家族について

私が小学生になったころから、私の母はほぼ一切の家事をしなくなった。

ご飯作り、食器洗い、お風呂掃除、部屋掃除、ペットのトイレ掃除、洗濯
これらは子どもたちでの当番制になった。

父はただそれを傍観していたし、なんなら家事ができていないと「どうして一生懸命働いて帰ってきて、家の中がこうなんだ!!!」と怒鳴り散らかした。だから母は家事の進みが悪いと子どもたちを怒鳴った。私は父が母に「母親のくせに何やってんだ」と怒鳴るのも、母が私たちに「何でこんなに散らかってんだ」「こんな時間まで(ダラダラして)何やってんだ」と怒鳴るのもすごく嫌だった。

学校から帰ってきても自分の時間なんてほとんどなかった。子どもだからテレビに夢中になって家事の開始が遅くなることもあった。そんなときは夜22時、23時からやっと夜ご飯になる。「明日も学校があるのに、どうしてうちはいつも夜ご飯がこんなに遅いんだろう」と、自分の家がなんだか世間から外れたダメな家のような気がしてすごく悲しかった。

小学校の友達の家に遊びに行った時、友達が母親から米炊きやお風呂掃除を"頼まれて"「やだ!お母さんやってよ〜」と言った。友達のお母さんは怒らなかった。驚愕した。家事を断る"権利"があるなんて。

私は家事をやらないと、父が母に怒って、母が子どもに怒る、そして他の子どもが子どもに怒る。やるしかなかった。家事をしないと、「誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ」「嫌なら出ていけ」「誰が養ってるとおもってるんだ」「働かざるもの食うべからず」と言われるから。自分の居場所が無くなるから。とても断るなんてできなかった。

それに、怒られる時はいつも叩かれるか蹴られるかする。小さくなって、頭を抱えて、ごめんなさいと言って、時が過ぎるのを待った。
そうなるのも怖かったからという理由もある。

だけど本当は、お世話をされたかった。
ずっと寂しくて「自分は拾われた子なんじゃないか」「自分は要らない子なんじゃないか」といつも思っていた。

小学生のいつ頃か、祖母の家で幼児時代に母に抱かれている写真を見て祖母に訊ねたことがある。「私、昔の方が可愛かったのかな」
祖母は「そんなことないよ」と答えてくれた。

大人になってから、両親にこの寂しさを打ち明けたことがある。
両親は、「虐待なんてしてないのに、どうしてそんなこと言われなきゃいけないの」「そうやって責められると心が持たないかもしれない」「誰かのせいで、という考え方はあんたのためにならない」と言った。

そうじゃなくて、私はただ、
「寂しい思いをさせてごめんね、昔も今も、愛してるよ。」
その言葉が欲しかった。

両親の仲が悪かったのも、それに伴って両親がいっぱいいっぱいだったのも知っている。責めたい訳じゃない、ただ愛してると言って欲しかった。

両親は昔から、私の「悲しい」という気持ちを受け止めてくれない。

私は鬱病を経験しており、まだ病状が比較的軽度だった初期のころ、「このままではダメになる」と藁にもすがる思いで母に助けを求め、鬱病かもしれないと打ち明けた。私はもの凄く勇気を振り絞って打ち明けたのだけど、「そんなの鬱じゃない。誰でもそのくらい落ち込むことはある。」とバッサリ切り捨てられた。

私は休むことができず、病状は悪化して、大学に行けなくなり、ご飯も食べられず、道路を走る車を見ては飛び込みたい衝動を必死に抑えた。

そして這うように病院に行き、鬱病の診断が出され、ドクターストップがかかりようやく両親は鬱病を認めた。

中学時代にいじめにあったときも、「他人に期待するな」と言われた。あれも、先生から電話などがいっていれば対応が違ったのかな。

私が欲しかったのは、
「辛かったね」「大変だったね」「大丈夫?」
こんな簡単な言葉だけだった。

私はもういい大人だが、いまだに自分の存在を肯定できない。今も精神病を抱え、日々希死念慮と闘っている。自分は一生幸せになれない気がして仕方がない。

私の家っておかしいのかな。
どうしたら両親に向き合ってもらえるのかな。
私は幸せになることができるのかな。

もうずっと、物心ついた頃から心が苦しい。
もうよくわからない、誰か助けてください。

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