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教育が好きだから教員を辞めた

2020年3月に小学校教員を退職して半年以上が過ぎました。

一人暮らしを終えて実家に戻り、時間的・精神的にも余裕ができたので、

自分の頭の中だけで考えていたことを文字に起こして整理したいな

そしてそれを読んだ誰かの役に立つといいな

そんな思いでnoteを始めてみました。

こういう記事を書いてみたい!というのはいろいろあるのですが

まずは、教員を辞めた理由についてしっかり振り返ってみようと思います。

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「どうして教員を辞めたの?」

周りの人から一番よく聞かれるこの質問。

「え〜辞めたの!?せっかく教員免許も取って正規採用までされたのに、もったいな〜い」

「辞めちゃったか〜、やっぱり学校現場はブラックだった?笑」

「辞めたのはまあいいとして、次はどうするの?」

いろんな言葉をいただきました。

「いや〜、思い切っちゃいました〜!」

「とても楽しいしやりがいもあったんですけど、やっぱり超絶ハードで〜」

「これからも教育の世界には携わっていきたいな〜って思ってますけどね〜」

みたいな感じで当たり障りなく返していました(すみません)

本当のところはこんな感じです。3つの思いがありました。

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①もっとシンプルに教育の仕事がしたい

教員が一番に大事にすべき仕事は「授業づくり」なんです。

だけど、やれ職員会議だの、やれ校務分掌だの、やれ事務整理だの、やれお手伝いだの

肝心の教材研究になかなか辿り着けない!!

しっかりと教材研究や準備ができた上で授業に臨めるのは、

年に数回ある研究授業(先生同士で授業を見合い、批評し合うやつ)や授業参観(保護者が見に来るやつ)ぐらい?

そのたびに子どもたちから言われるのです

「今日の授業、とっても楽しかったし、先生の気合いがなんか違った!」

くぅ〜〜!子どもたちよ、日々の授業でこのクオリティが出せなくてごめんね〜〜!

こういった悔しい思いを抱くのでした。

だからこそ、日々の仕事を全部きっちりこなそうと思ったら、

朝は6時半過ぎに出勤し、20時過ぎても終わらなかった仕事は家に持ち帰り、寝落ちするまで続ける。

そんな生活スタイルが定着してしまうわけです。

そしてそんな生活を繰り返していたら、人はこうなります

「え、この生活、いつまで続けるの・・・?」

20代独身、プライベート返上、だからなんとかやれてる。

でも私、結婚したいよ?子ども欲しいよ?そのためにもプライベート充実させたいよ?

だけど、子どもたちの成長に大きく関われる教員という仕事はとても好き。

そんな葛藤を抱くと、人はこうなります

「あー、もっとシンプルに教育の仕事がしたーい!!!」

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②私のアイデンティティよ、どこへ?

こんな働き方をしていると、当然心の余裕がなくなり、ボロが出始めます。

元々ミスが多いのに、さらに凡ミスが増えました。

とある人物(笑)との人間関係でさらに気力が消耗していきました。

ちゃんとしたいのにちゃんとできない自分のことがどんどん嫌いになっていきました。

発達障がいなんじゃないか?とセルフチェックを繰り返したり。

自己啓発本を買っては読み漁ったり。

そんな自分にも嫌気がさしてきて、という負のスパイラル。

「自分らしく頑張れば大丈夫!」

周囲からそう言われ、自分自身もそう信じてがむしゃらにやってきました。

その結果が

「あれ、私らしさって、なんだっけ・・・?」

すっかり自信がなくなってしまいました。

いわゆるアイデンティティの崩壊。

自分がわからなくなり、自分が本当にやりたいことまでもぐらついてしまっているのに、

学校では子どもたちの「先生」として存在している。

「こんな私がこのまま影響力のある立場でい続けていいのかな?」

そう悩むようになりました。

他にもいろんな悩みに悩みが塗り重なって

頭の中ぐちゃぐちゃ。

悩みの総合デパート

まさにそんな感じでした(誰も行きたくない)

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③私、北欧に行きたい!

