Afterコロナの学びをデザインする#3
最終回と覚悟
このnoteをお読みくださり、ありがとうございます。多くの先生方と語らう中で見えてきたAfterコロナの世界と教育。少しでも現場の先生方が、子どもたちのために、より未来志向な学びをお届けしやすくなれるようにと綴り、本稿も「時代を發く(ひらく )覚悟と構想」と題し、最終話とします。このnoteの中盤からは練り込んだ内容を述べたので、有料記事となります。
私は、教員をしながら、関東圏の学校様のICT改革のお手伝いをしています。多くの学校で遠隔授業がスタートし、手探りで子どもたちの学びをサポートし始めた日本。
そんな中、現場で本当に多種多様な問題に、タッグを組んで立ち向かっていらっしゃる先生方には多くのことを教わります。この記事では、Afterコロナのパラダイム変化で展開される教育の、ヒントとなる情報をお伝えできれば幸いです。
#1 開疎化する日本と学校ではマクロな視点から、この有史以来稀に見るパラダイム変化を見つめました。
#2遠隔授業と教科指導のニューノーマルでは、一歩踏み込んだミクロな視点から、学習指導の行末に触れました。
この最終話#3では、若輩者ながら教育現場の一員として、日本の教育界の10年後を見据え、独自の構想を述べたい。
このnoteを読むことで得られること
・教育業界以外の方・・・子どもたちにとって必要とされている資質・能力をご自身のご経験と照らし合わせてお考えいただくことで、今後の教育現場が向かう未来について、または後世の育成に明るいイメージを持つことができます。
・教育業界の方・・・現場でのご経験が線へと繋がり、線となった先にはどのような良い学び場が実装されうるのか、想像することができます。
・保護者の皆様・・・仕組みの限界を俯瞰し、子どものために求める側として、本稿が示すモデルを一例とし、どのような視点で関わることが良いのか、考えることができます。
これより文調を変え述べていきます。まずはなるべくコンパクトに前提条件の確認から。
OECDラーニングコンパス2030
引用:ラーニングコンパス2030 Learning Compass 2030
「経済成長の目的とは何か」
此度の教育改革はここから始まります。Afterコロナの学びに関して近視眼的に多くの教育改革議論がなされているが、Beforeだろうが、Afterだろうが、目指すところは個人と世界のWell-being の実現し、人生の質を向上させることだと世界が考え始めた。
資本主義経済を筆頭に、経済成長が目的かのように思われた世界観から、ようやくWell-beingを追求できる時代がやってきた。個人の幸せ、世界の幸せは綺麗事ではない。
教育関係者の方々には釈迦に説法となるが、すでによく議論されたであろう図を紹介する。ここでは、OECDの加盟国のうち、30にのぼる国の教育有識者によって、世の子どもたちが時代を航海する上での鍵となる資質・能力(キーコンピテンシー)が体系的に整理され、生徒エージェンシーを発揮し、人生を生き抜いていくだろうと語られている。
このラーニングコンパスでは、生徒エージェンシーについて次のように翻訳されている。
生徒エージェンシーの概念は、生徒が自分の人生や周りの世界に対してポジティブな影響を与えうる能力と意志を持っているという原則にもとづいて語られている。その上で生徒エ ージェンシーとは、変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力 として定義づけられています。
何とも、日本語に無い概念だが、#1 開疎化する日本と学校でも述べたVUCAな世界において、個人としても、また社会全体の幸福も多い求めるには、はまさにこれらの能力を存分に発揮する必要がある。言い換えるならばこんな感じだ。
一体誰が、新型ウィルスにより世界恐慌以来の大不況が訪れることを想像しただろう。
一体誰がこの先の未来を確実に言い当てられるだろう。
評価経済、ブロックチェーン技術、シェアリングエコノミーなど、資本以外で価値を共有する新しいスキームをいかに活用していけばいいのか。
このような世の中は鮮明に捉えきれる状態というようなむしろ、はっきりしたものではなく、曖昧さを含む。そんな世界で子どもたちは生きてゆく。
まず、学校の授業などから世の中の現象を広く知り、好奇心のままに自ら追加で調べ、考えてみる。
想像する中でわからないことに出会ったら、専門家の力も借りながらなんとか思考を進めてみる。
教員に褒められ、励まされながら、この流れを何度か繰り返す。
ここまで学んだ事項の将来的価値を見据え、必ず人の役に立つんだと自分が生きていく責任を認知する。
