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今月8月に鹿児島を離れます。そして、来月、東京・池袋にクイズバーを開店します!

はじめましての方も、そうでない方もこんにちは。杉原です。

身近な人にはすでにお話していましたが、今月8月中旬に鹿児島から東京に生活拠点を移します。

そして、来月9月に、東京・池袋にて初心者の方でも気軽にお酒を飲みながら早押しクイズを楽しめるクイズバー・スアールを開店します!
店長は私、杉原が務めます。

東京・池袋駅の西口を出て徒歩5分(地下道なら出て徒歩2分)の場所です。

こちらのはんこ屋さんのあるビルの3階です。
9月の中旬を目処に、開店準備を進めております!

非常に長いのですが、今まで出会った人。起こったこと。思っていることを忘れたくないし、多くの人に知ってほしいので全て書きました。

  • 杉原はクイズが大好きで、クイズを広めたい

  • 「関西から鹿児島に帰ってきたら、すごい人がたくさんいた!」という
    話と彼らから受け取った刺激と教訓

  • 共同経営者えらてんさんとの出会い、そして東京へ

  • スアール、そして、クイズをどうしていきたいか

  • 最後の挨拶

という内容を、ここに記したいと思います。

自己紹介とクイズバー開店のいきさつ

今月上旬まで、鹿児島県鹿児島市にある株式会社シナプスという県内のインターネットプロバイダーの会社でITエンジニアとして働いていました。
また、今年4月から4ヶ月に渡り鹿児島キャリアデザイン専門学校という学校でプログラミング講師をしていました。

高校・大学期

私は学生時代、ラ・サール高校と立命館大学のクイズ研究会に所属してクイズを続けており、今年で16年目になります。
生まれと育ちは鹿児島で、大学進学後10年ほど京都に住んでいました。
大学時代は、学校のサークルとは別に社会人も出入りするクイズサークルや多くのクイズ大会に参加していました。
関東で開催されるクイズ大会に参戦するためしばしば遠征しており、毎週、東京に行っていたこともありました。
10年以上経ちますが、学生時代に、"東京メトロを使った回数" >>> "大阪・京都の地下鉄を使った回数"だったのは今でもはっきりと覚えています。

京都から鹿児島に帰る

大学卒業後、システムエンジニアとして関西で就職しましたが、3年前に諸事情により、会社を辞めて、鹿児島に帰ってきました。
(この辺の諸事情は語る機会があれば、どこかで語りたい……)

そして、鹿児島クイズ愛好会という地元のクイズサークルでクイズ活動をしていました。

愛好会の会員は約20名。ラ・サール中高のクイズ研究会を含めると、鹿児島の早押しクイズ人口は30〜40名程度でしょうか。

私はこじんまりと仲間とクイズをやりつつ、塾講師をやりながら就職活動を始めることにしました。

当時の自分は「田舎の鹿児島には仕事も面白いことも何もないだろう」というネガティブな思いばかりで溢れかえっていました。

でも、そんな自分の考えを180度変える出来事が、鹿児島で待ち受けていました。

それはまさに、竜宮城から帰ってきた浦島太郎のような気分でした。

10年前の鹿児島になかったもの (1) ICTスタートアップ

「鹿児島では都会のような仕事がない。特にICT分野で、最新技術を使った開発やゲームの開発に携わることはできない」

そんな常識を覆そうとしている人たちに出会いました。

自分が鹿児島に帰ってきた3年前は、GMOペパボさんという会社が鹿児島にオフィスを設立して間もない頃でした。イラストをアップロードするだけで在庫なしでグッズが作れるSUZURIやレンタルサーバーのロリポップで有名な会社です。

社長を務める佐藤健太郎さんが鹿児島出身ということで地元のICTや経済に貢献したい思いから出来たそうです。

GMOペパボの鹿児島オフィスでは若手のICTエンジニアが集まり、定期的に鹿児島.mkというプログラミングの勉強会が開かれていました。

当時、はやぴakhtさん、けんけんなどの新鋭のGMOペパボの社員のエンジニアに交じり、中心にいたのはフリーランスエンジニアのくすたんでした。

くすたんは近年iPhone・Androidのスマートフォン向けアプリの開発で使われるFlutterという技術の第一人者です。
鹿児島では珍しくフリーランスとして、スタートアップ企業の開発案件を受け持つと当時に、鹿児島.mkヒラマサといったの技術コミュニティを主催していました。

