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2024年、描き(撮り)初め

ファイブスター物語のラキシス
こちらのプラモデルの箱絵を模写しました

最近、Instagramにプラモデルの完成写真を幾つかアップしたので、それらの写真を見ながら模写をしようと思ったのだけど、人物画が描きたくなったので、ファイブスター物語のラキシスを鉛筆で模写しました。

今年初描き。

鉛筆で線を引いていて、今朝、極面相筆でフィギュアを修正塗装したので、手先の感覚が極面相筆で細かい箇所を塗装する感覚と重なり、ようやく絵の描き方が分かりました。
鉛筆の先の角度、力の入れ具合、自分が描いていて心地良い塩梅。

模型の筆塗りは、3D塗り絵みたいな感じで、1年間、筆塗りを続けて、筆先の動かし方などが上手くなりました。
これは、絵画に通じるだろう、と思います。

撮り初めのスナップフォト

元旦、初詣に近所の神社に行きました。その時、良い撮影スポットを見つけて、撮りたかったのですが、iPhoneを家に置いてきたので、撮れませんでした。
先程、スーパーに買い物に出掛けようと外に出たら、快晴、さらに、真夜中に雨が降ったようで、地面が濡れていました。

雨上がりの晴天。

空気を透き通り、光が美しく、買い物袋を持ったまま、散歩がてら、初詣で見つけたスポットまで歩いて行って、撮影してきました。
建物の横側の壁の形と白色。緑色のホース。赤いコーン。さらに、電線の影。
私は2024年のベストフォトを、もう撮ってしまったようです。
思いの外、暖かく、歩いているとやや暑いぐらいでした。

元旦、地震、事故、どうなっているのだろう、と思いました。しかし、私は常に非常があると思っていて、それは写真に反映しているので、いつも通りに過ごしています。
平穏無事な日常は、幸運であって、ちょっとしたことで破綻をきたしてしまう危うく、儚いものです。

写真に感情が籠っているか、というような記事を読んで、写真における感情とは、撮影者と被写体の関係性から起因する機微なのですが、写真を見る側の感情をどのようにコントロールし、何を物語るかが写真でしょう。
写真とは、撮影者が被写体を通じて物語ることで、写真で物語ることが、撮影者自身を物語ることになるのです。
なので、被写体の感情もまた、撮影者が無自覚も含めて、物語ったものになりますが、時に写真は平気で被写体が撮影者の語りからはみ出します。
良い写真とは、或いは、良い文学とは、語り手が意図せず、語られる対象がはみ出て、存在そのものを露わにさせてしまい、語り手が刹那、不在になっているものです。

これは、分かりやすい例えで言えば、創作していてキャラクターが勝手に動く出すのと同じことだと思います。
もしくは、映画における俳優の演技、肉体性によって、監督が意図していた映画とズレる、とか。

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