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七草粥、一体どこまで美味しくなるんだこの先

お正月っぽい(?)アクティビティとして先日、食べ物以外の話をするnoteを作ってみた。


たべもののはなしのおかげで随分書くことが楽しく好きになり、好きな食べ物というテーマを外したときに見える広い景色の中でも何かを書いてみようとかねてより思っていたのだが、新しいことをするならお正月に🎍ということで作ってみた。ワクワクしている!これからもたべもののはなしを続けていく傍ら、たべもの以外の話も書いていきます…よろしければぜひ、お時間のあるときにお楽しみいただけましたら幸いです(こちらからもご覧いただけます🙇‍♀️)


いつも読んでくださりありがとうございます。

さて今日は、七草粥について。
クリスマスから続く赤白黒金!!!豪華イェー!!!の連チャンの果てにあるグランドフィナーレがよもやこんなに優しい食べ物とはねと毎年思うのだけど、同時に食するたびにこんなに美味しかったっけ…?とも思うのだ。

私はもともとマジで濃い味高カロリー至上主義で、「あっさり」「さっぱり」の需要って本当にあるんだろうか…?と、あっさりさっぱりファンの皆様の敵に自ら進んでなっていくみたいな生き方をしてきてしまったのだが、加齢と共に優しいお味付けに対する心がほぐれていっていることもあるのか単純に胃が求めていたのか、今朝食べた七草粥が美味しすぎてうるっときたのには我ながら驚いた。あっさりさっぱり、染み渡るみたいだった。

長く厳しい冬と和らぐ寒さの間にある優しい植物たち。近年スーパーや八百屋で春の七草パックが売られていて、小さいパックにぎゅ、と入っている様子は愛おしい。今年もそれを買ってこしらえた。
去年は確か中華風にしたいと思い、鶏がらスープの素とちょっぴり胡麻油を垂らして作ったっけ。それはそれでとても美味しかったが、今年はシンプルに行こう。生米をコトコトにてふつふつ花が咲くみたいになったところに七草を入れて、味付けは屋久島のアゴ出汁と岩塩。それだけ。極めてシンプルだからこそ、草というか野菜たちの滋味を感じる。どこまでも優しいのに生命力に満ちているような、不思議な感じ。そういえば白米で作っていたこともあり、雪を掻き分けて芽吹いたみたいな見た目をしている。あぁ、春。春は来るのだ。

毎年美味しさを更新している気がするが、それは七草粥側ではなく私が変化しているのだろう。ずっと変わらず同じ食べ物を好きではあるが、同じ時間の中で変わりゆく自分というものも確かに存在する。年に一度というのはその移ろいを可視化してくれるにはちょうど良い周期なのかもしれない。

春の七草、という言葉が好きだ。
長らく気づいていなかったのだけど、せりなずな…というアレ、詩になっているのですね。
オワッ5・7・5じゃん!!と思った時は爆震えたものの、どうやら常識だったっぽかった(ちなみに私はこの手の気づきに本当に疎くて、君が代も詩だったことにきづいたのずいぶん後になってからだった)。

大人になるって、良いこと。
知らないことを知って、好きな食べ物を何度でも再発見できる。戻れない過去たちに裏付けられた、今ここにいる私の変化。どうせ未来に行くならば、美味しく楽しく健康に!今年もまた"今までで一番美味しい"を更新した七草粥、この先一体どこまで美味しくなってしまうのだろう?

そんなことを思いながら食べる七草粥はつくづく美味しかった。良いお正月だった。

七草粥、大好き。
今年もよろしくお願いします!

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