そして、ヒラマサのもうひとりの発起人であるがっくんは、はるniコーポレーションという地方・特に鹿児島で数少ない、ゲームを開発している会社の役員を務めています。

現在、はるniは従来のソーシャルゲームの請負開発だけでなく、ハイパーカジュアルゲームという世界中の言語の壁を超えてかんたんな操作だけでプレイできるゲームがヒットしたなどの好調もあり、今年、本社をこちらの動画の社屋よりも大きなビルに移転しました。

私はくすたんとがっくんが作ったヒラマサというサークルで、ICTの学習を研鑽し、シナプスにシステムエンジニアとして就職しました。
就職後も、ヒラマサを通じてできたつながりには、公私含めて、たいへんお世話になりました。

このようにICT界隈も盛り上がりを見せていたのですが、鹿児島では様々なジャンルで、「何もなかった鹿児島」に「何か」を作る人たちがいました。

10年前の鹿児島になかったもの (2) スポーツ

鹿児島では、私がいない間に、サッカーJリーグでは鹿児島ユナイテッドFCというチームが、バスケットボールBリーグでは鹿児島レブナイズというチームが生まれていました。

両チームともJリーグ・Bリーグの3部で、決して強いとはいえませんが根強いサポーターとブースターを獲得し、鹿児島市に作られる新スタジアムの開発構想が市や県の政策の争点の的になるほど、地元を大きく動かす存在になっています。

ユナイテッドカフェ「ゆなハン」という、サポーターが交流できるチーム公式のカフェが鹿児島の繁華街・天文館にあるのですが、店主の田仲さんは気さくな方で、いつも笑顔で出迎えてくださいます。

サッカーについて語れるだけでなく、夕方に有志の方がイベントを行うことができます。ここでは、鹿児島で活躍している様々な方とお会いすることができました。

10年前の鹿児島になかったもの (3) 音楽 

2018年、ザ・グレート・サツマニアン・ヘスティバルという、活火山・桜島の麓で行われる盛大な音楽フェスが始まりました。

実は、サツマニアンヘスの前身となった集まりは、SNS mixi にあった「鹿児島で音楽を語るコミュニティ」から発展したものなのだそうですが、それが現在は、全国区の名だたるアーティストが今年も出演する一地方に留まらないイベントになっています。

地元の音楽スタジオのロックバンドの人たちが中心にDIYで作っていた音楽フェスWALK INN FESも同様に熱い存在でした。

この旗にも書かれている「僕らの街は僕らで作る」というコピーが好きです。

太陽の下で、自分たちの音楽で街を包み込みたいという熱気を体感できる楽しいロックフェスです。

10年前の鹿児島になかったもの (4) イラスト・デザイン 

鹿児島のイラストレーター業界は、他の地域と比べ独自の進歩を遂げていると言われています。

イラストレーターの方々が、鹿児島市内のギャラリーでの展示会フリーペーパーの定期発行といった企画を積極的に行い、色んな街の人が作品や作家さんふれあえる場をつくってきました。

イラストレーターの皆さんが手掛けたキャラクターやデザインは、商店街や街の企業や自治体のキャンペーンで活用されており、鹿児島という地方にいながら、イラストで生計を立てている人も珍しくなくなりました。

現在、その中でも特に活躍していたまむねむこさんは、鹿児島市や地元テレビ局南日本放送に公式Vtuberのイラストを提供しています。

同じく鹿児島で活躍しているヨシサコツバサさんは、うさぎやロック、鹿児島を題材にしたポップな絵で人気を博しています。先程のWALK INN FES の写真にもありましたが同フェスでコラボを行っています。ヨシサコさんには、私は鹿児島で頒布した問題集の表紙も描いていただきました

