世界である。
世界の根拠とは、自身の根拠でもあり、自分という生、人生のテーマ=根拠に繋がる。砕いて言えば、「私が生きている意味と価値は何か」で、それを写真で撮ればいい。
そういう風に言う人はあまりいないようだけど、私が生きている意味と価値は「家族」だと思うのならば、自身の家族を撮ればいいし、自分が作ったプラモデルでもいい。自分である根拠なんて、他人がああだこうだと言うものではないだろう。

テーマが分かれば、撮り方、色味、取り組み方も見えてくるだろう。必要なのは、何でも撮ることではなく、自分のテーマ、撮りたいもの、撮っていて飽きないものを見つけることである。

写真には撮り手の人柄が出てくる。写真を見ていると、撮り手の心の声が聴こえてくる。その心の声に言及する人は少ない様だけど、私からすれば、写真における撮り手の心の声が邪魔になってくる。
花を撮る。花を写せればいいのであって、そこに撮り手は必要ではない。主役は花であり、撮影者は黒子であればいい、というのが、私の考えで、それならば、花の声があればいい。
光。日光。すでに光は動いているから、殊更、写真に動きは必要ではない。植物にだって動きはある。線にも、色にも動きがある。それらのウネリの中で、余分なものを濾して、より「純粋」をトリミングするのが写真ではないだろうか。

写真を撮るには、よく見ること。じっと見ること。何度も見ること。そうしていると、「写真」が向こうからやってくる。それは、感覚であり、直感。自分の息が、相手=世界に一致する刹那の前後。

今朝の風景を思い出してラクガキしちゃったぞ♪

偉そうに書いているが、私が得意なのはスナップフォトだけで、ブツ撮り、ポートレートなどは上手くない。スナップフォトだとて、近所の散歩写真であって、雑草である。絵は下手だし、プラモデル作りも下手。私なんてちっとも偉くない。写真も地味。ゴールドベルベット。

1番最近のプラモデルフォト、素組

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