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その行事は、必要?行事の疑問とコロナ禍であらためて気づく子どもの育ちに必要なこと【保育者雑記】

こんにちは。
子育てブログを運営している“ねこみに”といいます。よろしくお願いします^^
幼稚園や保育園には色々な行事(=園行事)があることをご存知な方が多いと思いますが、今回は『その行事って、本当に必要?』という視点を深堀りしてみたいと思います。
まずはじめに、どうして園行事なのかという理由をカンタンにお話します。
理由は3つあります。

理由① 園行事には、子どもの育ちにとって必要な要素が含まれているかという疑問
理由② 行事を通して積み重ねた教育(保育者の労力)は、子どもの成長や育ちに繋がっているかという懸念
理由③ 2020年以後コロナ禍という社会変化によって簡素化や省略化された行事は、従来と比較してどんな結果をもらたらしたか

さまざまな意見はあると思いますが、あくまでも私自身の経験や本やメディアなどの情報に基づいてまとめています。
実は今回の記事は、ここ1、2年の私の思いや考えをドカンと込めました。笑
正直書き足りないくらいですが…(そこはおいおい)
とはいえ、保育者一人の声としてつづりましたので、興味のある方はぜひ続きをご覧ください。
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園行事といえば、各園の特色が顕著にでます。
・運動会は伝統の鼓笛披露!
・生活発表会の衣装は子ども達が作る
・毎年恒例!父母の日や誕生日会の参観 etc
幼稚園や保育園などがもつ特色や保育方針は、行事に反映され、園行事は子どもの健やかな成長を願い、1年・2年・3年…という年月を通して設定されてるイベントのような存在なのです。
実はその園行事が、子どもの負担になっているという話を聞いたことはあるでしょうか?
例えば
・やらなければいけない同調圧力
・子どもの意欲を置き去りにした行事内容
・第一目的が「保護者に見せる」になりがち

行事の規模や縛りが大きくなるほど、
子どもや保育者のやるべき事が増えたり、何かを待つ時間が増えたりと、
しわ寄せは子どもにいくことも多くなりがちです。
(もちろん全ての園に当てはまる訳ではありません)
✔️懸念すべきは、子どもの成長を願う行事が、成長を妨げてる場合もあるということ
さて2020年。コロナ禍による大きな社会変化が起き、保育現場も従来通りにはいかない状況となりました。活動内容が一変。
行事の削減や縮小は実行され、分散登園や保護者入室禁止などの制限が設けられました。今までの「当たり前」が禁止されるようになったのです。
保育というのは、人と人の繋がりがあって成り立つ場所だけに、当時の現場は大きな混乱を招きました。
また行事の削減や縮小に合わせて保護者が入室禁止となれば、これまでの行事はなんだったんだと思うほどのあっけなさを感じることも。
しかしながら、余計なものが削ぎ落とされ、本来の活動の意味を再認識できたのも事実でした。
そしてこういう状況の中でも、変わらないこともありました。
それは、子どもの育ちでした。
世の中にどんな変化が起きようと、
子どもの発育や発達は、今までと変わらない成長をみせてくれました。
当然、コロナ禍による生活変化の影響は受けていますが、
相変わらず子ども達は自分の興味関心を見つけたり、決めたことにひたむきに取り組もうとしたり、友達と意見が食い違って言い合いをしたりと、
そこに今までの「当たり前」があったのです。
この機会にはっきり分かった事は、
どんなに周りの環境や生活が変わろうと、本質は変わらないということ。
保育・教育現場における本質とは、子どもの育ちそのものである。
そして、その育ちを支えてサポートしていくのが、本来の保育・教育の役割。

コロナ禍をきっかけに、再認識することができました。
前置きが長くなりましたが、
冒頭に書いた3つの理由に沿って話をすすめていきます。
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目次