様々な縁が生まれる鹿児島のイラスト文化は今後ますます大きくなるでしょう。

10年前の鹿児島になかったもの(5) 本・出版 

地方では文化資本が少ないとよく言われます。

私は読書が好きなのですが、鹿児島では私が子どもの頃よりも書店の数は減っているように思います。

そんな鹿児島で、本の世界を広めている二人と出会いました。

一人は、地元の繁華街・天文館の一画にある古本屋ブックスパーチという古本屋の店主を務める諏訪田さん。

ブックスパーチは小さな本屋さんですが、読書好きなら足を運ばずにはいられないお店です。
店長の諏訪田さんは私とは同い年で、本当に優しく、そして、本を愛している人です。定期的に読書会を開いて、鹿児島で本が好きな人たちと交流する場を開いています。

もうひとりは、鹿児島でビブリオバトルをする男さんです。


ビブリオバトルとは5分で面白い本をプレゼンして、一番おもしろかった本に投票してチャンプ本するという遊びです。
私はクイズでビブリオバトルという単語をなんとなく知っていたのですが、本の魅力を知ることができるだけでなく、紹介した人の面白さの見え方が垣間見れてすごく楽しいんですよね。
鹿児島でビブリオバトルをする男さんはそんな世界に引き込んでくれた方です。

二人とも地元鹿児島の新聞社・南日本新聞にコラムを連載したり、鹿児島市の図書館でイベントを行ったりするなど、積極的に多くの人たちに本の世界の楽しさを伝えています。

他にも、地元では燦燦舎という出版社があります。
お笑いコンビBANBANBANの鮫島 一六三さんのお兄さんである鮫島亮二さんが社長を務めているのですが、週刊少年ジャンプに連載されていたDr.Stoneとコラボしたり、地元の歴史を紹介している下豊留さんとともに、鹿児島の偉人かるたを作っていました。ゲームとして楽しみながら鹿児島の歴史を学べるこのかるたは、親戚一堂が集まる冬休み頃には、地元書店の売上で必ず上位にいます。


まだまだ書ききれない、発信と共感の話

鹿児島でローカルブログ「カゴシマニアックス」や鹿児島発のプレスリリースサイト「プレスリリースかごしま」を運営し地元の魅力の発信している中園さんのお話とか。

鹿児島で「誰でもいられる居場所」を作っており、私が主催したクイズイベントに度々いらっしゃっていた、NPOルネスかごしまたにかつさんのお話とか。

他にも、鹿児島でサブカル、アイドルやコンカフェの文化を作りっている潟山さん鹿児島発のアニメスタジオを作るHEIYAの皆さん数学を学べるカフェの皆さん……とここに書ききれない程、私がお世話になり、そして、今も尚、実現させたい夢に向かって突き進んでいるひとたちがたくさんいます。

これから発信と共感という話題をお話する上で、特に鹿児島で中園さんとたにかつさんのお話は欠かせないのだけれども、あまりにも長くなるので、またどこかでお話できたらと思います…… 申し訳ないです。

さて、ここまで紹介した皆さんは、ICT、スポーツ、音楽、イラスト、出版など、ジャンルはバラバラです。

しかしながら、私が共通して感じていたのは、皆、最初は地元ではとてもとても小さな存在でした。

おそらく、彼らの中には「そんなことをするのは鹿児島では無理だ」と言われた人もいたと思います。

それでも、少しずつ街の人たちと接点を持ち、自分たちがやりたいと思っているものを皆とわかちあうことで、桜島のように熱い地元の熱意や共感を巻き込んで、大きな存在になっていったということです。