社会的仕組みの中で、ジレンマやトレードオフ構造など、様々な障害があることを認知するが、ここまで得た人脈やメンターたちから、励まされ、自分にならやれる、と自信を持つ。
他者の意見も尊重しつつ、問題が解決するように視点を変え、新たな方法を試してみる。
これまでに出会った人々と手を組み、共に研究し、価値を形にする。
今解決されていない問題や課題の解決と、自身の生きる意味を重ね合わせ、徹底的にやりぬく。
これらの力は、まさに、VUCAな世界を生きるために必要な力だと言えるだろう。諸兄らにおかれては、教育現場で、その一部・もしくは全部をすでに実践されていることだろう。コロナ騒動でICT化の負荷があった学校、なかった学校様々だが、諸兄らは存分にその理念の元で、教育活動をアップデートされたことと思う。
筆者が務める学校や、クライアントの学校では、子どもたちとの一事一事に徹底される先生方ばかりで、誰も手を抜かない。おそらく世の先生方も同様だと信じている。そう、誰もがみな、すでにこれらの実践をしていらっしゃって、ラーニングコンパス2030と題打ってはいるが、新しいというよりは、ごく自然なトピックなのだと、そう思う。
上記能力を要素分解したものが次のキーコンピテンシーである。
生徒が備えるべき鍵となる資質・能力(キーコンピテンシー)
※誤解のないように書く。あくまでこれは最大公約数であり、指針に過ぎない。引用の中にもそう明記されている。
これらは、キーコンピテンシーを筆者の言葉で要約し、整えたものだ。
【読み書き】基本的な学力。これは教科書の内容、カリキュラムの必達事項の習得はマストであり、それらが有機的に引き出せる状態を実現する読み書きだ。
【数理的能力】事象の原理原則を用いて現象を的確に読み解く力
【健康リテラシー】快活に学習に臨めるように、生活習慣を制御し、困ったときには相談相手に自己開示をし、健やかに活動できるように調整をする能力
【データリテラシー】統計的理解や処理をしようとする姿勢だけでなく、ビッグデータをいかに活用し、仕組みを更改すると、組織や社会がよくなるか俯瞰して考えられる能力
【デジタルリテラシー】物事の仕組みを定義し、問題に対してデジタルリソースを正しく使って解決できるように設計する力。コーディング・仕組み化し、解決のフローを改善する力。デジタルを用いて効率を最適化する力
【新価値創造力】新しいものに対して開かれた意識を持ち、好奇心旺盛に学び、多分野の事象と結びつけ、問題を解決するソリューションを構築する力
【対立構造調和力】ジレンマや見解の相違、トレードオフ構造に陥った場合、長期的ビジョンと短期的ビジョンを描き、ステークホルダーの現状も踏まえた戦略が練られる。また、違った視点から第三の選択肢としてのイノベーションを模索する力
【責任感と実現力】自己調整によって自分の仕事の成果に責任を持つことはもちろん、社会的・個人的な経験から正誤判断しと道徳的・知略的・倫理的に行動する力
【大局観】分析的・批判的思考により、自身の取り組みが長期的に世にどれだけの効用をもたらすか見通す力
【行動力】正しいと信じ取り組んでいることを他者を巻き込み、ブラッシュアップし、やりきる能力
【振り返り力】実践した取り組みを他の視点からも見つめ、深い考察によってさらに上位のプラン・実践につなげる力
なるほど、さて、そろそろ能力の陳列は完了した。これらの能力をいかに子どもたちは身につけていくのか。これらの資質・能力は、個別に教育プログラムがカスタマイズされて、初めて身につく能力ばかりだといえよう。だとすると、教員の役割はこうだ。
だが、筆者は一教育者として、次のような課題が私たち教育者の目前に聳え立っているが故に、各位の学校における改革にドライブがかかって行かない現状があるように感じる。
CLE(Customized Learning Environment)の構築を阻む二大課題
①公平最適カリキュラム構築のための論点
#2遠隔授業と教科指導のニューノーマルでも述べたとおり、学習について、すでに十分な情報・サポート・教材があり、多様なトピック、プロジェクトも存在する。しかし、技術的には可能であるにもかかわらず、熟練のエキスパートによる高品質な教材・教授ほうがシェアされていない。故に、熟練の教員と、新人の教員とで、生徒が享受できる学びの質・量に差がある。
また私学・公立間でも育まれる力に大きな違いがある。経験によらず、専門的知識やスキルを、会った事もないベテランから拝借できる空間を作ることはできそうだ。これが「公平最適」の部分。
標準授業時数が単位認定の一条件であるがゆえに、時間リソースの有効活用が進みにくい事も大きなトピックだ。