  1. 理由① 園行事には、子どもの育ちにとって必要な要素が含まれているのかという疑問

  2. 理由② 行事を通して積み重ねた教育(保育者の労力)は、子どもの成長に貢献しているかという懸念

  3. 理由③ 2020年以後コロナ禍という社会変化によって簡素化や省略化された行事は、従来と比較してどんな結果をもらたらしたか

理由① 園行事には、子どもの育ちにとって必要な要素が含まれているのかという疑問

我ながらちょっと変な言い方だとは思うのですが、
園行事には子どもの育ちに必要な要素が含まれているのでしょうか。
まず園行事の意味や目的とは何か?と考えると、
それは『日常の延長線上にあること』だと捉えています。
また子どもの育ちに必要な要素とは何か?と考えると、
それは日常の延長線にあることに加えて子どもが主体的である』と捉えています。
さらに、園行事とは園生活の全ての活動の集大成となったり、日々の季節を感じる機会になったり、心豊かな経験をする活動になったりします。
ひと言でまとめるなら、園行事とは「こどもの心身の成長を促す活動」なのです。
✔️いきなりですが、みなさんは『幼稚園教育要領』というものをご存知でしょうか。
保育関係者の方には知らない人はいないと思いますが、いわゆる幼児教育の要
幼児教育とはなんぞやという教育の基本や教育課程がまとめてあるものです。
幼稚園教育要領とは、国立・公立・私立の全ての幼稚園の共通の教育指針です。
保育園・こども園においても、この幼稚園教育要領に沿って保育・教育方針をつくられています。


その幼稚園教育要領の中に『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』というものがあります。全部で10個です。
さくっと書き出してみます↓
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健康な心と体
自ら健康で安全な生活をつくり出す
自立心
自ら諦めずにやり遂げる。達成感や自信
協同性
友達とかかわり共通の目的実現に向けて、充実感をもってやり遂げる
道徳性・規範意識の芽生え
友達と様々な経験から学び。決まりを守る必要性が分かるなど
社会生活との関わり
家族を大切にし社会とのつながりを意識
⑥思考力の芽生え
→身近な事象や友達の考えからの影響で発展
自然との関わり・生命尊重
→命あるものとしていたわり大切に関わろうとする
数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚
→遊びの中から学び、興味関心感覚をもつ
言葉による伝え合い
→豊かな言葉や表現を身につけ、言葉の伝え合いを楽しむ
豊かな感性と表現
→様々な素材の特徴や表現の仕方に気づき、表現する喜び
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たくさんありますね!
こちらの記事でもまとめています。


記事は要約しているので、ちゃんと本文を読みたい方はこちらからどうぞ↓

✔️幼稚園教育要領


✔️幼稚園教育要領解説(※保育所指針・幼保連携型認定こども園教育も含む)


※ちなみに『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』とは、幼稚園だけでなく保育園や認定こども園の共通の指針とされています。
この『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』の全文を読むと、「自ら」という言葉が書いてあったり、さまざま経験を通してという過程に重きをおかれていたりします。
やはり園生活は子ども主体であることが望ましいということ。
本文中に押し付けや強制的にやらせる一文はひとつもありません。
主体とは?
『自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの』
(引用元/goo国語辞典)

先ほど「園行事の意味や目的は日常の延長線上」と書きました。
園生活の先に行事という少し特別な場があり、そこに向けて一つ一つの活動の中に子どもの主体性がなければ、その園行事は子どもの意思や成長を置き去りにした活動だとも言えるのです。
何のための行事なのか?子どものどんな育ちを望んで取り組む行事なのか?
そこを明確にして、行事の目的と子どもの様子に合わせたプロセスを踏んでいく必要があると考えています。

理由② 行事を通して積み重ねた教育(保育者の労力)は、子どもの成長に貢献しているかという懸念

例えば「先生」というと、こんな姿を思い出すことはありませんか?
・大声で子どもたちに「うるさい」「静かに」と怒鳴る
・活動に意欲がもてない子に対し強制的に参加させようとする(または「やらなくていい」と声を掛け、一時的に排除しようとする)
もしかしたら、みなさんの中にもネガティブな記憶として残っている人もいるかもしれません。
実はあまり大きな声で言いにくいのですが、とくに運動会や発表会などの練習において、そんな保育者の姿がしばしば見られることがあります。(もちろん全てじゃないです!園や先生によります!)
そもそも先生はなぜ「うるさい」と怒ったり「やらなくていい」と排除したりするのでしょうか?
個人的な意見としては、保育者の怠慢ではと思うのです。