私自身も彼らを応援したいと思い、繰り返し皆さんが主催するイベントなどに足を運んでいました。

翻って、クイズをやっている自分たちはどうなんだろうと振り返りました。

それこそ、当時からYouTubeのQuizKnockさんが人気でしたし、テレビでは毎日のようにクイズ番組が放送されています。

クイズそのものは一般に広く認知されています。

しかし、鹿児島にいる多くの人が早押しボタンに触れる機会がなく、クイズという遊びをやる楽しさ鹿児島でクイズをしている人たちがいるということを知られていないのです。

そして、街にいる人たちと接点を持てていないがために、クイズという遊びを大きくできていません。

我々は他のジャンルのコンテンツと比べて、クイズに人々にクイズをやる楽しさ自分たちがやっていることを伝えようとする動きが、圧倒的に足りていないように思いました。

私は決意しました。

彼らに負けないぐらいの勢いで、クイズの楽しさを街の人に伝えよう。そして、クイズの世界を広げて、クイズと出会えて良かったと言ってくれる人を増やそうと考えたのです。

早押し機を持とう。 街に出よう。

ちょうどその頃、鹿児島クイズ愛好会に、地元の南日本新聞社から、一面のクイズコーナーに連載を持ちかけられました。

私は愛好会の一員として毎日掲載されるクイズ問題を制作することにしました。

色んな人に自分たちのクイズが伝えられる第一歩でした。

ただ、これだけでは、私は満足しませんでした。

私は、早稲田式早押し機という早押しボタン一式を購入し、何度も鹿児島で、クイズイベントを行いました。

その中のいくつかをご紹介します。

まず、地元サッカーチームのサポーターが集まるユナイテッドカフェ。

ここでは、サッカーにかぎらず、お客さんが「文房具」「ふるさと納税」「ボードゲーム」「将棋」など自由なテーマで一日イベントを実施することができます。私はこちらで「クイズナイト」をやりました。

中央にカゴシマニアックスの中園さんがいます

昨年2021年に鹿児島中央駅前に出来た商業ビルLi-Ka(ライカ)1920のコワーキングスペースでクイズをやったり。

他にも、スタジオ・アイディールさんのメイド喫茶りぼんさんや、たにかつさんの紹介で開催できた調圧カフェさんとコラボしました。

メイドさんも参加
ちびっこも参加

自分の動きが功を奏し、鹿児島で行われた競技クイズの大会に地元テレビ局を呼んで取材いただけただけでなく、YouTubeに上げていただきました。

また、当時新型感染症が流行っており、多くの会社で業務やコミュニケーションをリモートでのやりとりへと移行を余儀なくされました。

そこで、私が働いている会社・シナプスで社内クイズ大会を企画しました。

他にも、ICT勉強会・ヒラマサの忘年会や、鹿児島でインターネットの普及活動を行っているNPO鹿児島インファーメーションさんのリモート飲み会、読書仲間の集まりでもクイズ大会を企画させていただきました。

また、同時並行して、初心者向けのネットクイズコミュニティを運営していました。

こちらの集まりは本業の多忙により、およそ半年前に破綻させてしまい、参加いただいた皆さんには申し訳ないことになってしまいました。この場をかりて、お詫び申し上げます。

ですが、この集まりが縁で東京でイベントを行うことになりました。

その時は、東京への旅路が自分にとっての大きな転換点であることに気づいていませんでした。

ファーストコンタクト

これまでは鹿児島やインターネットでクイズの活動を行っていましたが、東京でも、何かやれたらいいなあと考えていたところ、先程のネットクイズコミュニティの延長で、えらいてんちょうさん(以下、えらてんさん)という方と知り合うことができました。

えらてんさんは実業家として、東京・池袋を拠点に、イベントバー・エデンを展開しています。

エデンでは、誰もが、一日バーテンとして「将棋」「格安SIM」「自作料理」「特撮」「哲学」「生きづらさ」「会社辞めた人」……など、様々なテーマのイベントを行うことができます。

私は実はえらてんさんが書いた本を読んでおり、特に『静止力』という本が自分がクイズ活動を行う上でかなりの参考になっていました。

「静止力」とは、ホリエモンの提唱する「多動力」と対極にあたる概念で、地元にとどまり、根を張って貢献してくことで、地元の名士となり活躍する力のことを指します。

鹿児島では、自分が好きなものの力で地元に貢献を続けることで存在価値を発揮している「静止力」の先輩方がたくさんいます。

自分の持っているクイズ力を、地元の人たちを笑顔にさせる「静止力」に換えられると思いました。

エデン本店上陸

そして、去年の春のこと、自分が企画したネットクイズの後、えらてんさから「一日店長でクイズやってよ」とお願いされました。

エデンの一日バーテンは以前から興味がありましたし、似たような経験は、ユナイテッドカフェでも何度かあったので、昨年2021年11月に、池袋エデン本店で一日バーテンとして「クイズナイト」を企画しました。

