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フィリピンでの2年間で僕が得た2つの「大切な気づき」

こんにちは。

先日一部でお知らせしましたが、日本への本帰国と、フィリピンには戻らないことが決まりました。

現地でのコロナによる影響が大きく営業活動が一切できないことから、親会社が殆どの人員を削減することを決定し、それに伴い自分も立場上退任せざるを得ない状況になったのが本帰国の一番の理由です。

また、フィリピンでの医療体制が不十分で、フィリピン現地で患った病気の治療のことを考えると、日本に留まった方が良い、というのも理由の一つです。

元々、数年間はフィリピンという土地でしっかりと根を張り、現地の経済成長に貢献することで母国日本へ恩返しをしたい、という思いでいたために、正直不本意ではあります。

ただ、フィリピンでの2年間は僕にとって非常に濃密な時間で、数多くの学びがあり、時間が経てば経つほど「やはり行って良かった」と思えてきています。

今日はその学びの中で特に重要だと思うものを2つピックアップしたいと思います。この2つは「現地に住んで本気でビジネスに取り組んだ」自分だからこそ書けることだと思いますし、この記事を読んでくださる方の何かのお役に立てれば嬉しいです。

はじめに

まず、フィリピンの人たちの仕事ぶりについて、あくまで一般論を述べたいと思います(つまり全ての人に当てはまるわけではありません)。

フィリピンの人たちは、必ずしも「自ら考えて動くこと」が得意な訳ではありません。しかし「言われたこと(特に単純作業)を従順にこなす」ことは得意です。また、彼らには「英語力」という武器があります。

こういった背景もあり、フィリピンは世界で最も「海外への出稼ぎ(現地では「OFW(Overseas Filipino Workers)」)」を供給している国の一つで、OFWたちは特に海外のサービス業や福祉関連(観光業、宿泊業、家事手伝い、清掃、肉体労働系、介護、看護など)において活躍の場を広げています(但し現在はコロナ禍の影響で多くの出稼ぎの人たちはフィリピンに帰国している)。

その反面、企画や戦略を考えて大きめのビジネスを動かす「頭脳労働」が一般的に不得意とされ、実際に納期に間に合わせたり時間を守ったりすることが少なく、またアウトプットの質も決して芳しいものとは言えない状況を、僕自身も実際にこの目で見てきました。

ここまでは、東南アジアのビジネスに携わる日本の方々にとっては「あるある話」として良く知られているかと思います。

①「許すことの大切さ」

しかし、僕が現地に住み着いて、彼らが凄いなあと思ったのは、「受容力」や「許容性」がとても高いことです。

例えば誰かが仕事上でミスをした時、日本では上司が部下を怒りつけるのがまだ一般的です(人前でも平気で怒ったりする人がまだ多くいます)。しかし、フィリピンでは怒ることはおろか、叱ることはほぼありません。特に彼らはプライドが高く、人前で叱ったりしようものなら、即労働局に訴えられて上司や使用者が罰せられることがあります。

叱らない理由は様々なものが考えられます。僕は以前、「フィリピンでは親が子を叱りつけて育てる習慣がない、という教育背景だったり、国民の93%がキリスト教徒という宗教背景が関連していると考えていました。

しかし、従業員たちにその辺りを聞いたところ、「それもありますが、一番はやはり叱られて良い気分になる人はいない、ということだと思います」という答えが返ってきました。

その時、自分は気づきました。「人間、誰でもミスするのは当たり前。だから、それを許すのは当たり前だし、許せなかったらとても生きづらい社会になってしまう」と。

僕も、日本にいた頃は部下を叱りつけてしまい、当時の部下たちに不快な思いをさせてしまったと思います(その人たちには本当に申し訳なく思っています)。しかし、フィリピンで「許すこと」の大切さを教えられた気がします。

僕は、大幅なダウンサイジングは親会社が決定したこととは言え、彼らの雇用を守りきれなかったことに大きな責任を感じていました。僕は一人一人に謝罪し、その時は流石に大きな非難を浴びることも覚悟していました。

ところが、誰一人僕のことを非難する人はいませんでした

フィリピンでは、特にこのご時世においては職を失うと次を見つけるのがなかなか大変です。

フィリピンで触れた「許容性」を日本でどれだけ再現できるか分かりませんが、特に社会的ハンディキャップを持った人たちも生きやすい社会にするためにも、この気づきを価値あるものに昇華していきたいと思います。

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②「楽観的になることの大切さ」

前述のとおり、従業員たちの多くは親会社から解雇を通告され、安定した職を失った状態にあります。

彼らの再雇用のサポートを日本にいながら試みましたが、やはり現地にいないとやれることに限界があり、ほんの僅かなスタッフの再雇用しか実現できませんでした。

彼らは、さぞこのコロナを恨み、今後の先行き不透明な状況を不安視しているだろう、と思っていました。フィリピンでは2020年7月の失業率が45%を超えると言われ(引用: NNA記事 https://www.nna.jp/news/show/2082375 )、再就職先を見つけるのは極めて困難な状況です。

ところが、彼らの口から出て来たのは意外な言葉でした。

「私たちは苦難な状況に慣れているし、仕事が暫く見つからなくても生きていける」

「家族みんなで助け合っていけば大丈夫」

「私たちフィリピン人は強いから、心配しないでください。それよりも、日本もコロナで大変だと思うので、健康と幸運をとにかく祈っています」

「生きていれば、何とかなりますよ」

彼らにとって、仕事はあくまで生活や人生の一部でしかなく、家族との時間を第一に考えています。そこに彼らの底知れぬ楽観的思考の源泉が存在しているのかな、とも思います。

日本には、まだまだ「仕事中心のライフスタイル」が蔓延っていると感じています。勿論仕事は重要。しかし、仕事は変えられるけど、家族や自分の人生の時間はかけがえのない存在

これからの先行き不透明な時代は、仕事で稼いだお金で生きていくのと同時又はそれ以上に、家族や仲間と助け合いながら生きていくことが重要になってくるかもしれません。

最後に

僕は、Withコロナ、アフターコロナの時代の在り方を、フィリピン現地の人たちから教えられた気がします。もしかしたら、そこにフィリピンへ行った意味があったのかも、と思うくらいです。

今年、TBS系ドラマ「半沢直樹」が再び大ヒットしたのは記憶に新しいかと思います。いくつかのキャストの立ち位置や業務内容などに共通点があったことから、僕も日本に帰国してからこのドラマの展開に釘付けになりました。

最終回、半沢直樹の妻・花が、地方への左遷や解雇の可能性を感じた直樹に対して伝えたのが、

「何があったか知らないけどさぁ、もう頑張らなくていいよ。直樹、今までよく頑張ったね、ありがとう。 お疲れ様。仕事なんかなくなったって、生きてればなんとかなる!」

まさにこの言葉こそが、これからの時代を生きていく人たちに必要とされる考え方と感じました。

日本人の我々は、これまで頑張りすぎるほど頑張ってきたと思います。けれど、頑張ることだけで報われる時代は、もう終わりに近づいているのかもしれません。

これからは頑張ることだけでなく、助け合って、認め合って、許しあいながら生きていける、優しい社会を形成していく必要があるのかな、と思っています。

フィリピン企業の代表としてのキャリアは道半ばで終わってしまいました。しかし、「一つのドアが閉じれば、また別のドアが開く」と言われるように、これまでとは違った生き方を構築していく、そんな2021年にしていけたらと思っています!

激動の2020年になりましたが、残り少ない今年、みなさんにとって少しでも明るいニュースが届きますように。

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