なぜかと言うと、怒ったり無理やり何かをさせようする保育者の行動の裏には、子どもへの支配や言うことを聞かせたいと言う目的があるように感じるからです。

それでは『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』からほど遠くなってしまいます。『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』を目指す教育プロセスとしての行事の存在が、先生の指示に従うための存在になってしまうからです。
ただ、先生側にも少し擁護すべき点もあります。
それは、そのような指導法が自然と受け継がれている背景があったり、保育者に対して抱えている子どもの人数が多過ぎたりと、中には運営上の問題もあることも事実です。
とはいえ、それは良いことではありません。
日頃から保育者は、子どもの教育のためにたくさんの労力を使いますが、
その貴重な労力は、子どものどんな成長や教育に結びついているかと保育者一人一人がもっと考えるべきだと思うのです。
同じ労力を使うなら、子どもの教育に貢献できる労力を使う(少し変な言い方ですが)。そんな視点は重要だと思うのです。


さて、これまで幼稚園教育要領『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』を紹介してきました。
✔️幼稚園教育要領


本文を読むと、保育者が感情任せに怒るのは意味がない事だとよく分かります。
むしろ怒ることで対応や解決をしようとしても、子どもはのびのびと主体的に育つことはできず、逆にトラウマや萎縮するなどの害悪になってしまう。
強制的に何かをさせたり、怒ってその場を抑え込もうとするのは、他に解決法を考え出そうとせず、子どもの気持ちに寄り添って工夫しようとしない保育者の怠慢というのも否めません。
目指すべき保育・教育とは、保育者の個人的な経験論でもなく、歴代のやり方を受け継ぐものでもなく、『幼稚園教育要領なんだ』という視点がとても大切なのです。

保育に迷った時、この園や先生で大丈夫かと不安になった時に、この幼稚園教育要領を読んで振り返ってもらいたいと心から願います。
まだ読んだことがない方は、ぜひ一度目を通してみてください!日々改訂もされているので、アップデートされたものを手にとってみてくださいね。

理由③ 2020年以後コロナ禍という社会変化によって簡素化や省略化された行事は、従来と比較してどんな結果をもらたらしたか

2022年春、新型コロナウイルスの感染拡大の影響は社会に大きな変化を伴いました。それは保育の業界も同じでした。
私自身も「長期休園」という措置をはじめて経験しました。
さっそくですが、コロナ渦よって起きた保育の変化を以下に書き出してみます。
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・休園
・分散登園
・保護者の入室制限
・ソーシャルディスタンス
・大集団での集まり禁止
・行事の削減や縮小
・昼食や昼寝の形式変化
・歌を一時中止
・園外保育禁止
・ICTの導入
・手洗い消毒の徹底
・マスク着用
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まだ他にもあるでしょうし、各園によって違いがあります。
その中でも「行事の削減や縮小」について。
民間団体の調査において、新型コロナウイルスの影響で保育園行事など約9割が減ったという記事を見かけました↓


この記事には「行事など」と記されてるので、実際には行事以外のことも含みますが、ほぼ全ての園で行事の削減や縮小は実施されたと言えます。
幼児教育の鉄板の行事といえば「運動会」「発表会」「保育参観」がありますね。
これらの行事は、中でも比較的影響が大きかったのではと考えています。
また「保護者の入室制限」では、保育参観を中止にする園も多かったことでしょう。
ただ、子どもの普段の様子を直接見られないのは、私自身保護者の一人として気になる部分ではありました。
✔️みなさんは、そんな行事の変化についてどう感じましたか?

個人的な意見としては、
必要なこと不要なことが浮き彫りになった」でした。
なぜかと言うと、これまで「何でこの活動があるのか」「もっとこう変えたらスムーズなのに」と疑問に感じても変えられなかった事がこれまでも沢山あったからです。
保育現場はどちらかというと、アナログな性質があります。
そのため「非接触」「ソーシャルディスタンス」という新しい生活様式の対応を迅速に行う必要がありました。
たとえば、紙の配布物・保護者の出入りなどがそこに当てはまりますね。
さて、よくある園行事「運動会」「発表会」「保育参観」3つの行事を例にあげてみましょう。従来とコロナ渦を比較した一覧表をご覧ください(※拡大できます)