当日は、ネットでお付き合いのある方や、クイズ関係の友人など17名の来客があり、色んな方にクイズを楽しんでいただけました。

その反面、鹿児島のユナイテッドカフェのときは、7名との接客だったので問題ありませんでしたが、エデンでは倍以上の17名相手に自分一人が、問題を読みつつ、正解を判定しつつ、ルールを考えながら、来客対応をしました。

更に、お客さんから注文された飲み物を作って運びながら、来た人と雑談するというオペレーションを同時にやることになり、地獄という他ありませんでした。

「楽しかったけど、反省点ばかりだったなあ。また、やれたら御の字かな」というのが率直な感想でした。

当日、手伝っていただいた、店長のばんばさんや、クイズの友人のれふぇには今でも感謝しきれないぐらいです。

そして、このとき思ったのが、「鹿児島にもクイズサークルに所属していない一般の人がクイズに触れられる機会が少ないのに、東京にも気軽にクイズに触れられる場所が少ないんだな」ということでした。

私が知っている限り、東京都内でそのような一般向けのクイズができるお店は、クイズルームソーダライトの一軒のみ。

「日本の娯楽の中心・東京でもほとんどないものを、地方の鹿児島にも根付かせることができるのか」という不安が頭をよぎりました。

その後、一人ではフルにリソースを割けず、クイズの場を兼業で作り続けていくことの限界も見え始めてきました。

先述の通り、夜勤をともなうインターネットプロバイダーの本業やプログラミング講師のお仕事などの多忙により、ネットクイズサークルを破綻させてしまいました。

新型感染症流行によりイベント開催も難しくなる中、自分の無能さ・不甲斐なさに悩みに悩みました。

エデンでのクイズナイトから8ヶ月後、すべてが動き出す

この記事を書いている時点から、およそ一ヶ月半前の6月20日。
32歳になる誕生日を迎えてから2日経った日のこと。
私はエデンのえらてんさんたちとTwitterのスペースで、ビジネスについての雑談をしていました。

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えらてん「前やってたクイズ面白かったですよ」

杉原「ありがとうございます!」

えらてん「誰でも気軽にクイズやれる店って面白そうだけど、あまりないですよね」

杉原「そうですね」

えらてん「じゃあ、クイズバーをやりましょう! 三ヶ月後に開店します! なるはやで東京来てください!」

杉原「は、はい。わかりました!がんばります!!!よろしくおねがいします!!!」

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うろ覚えで書きましたが、本当に「今夜飲もう」ぐらいのノリだったと思います。思い返すと、えらてんさんも自分もぶっ飛んでるなと思いますし、今も尚、あまり現実感がなかったりします。

でも、「このチャンスは絶対に逃してはいけない。これを逃したら二度とこんな機会は巡ってこない」という思いが確実にありました。

私はえらてんさんの提案に乗ることにしました。

そこからとてつもないスピードで、事業の立ち上げ準備は始まりました。
これは、上のやりとりの直後のえらてんさんのツイートです。

店名もすぐに決まりました。クイズバー・スアールです。命名はえらてんさんです。アラビア語で「質問」という意味があります。

その日から、本業の傍ら、スアールの開店に向けて書類を作ったり、食品衛生責任者のeラーニングを受けたり、東京へ生活するための物件を探しに行ったり、役所に証書を取りに行ったり、お店の内装を決めるべくオンラインチャットでやりとりをしたりとジェットスターのような日々を送りました。