さらに、個人でも学習できる基本事項と、挑戦しがいのある学校でしか学べない、深い思考を生む学びが混在している事も挙げられる。カスタマイズされたテーマで、深いインサイトを得るための生成的学習のために、学校の教室で扱う単元の講義指導はよりコンパクトであるべきだ。
では、覚悟を決めカリキュラムマネジメントする上で、第一優先事項は何だろうか。
筆者は、「転用可能なアイディアが得られる、深い問い」に主眼が置かれるべきであると考える。教科・単元から始まるのではなく、社会課題から落とし込み、意図が理解できる形で単元を学ぶが如く、狙いを理解し、意欲を掻き立てる工夫をする必要がある。
カリキュラムマネジメントの一方で定性的な成果や行動を価値づける新しい評価法の構築も急務。だが学習の大枠を決めすぎるのではなく、変化を容認するカリキュラム編成であることも重要。
②高品質アシスタントの拡充のための論点
みなさん、は次の問に何とお答えになるだろうか。
考えてみて欲しい。
セット価格で専任を任されている現場の教員には、多種多様な業務がある。担任・授業・部活動・教務事務・保護者との円滑な情報共有・行事運営etc・・・
さらには業務時間短縮改革(別名働き方劣化改革)のお陰様をもって、スタッフの現場での業務内対話は減少の一途を辿り、古き良き時代に存在した、教員のWell-beingを高めるOJTは影を潜めた。
これによって、教員は個人で黙々と働くが、逆に単一の業務への時間リソースや集中を欠く職場となりやすくなった。
さて、ここで考えていただきたいのが、こんな変化の渦中の中で学ぶ子どもたちだ。
ここまで述べてきた資質・能力をつけさせるための構想を、上記の問いの答えと合わせて述べ、結論としたい。
時代を發く3つの刷新
筆者は10年後の未来で上記3つの刷新、5つの項目の実現を果たすべく、提言をしたい。
財源の刷新
第一に、かねてより議論されてきていた教育バウチャー制だ。まさに今絶好の導入期となったと考える。本稿では端的に公立の場合のみをイメージして論じるが、自治体が予算の執行権を学校・保護者に区別して委ねるのだ。学校・保護者はこれによって、教材やアシスタントの選択ができるようになる。学校が選択した教材しか使えず、
「世の中にこんなに良い教材が出ているのに、使えないなんて・・・」
「世の中にこんな先生がいるのに、うちの学校の先生は・・・」
こんな悲しい愚痴は、私の子が大人になる頃、また託してきたわが愛弟子たちの、そのさらに子どもたちが大人になる頃には、絶対に無くしたい。
予算のカットを中央集権で進めるのではなく、教育現場に自由競争を持ち込む頃で、自然浄化を誘発させるのだ。
より使いやすいサービス、よりわかりやすい教え方をしなければ、生徒・学校に選ばれない。まさに公開可能な非中央集権的な台帳スキームはこう言った場に、価値交換の媒体として有効なのではないのか。
・保護者は必要な学費分のバウチャーを自治体から購入し、そのバウチャーで学校のカリキュラム内のコンテンツ・教員のサポートを利用する。
・各学校は得たバウチャーを使い、教材、教員と契約する。
・教員や企業は対価として得たバウチャーを換金できる。
第二に、教育に特化したクラウドファンディングだ。これに関しては、すでにエデュケーショナルネットワーク社がリリース予定のyellsというサービスが該当するだろう。すでにこのようなスキームが出てきている。
明らかに、世のクラウドファンディング(CF)よりも教育向けだ。トップオブトップの生徒は、武者修行で一般的なCFを利用しても資金調達できるだろう。
だが、世の中そんな生徒ばかりではないのだ。Well-beingは全ての生徒にやってくるべきだと考えれば、理想論だけでなく、教育現場にはリアリズムも必要だ。探究活動などで大きく期待ができる仕組みだ。
・学校をコミュニティ化する。生徒の活動を発信し、卒業生や地域の住人、世の中の多くの人がフォローできる形に。
・ファンディングで集まったお金は校長裁量で学内利用可能。
・ヒューマンリソースとしてのフォローも可能
・プラットフォームの利用において学校の利用料負担0
SNSを如何に利用するか、まさに教育現場が、発信にチャレンジをさせるシーンが来たのだ。資金が必要な時に、同窓会に相談がいくことは、どの学校でもありうることだろう。なのであれば、より広範囲を巻き込むコミュニティ化には価値は十分にある。
公立高校の予算が増えることは、日本銀行券が新しい通貨になって国の予算が増えない限りは起こらない。起こったとしても予算ありきの学びには上限がある。
学びを学びのまま、価値として打ち出すパラダイムがあれば。学びを予算主義から独立させうる、第一歩になる発想ではなかろうか。
仕組みの刷新
・標準授業時数を0ベースで考え直し、習熟度での判断を要求する。一般的な考査でのスコアリングをもとに、単位認定を行う。