園によって違いはあります。個人的に把握している情報からまとめているのでご容赦ください。
それでは、コロナ渦による簡素化や省略化された行事は、従来と比較して主にどんな結果をもたらしているでしょうか。
いくつかを書き出してみました。

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運動会
・簡素化によって華やかさはなくなったが、他の競技を待つ時間が減って子どもに無理のない開催が可能になった
・開催時間が短くなったことで、保護者の負担も減った。同時に保育者の負担軽減にも繋がった
・人数制限を設けることでゆったりと観ることができるが、家族全員での参観は難しくなった
発表会
・飛沫の原因になる合唱の発表ができないなど、
従来の発表内容を変更する必要があった
・運動会とは違って熱中症の可能性は低いため、マスクを着用して舞台に出る必要もあった
・室内での開催になることが多く、感染を防ぐための環境整備に細心の注意を払った
・入れ替え制やソーシャルディスタンスを保つことで、保護者がゆったりと観覧できる環境をつくることができた
保育参観
・中止や制限を設けて開催する園が多かったが、感染状況に応じて地域によって差が大きかった
・保護者の人数制限をすると共に各学年・クラスで日時を分散して対応する園が多く、比較的アットホームな環境でゆったり参観できるようになった
・室内での参観では「三密」を徹底して避けてる意識の定着に繋がった
・リモートや動画を取り入れて、保育の様子を観覧してもらうなど参観の仕方が多様になった
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この記事を書くにあたり、各園の取り組みをリサーチさせてもらいましたが、各園ではさまざまな工夫をしていることが本当によく分かりました。
日本に脅威と言われるウイルスがやってこようが、結局のところ発表されている政府の情報等に基づいて、各々で試行錯誤してやっていくしかないんですよね。
感染対策や対応は各園によって違いはありますが、住んでいる地域によって制限を緩和して開催されている印象でした。
又、保護者の声をまとめてある記事を見つけたので、参考までに載せておきます↓


こうした行事の開催は社会情勢を考えると仕方ないとはいえ、園の対応に対して保護者の反応もさまざまです。親としての思いはまた別物だなと感じます。

ほかにコロナ渦の変化から学んだことは、
子ども・保護者・保育者の3本柱が揃って成立するということでした。
このたび保護者の人数や入室制限があったため、特に2020年度は保護者の存在が比較的希薄な雰囲気が漂っていました。(疎かにしてるという意味では全くありません)
それは「保護者の目」が足りないことを再認識したのです。
「保護者の目」とは、保護者の送迎や出入り、行事の参観などを通して、子ども・保育者・園の様子をよくみてもらうこと。必要があれば意見してもらうこと。
ここは、本当に大切な事だと改めて思いました。
大切なお子さんをお預かりしているわけですからね
一時期「モンスターペアレント」などという言葉が一世風靡したことがありますが、保護者としての意見は、ちゃんと持って伝える必要があると思います。
園や保育者のやり方が全て正解ではないですし、共に子どもを育てるパートナーなので。
またコロナ禍では「ソーシャルディスタンス」とか「非接触」という言葉も目立ちましたが、保護者と保育者が直接会話するなどのやりとりは、やっぱり欠かせません。
それは単に話の内容が伝わればいいわけじゃなく、そのやりとりを通して築いていく関係があってこそだと、ここも改めて実感しました。
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さてここまで、
『その行事って、本当に必要?園行事の疑問とコロナ禍で再認識した子どもの育ちに必要なことを考えました』
についてまとめてきました。
冒頭にも書きましたが、
どんなに周りの環境や生活が変わろうと、本質は変わらない。
それは、まさしく子どもの育ちです。
社会情勢が一変して、皆本当大変だったけれど、
本当に必要なことを教えてくれたきっかけでもありました。
この教訓を無駄にしないように、
保育・教育現場では日々邁進していく必要があります。
そして保育者一人一人が日々の保育活動に客観的な視点をもって向き合っていく必要があります。
こういった内容の記事を書くのは初めてだったので、至らない点もあったでしょうが、最後まで読んでいただき感謝です!
ありがとうございました。

✔️幼稚園教育要領


✔️幼稚園教育要領解説(※保育所指針・幼保連携型認定こども園教育も含む)



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