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フレップ主催「不登校についてのシンポジウム」に出て学んだこと#1

不登校生徒の良い支え方とは、一体どのようことなのか。
5月5日八王子開催のフリースクール「フレップ」が開催したシンポジウムでは、代表の朴さん、スピーカーで不登校生徒であった経験を持つ、現在看護師の海老原さん、フレップに通う生徒のみなさんが不登校生徒の現実を語った。

早速だが、皆様は上の問いにどのように答えるだろうか。

筆者は教員だが、この問いに対する明快な答えを持ち合わせていなかった。
世の中に不登校生徒が数多く存在していることから、ひょっとしたら、多くの先生方も私と同じく、良い支え方を実践できていないのかもしれない。
穴があれば入りたい思いであるが、押し殺してシンポジウムに足を運んだ。

朴さんの発声で始まった会は、早速スピーカーの海老原さんによる体験談へと移行した。そこでの冒頭での話が私を絶句させた。

海老原さん曰く、不登校生徒を支える人々の多くが、この3つを犯してしまっているとのことであった。

私は絶句したが、皆様はいかがだろうか。
不登校生徒を学校に復帰させるべく、あれこれしていないだろうか。

それは不登校生徒にとって、本当に良いことだと断言できるだろうか。

もちろん本人が望んでいるならば、復帰できるように方針決定しても良いだろう。
だが、学校に行かなくなっているのには表に出にくい訳があるのだ。

私は教員であるが、あるクラスの担任をしていた時、不登校になった生徒がいた。
学校側はもちろん、生徒に学校に来て学んでいただきたいと心から願っているわけであるから、「無理して今は学校にこれなくても、少しずつ・・・」なんて電話では話しつつも、なんとか来てもらおうとする。
私も、あれこれと策を講じて、「その子のことを思ったサポートを!」と意気込んでいた。

納得される先生方もいらっしゃるのではないかと思う。

海老原さん曰く、生徒に応じたゴール設定が最も重要であり、その子が安心して、その子らしく生活を送れることこそがゴールである、とのこと。
まさに青天の霹靂であった。

海老原さんの話は、実際に起きた体験談に続いた。

海老原さんは学生のころ、クラスの問題や先生の言動を理由に不登校になった。ただその後の先生や周りの対応から違和感を感じたという。

先生やカウンセラー、友達の誰もが、そこまでに起きた問題を解決しようと力を合わせたのだ。これも現場では起こりやすいことである。

海老原さんは「当時の私は問題を解決したかったわけではない。なぜならすでに起きてしまい、ストレスを過度に感じ、すでに私が考えたことは深く頭の中に残っているから、ここからうまくクラスに戻れる訳が無い、と考えていました。」

問題を解決すれば学校に登校するだろう。

これは保護者や教員、友達のみんなが無意識のうちに前提としていることではないだろうか。

会の中で、実際に現在不登校生徒である生徒が口を開いた。

なんでも、その生徒によると、学校の先生に家まで押しかけられ、学校に来るよう説得されたとのこと。
多くの言葉かけをしていただいた、とのことだが、その中に下のようなものがあった。

将来困るから学校にいくのだろうか。その子の将来の何を我々は知っているのだろうか。一般的な人生のあり方など、この先行きが見えない時代に教員が言えるのだろうか。
もはやこれは枠にはめる行為に他ならないのではないか。

筆者に関して言えば、生徒が学校に来られないと、完全に将来困ってしまうだろうと考えていた。もはや入る穴が見つからなかった。

その生徒さんは、こう行った学校のアプローチに参ってしまったそうだ。

さて、ここまでですでに私はお腹いっぱいになりつつあったのだが、海老原さんはここで「心の土台」モデルの話を切り出した。

不登校生徒は、良い状態になるまでにはまず、心の土台をしっかりと築かねばならないというのだ。

学校を休みがちの生徒に対して、「こんな魅力的な授業や行事があるから、学校に来ない?」と電話をかけた経験が筆者にはある。

この図の自分を保つ力は、一見「自己肯定感」と表現されるものだと思われるかもしれない。だが自己肯定感よりも少し弱めのレイヤーで、最低限自分に何かを付け足していく、生活をできるためのものが、この自分を保つ力だ。

