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美意識とは、自分で限定していくことではないのか。その限定された手法(人生)の中で試行錯誤しながら表現して(生きて)いくのが美学とは言えないだろうか。

プラモデルは割と自己完結してもいい創作である。まず、プラモデルに興味のない人に向けて話すことがない。プラモデルとは元々ニッチな世界だと思うから。
プラモデル制作においても、1人、部屋で黙々と作るのが常道で(私は配信しながら作ることが多いけど)、上手下手にこだわるのも自分。下手でも自己満足できるならば、何も問題はない。まぁ、これは趣味や創作全般に言えることでもあるか。
現在、私は、プラモデルは箱庭だと思っているし、寝室の棚にプラモデルを並べて箱庭的なものを作りたいと思っている。それはもう閉じられた世界で、自分1人の為の空間である。箱庭ということで、ジオラマ制作にも興味が湧いてきている。

私が若い時は、創作、アートに関して、自己完結しているのは自慰でしかない、と批判されることが多かったように覚えている。今の私からしたら、自己完結していることの何が悪いのか、さっぱり分からない。写真でも文章でも、受け手を意識して、訴えかけたり、テーマ性が必要だとか言う人がいると思われるが、むしろネット社会の現代は、みんな、受け手という他者を、他者の評価を気にしすぎなのではないだろうか。
幸福の在り方を考えていくと、自分が幸せだったらいいわけで、些細な創作、アート、ホビーに大仰な他者という客観性を導入する必要はない。そうなれば、些細な自分という在り方に他者という客観性は必要なのか、ということにもつながる。実のところ、必要なのは各々の「美学」で、美意識なのではないか、と私は考えている。この美意識とは、したくない、しない、したら終わりだな、という意識だと思う。この言い方は醜いな、とか、人としてしたくないな、とか。例えば、マウントは取りたくない、老害になりたくない、とか。しないと決めたことがあって、したいことをしていけばいいだけで、若者に足りたいのは、自身で培ってきた美意識であり、「美学」なのかも知れない。

私はプラモデルを作るにあたって、特別、上手に仕上げたいとは考えていない。何故ならば、私はプロモデラーではないし、プロモデラーになりたいわけではないから。プロでなくても、高い技術を持ったプラモデラーは多いし、ネットでも拝見することが出来る。素晴らしい出来栄え。私では到底及ばない。ならば、私がわざわざプラモデルを作る必要はなくなってしまう。実際、上手かろうが下手であろうが、プラモデルを作る必要性なんてほとんどの人にはない。プラモデルを作りたいから作る、でいい。

私は筆塗りオンリーで、6色しか持っていない。筆ムラが凄いある。プラモデルの塗装は、ネットとかで調べると、ムラをなくし、均一に塗ることが最上とされているが、筆ムラがあっても構わないし、私からすると、墨入れをしたいとまったく思わない。それは墨入れをする必要を感じないからであり、筆塗りオンリーで塗装にムラがあるのを活かした方がいいな、と考えているからで、こういうのも私の美意識であり、「美学」なのかも知れない。
色に関しても、アクリジョンの筆塗り専用塗料6色だけでいいかな、と。6色を調色せず、そのまま使う。なので、色がかなり限定される。美意識とは、自分で限定していくことではないのか。その限定された手法(人生)の中で試行錯誤しながら表現して(生きて)いくのが美学とは言えないだろうか。

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