「今の自分を変えたい!どうにかしたい!」

日に日に増していくこの思い。

「自分を変えるには環境を変えるしかない!」

そう思って初めは教育系のNPOや企業を中心に転職を考えていましたが

ある日、父に言われました。

「環境を変えたいなら、日本にこだわらんでいっそのこと海外に留学したらどがんね?」

「え、海外!?」

その言葉が私に火をつけました。

「そうじゃん!!その手があった!!私、北欧に行く!!」

「え!?!?!?(冗談で言ったのに!)」

急なギアチェンジ。

なぜ北欧?と聞かれると話が長くなるので簡単に言うと

◆個の学力と幸福度が両立した教育であること
(この教育観日本にも欲しいなあ)

◆教員のワークライフバランスが整っていること
(シンプルな働き方いいなあ)

◆そもそも北欧のモノが好きだったこと
(マリメッコとムーミンとシナモンロールだーいすき)

このような理由で前々から強い興味を持っていました。

「社会人として働いている以上、これからも働き続けなければならない」

そういった思い込みで、転職以外の道を考えてもいませんでした。

だけど何気ない父の一言で

「一旦社会から離れて異世界に飛びこみ、自分が学びたいことを学んでいろんな経験をする」

こんな道もアリなんだということに気付きました。

一度立ち止まって「自分」とじっくり向き合いたい!

そしてそのヒントが北欧にはあるかもしれない!

そんな直感が私を動かし

「よし!私、教員辞めて北欧に行くぞ!」

2019年12月に訪れた、大きな転機でした。

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それからは留学関係のことはトントン拍子に進んで行きました。

ただ、退職をめぐっては、ちょっといろいろありました笑

その時その時はもう本当に腹の立つことばっかりだったけど

私には留学が待っているんだ!というワクワク感

そして、最後の年は6年生を担任していたので、子どもたちを立派に巣立たせるんだ!という使命感

それらをモチベーションに乗り越えていきました。

思いもよらぬコロナのせいで、いろいろ計画が狂ってしまったものの

最終的には達成感を抱きながら教員を退職することができました。

本来であれば、7月には留学予定でしたが

案の定、延期を余儀なくされました。

しかし、そのおかげで留学についてもう一度ゆっくり考えることができました。

初めは「教員」として北欧教育を学びたいという気持ちで

フィンランドの小学校でインターンをするつもりでいました。

しかしそのうち、私自身が北欧教育を受けたい!という気持ちになり(笑)

どうせなら北欧ならではの教育機関に通ってみたいということで

最終的にデンマークのフォルケホイスコーレ留学を選びました。

これ以上予定が狂わなければ2021年1月に出発です(コロナ空気読んでくれよ)

正直、この決断をするまでに

いろんな人に心配や迷惑をかけました。

実際に心残りなこともあります。

当時私はだいぶTwitterをはけ口にしていて、本当にみっともなかったなあと思います。

でも唯一の救いだったのは、

どんどん塞ぎ込む私の様子を見て、

一緒に泣いてくれたり、

励ましてくれたり、

ご飯に連れ出してくれたりした

先輩の先生方や友達、家族がそばにいてくれたこと。

本当に心の支えでした。

先輩の先生方とは、辞めた今でも定期的に会ってお互いの近況報告会ができているのでとても嬉しいです。

あとはなんといっても、私の思いを尊重して、次の道へと背中を押してくれた家族には感謝してもしつくせません。

選んだ道を自分で納得しながら進み、充実させていくことで

私なりの誠意を見せていきたいと思っています。

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教員という仕事を経験したから、自分の未熟さを痛感しました。

自分の未熟さを痛感したから、自分を変えたくなりました。

自分を変えたくなったから、環境を変えたくなりました。

環境を変えたくなったから、海外留学を選びました。

今はここでストップしているけど

海外留学を選んだ先に何が待ち構えているのか

北欧教育を通してどんな自分らしさが確立できるのか

自分がどんな道を見つけるのか、楽しみです。

教育が好きだからこそ、自分が大切にしたい「教育のカタチ」を追究していきたい。

自分の生き様、経験で人の心を動かすことができるような人になりたい。

自分と似たような境遇に陥ってしまった人の未来を明るく照らしてあげられるような存在になりたい。

具体的なプランはこれからですが、

今のところは、そんな風に考えています。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

いやー長い!気が付いたら4000字!

でも大学時代の4000字レポートに比べたらあっという間やね(一緒にするな)

こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。

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