不登校生徒の多くがこの自分を保つ力が枯渇しているというのだ。

それゆえに、教員や保護者にどんな魅力的な投げかけをされても入ってこない。
学校には行きたいし、毎日朝起きて準備をするが、いざ家を出ようとするとお腹が痛くなる。
そんな経験を海老原さんはしたそうだ。

なぜ自分は学校にいけないのか。
海老原さんは自分を深く掘り下げ、過去の自分の状態から次のことを見出したという。

不登校生徒は学校で起きることの多くで自分を保つことができない。
ゆえに不登校となっていて、場合によっては不登校であることに安心することもあるとのこと。

少し状態が良くなってきたら、もう大丈夫とたかをくくって、グイグイクラスに引っ張っていく先生や友達がいるそうだ。(耳が痛い・・・)

たとえ調子が良くなったとして、保健室登校やクラスに少し顔を出したからと行って、その場所が「自分を保てる場所」ではないことを知っておかなければならない。

では一体、どのような場所が、自分を保てる場所だというのか・・・。

もう会場は海老原さんの話を食い入るように聞いている。

海老原さん、そして不登校の生徒たちの話によると、調子が良くない、学校にいけない、でもこのままでいいとも思っていないが、動けずにいる、みんなと違うことに焦りも感じるそんな自分が、受け入れられ、ありのままでいられる場所が自分を保てる場所であるというのだ。

状態が良くなっていく不登校生徒はこの場所を見つけている。

ある子は保健室、ある子はフリースクール、またある子は違う学校。
何れにせよ、ありのままの自分が受け入れられると認識できる場所に出会っているというのだ。

そういう子だけが自分を保つことに成功し、学習や人間関係を育むフェーズへと移行している。

この点に関しても経験上合点が行く。
なるほどここまで言語化されて初めて、教員としての経験で何が起きたかが理解できた。

だがしかし、では一体どうやってそのような場所たり得るのか。

海老原さんはスピーチの最後にこうまとめられた。

冒頭あったこれらの前提を破棄し、以下を実践すること。
朴さんは、これを一言で「待ち力」と名付けた。

その生徒がどんな状態でも感情的にならず、受け入れてあげること。

その状態に対して、この選択肢だけでなく、こんな選択肢もあるけど、どれが良いか?と聞いてあげること。

そして選んだ選択肢を大事にして、しっかりと待ってあげること。

仮にその選択肢が実現できなくても、何も選ばなかったとしても、また受け入れてあげること。

これらの対話があって初めて、「この人になら・・・」と心を開いてくれるというのだ。

本来先生だけでなく、大人はこういった気配りができるはずである。
だが人間、仮に大人であっても普段の生活で何かしら疲弊している。

私は現場で働いている人間であるので、現場の忙しさが、こういった良い支え方ができない理由になってしまっているようにも思えた。

海老原さんは、必ず不登校生徒の言動には、何か訴えたいことが潜んでいるという。

どんなにストレスが溜まっても、怒鳴らず、その意図を汲み取ってあげる。
そして3つの正しい支え方を実践し、自分を保てる場所となってあげる。

これこそが、教員や保護者の方々のできることではなかろうか。

会場はフリートークセッションに移行し、悩める保護者、教員のみなさんがこのことに腹落ちし、濃厚な2時間半のシンポジウムは閉幕した。

穴から這い出て、このことを共有したい。そう思い筆をとった次第である。

シンポジウムにお呼びいただいた朴さん、スピーカーの海老原さん、生徒のみなさん、そして拙い文章を、ここまでお読みいただいた方々に感謝をしたい。

昼間の塾「フレップ」

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