・考査を受けるタイミングは各自治体が定める学期の中で決められており、生徒はその中で自身が履修する時期に査定を受ける。
・進級進学の年齢制限、授業数についての制限は撤廃する。
標準授業時数がついに瓦解する時代が来た。時間で物事が評価されるのではなく、成果で評価するのが働き方改革であるならば、なぜそれを教育現場に求めないのか。年例に関係なく、集中的に勉強した生徒はどんどん査定を受け、進級すればいい。
留年することを防がせるような圧力で、必死に再試を乗り越えさせようという運動があるのではないか。一方で、大学の浪人だけ不自然ではないのは、ただの数の論理だ。
・プラットフォームを用いて学びたいテーマについて広く世に協力を求めることができる。
・専門家を外部から調達することも、財源の刷新でのスキームより可能となる。
・教員は学校間で学ぶ子どもたちのマネージャー(あるいはコーチ)となり、子供の学びを引き出すサポートをする。
生徒エージェンシーを育むために、学校の予算だけでカスタマイズされた探究学習は難しいシーンが出てくるだろう。エキスパートを招いてお話を伺うだけでも、数万〜数十万かかるケースもあり、顧問になってもらうならば、ボランティアでというケースばかりではないだろう。本気で価値を生み出すなら、資金調達して正式に依頼すればいい。
#1 開疎化する日本と学校での述べた時間の切り売り型の貢献と、インカムゲイン型の貢献の話で、紹介したESBIモデルを体験させるチャンスはここにある。実際に学んだ価値を責任を持って世に打ち出し、変革させるには、資本主義は良い教師になり得る。学ぶための軍資金を得るために売り上げをあげることも、場合によってはいいのではないか。
この記事を購読されている諸兄らにはないとは思うが、誤解のないように念のために書く。子どもたちにお金を握らせて価値を生み出す特訓をさせることが、憚られるようなことがあるならば、それは一体何を目的とした文化なのだろうか。資本主義には遅かれ早かれ必ずキャッシュフローがついてまわる。教師が扱いづらいという理由で、教育現場で生徒に体験させてないのであれば、それは間違いだ。
人材登用の刷新
・一人の教員が様々な側面で生徒に接するため、業務内容によっては得手不得手がある。
・外部人材の起用が都度コストがかかる。
・教員の適性によって業務効率に差がある。
・役職によって報酬が決定する。
・1年間担当を変えることができない。
この現行制度では先述のとおり、教員の高いパフォーマンスが発揮できなく、ラーニングコンパスに示す学びにキャッチアップしにくいと考える。
ドライブをかけていくならこうではないか。
・教員は自分の最も得意とする業務のスペシャリストとなり、複数校に跨がることもある。
・外部人材が適所に配置される。
・各業務の効率が最適化される。
・選ばれる教員エキスパートには基本報酬+成果報酬が支払われる。
・単位の細分化により短いスパンで教員・エキスパートの選び直しが可能。
業務を細分化し、専門職化することが一つ。外部のエキスパートに特別免許を付与することが二つ。学外の教員やエキスパートに教わり、(交換)単位認定される仕組みが三つ。
これらはどれも突拍子もないことではない。
世の非常勤講師の先生方は現在でも数校同時に授業を持っている。また、教員免許状を持っていなくても、指導するトピックや科目について圧倒的に専門的な経験を積んでいると認定された場合、臨時で認定されれば教壇に立つことができる。また、高校・大学において単位交換制度は一部で存在している。
それらを大規模に行えるスキームを作るテクノロジーも十分だと考える。
Afterコロナの学びをデザインする
三作続けて、コロナ期の変化を見つめながら綴ってきた。
コロナによって、開祖化に振れた世の中は、非常事態宣言の解除で、一旦より戻しが起きる。
だが、教育現場においては、コロナワクチンができても、昔に回帰してはならない。その理由はこの三部作で述べてきたとおりだ。
筆者に関してはこの提言を小さい規模でも実行すべく、知恵を絞っていく所存だ。分散登校に始まる教育制限を機に、ラーニングコンパス2030に示される指針を、独自の解釈で肉付けしていくかは、教育部門の共通課題だ。
さぁ、Afterコロナ期、突入である。
諸兄らの学校現場が、安全でかつ、生徒エージェンシーあるいはそれに該当する理念を実現する、さらに良い教育現場となること願い、ペンを置く。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
いつも応援してくださる皆様に田中GT善将は支えられ、幸せ者です。ありがとうございます!