残務はたくさん残っており、現在でも、目下開店準備中です。

自分以外のスタッフの皆さんも内装工事やインテリア策定、会社設立の手続きなど、立ち上げ準備に奔走しています。

すぐに東京にいけず、こんな文章を書いているのが申し訳ないです。

自分の業務と当面の目標、そして展望

私がスアールで携わるのは以下の2つの業務です。

  1. お客様にスアールでクイズを楽しんでいただけるお店づくりに取り組むこと。

  2. 自身のプログラミング技術を活かし、スアールの定常業務やクイズというコンテンツを支えるシステムを開発し店舗やクイズの価値を高めること。

私は以前からずっと自分が願ってきたように、スアールにお越しいただいた方に「クイズが楽しめてよかった」「クイズで仲間ができてよかった」と言ってもらえるような場所にしたいです。

そして、色んな人に「クイズという遊びの正解を答える面白さ」「クイズを通じてコミュニケーションやつながりができる楽しさ」を伝えられる発信拠点にしたいと考えています。

今までのクイズは趣味としてやってきましたが、当然ビジネスである以上、スタッフ、出資者、協力者の皆さん、そしてお客様との関係が続いていけるように黒字経営の体制を固めていかなければなりません。

そういった場を繋ぎ止めるためには、やはりお店づくりを充実させることに注力し、ビジネスとして軌道に乗せることが第一の目標です。

もう少し先の未来の話

ここからはスアールが軌道に乗った先の話です。

もう少し先の未来の話です。

私から見てクイズの世界は、クイズ研究会やクイズサークルの人たちが中心でボランティア・非営利のアマチュアベースでやり続いてきたために、
「クイズという遊びの面白さ」「自分の住んでいる街でクイズを楽しんだり・作ったりしている人の存在」そして「クイズが持っている人と人、人と知識をつなぐ力」をクイズ業界外の人、つまり、街の人たち、企業、自治体の人たちに伝わっていなかったのではないかと考えています。

自分自身も反省しなければならないことですが、ボランティアや非営利は善意からできる範囲をこえた部分については、誠実に責任を取ってできなくなります。

私が必要性を説いているクイズの普及や広報・発信も、その善意でできることの範囲外でしょう。本当に仕方のないことなのだと思います。

しかし、クイズは誰もが楽しめる遊びです。

これからクイズに興味を持った人・楽しみたい人にとって、現状のクイズサークル・大会は強豪プレイヤーばかりであったり、参加にあたってクイズの作問や企画の実施を要求されるなどハードルが高く、クイズを気軽に楽しめるニーズに応えきれていないという課題があります。

一方、我々クイズ業界側も、昨今大きくなりつつある競技クイズイベントの運営を考える上で、従来のやり方だけでは対処できない事態も増えつつあります。

そういった課題を、これまでのボランティア・非営利ではなく、ビジネスという選択肢を使って解決しなければならない段階なのかなと考えています。

そして、もちろん、ビジネスとしてクイズにお金が人がめぐる流れができることは非常に大事なのですが、やはり、せっかく面白い早押しクイズを普通の人に触れさせないようにしたり、誰からも見られないような隠れた場所でやるよりも、みんなが触れられて、見えるところでやって、色んな人を巻き込んだほうが絶対に楽しいと思います。

実際に、私も周りにクイズの面白さを伝えたことで、たくさんの仲間と出会えて、多くのつながりを作り、こうして「クイズができるお店を作る」という夢に挑戦することができました。

さらに言えば、たくさんのお金や人がクイズにかようようになれば、より大きな未来が広がると信じています。

未来の彼方とそのための第一歩

クイズに人やお金、技術の力が集まると、スタッフに適正な対価が支払われるようになるだけでなく、イベント運営面、特に今のクイズイベントに足りていない広報体制や演出面を強化することができます。

そうなると、クイズをプレイする場としてのクイズ大会だけでなく、観戦・応援して楽しいクイズ大会をつくれるようになります。

「やるクイズ」だけでなく、「みるクイズ」というシーンを生むことができたら、クイズのファンが増えてより多くの人たちとクイズの楽しさ・魅力を分かち合えるようになりますし、イベントづくりという点でも、従来にない楽しい演出や技術的な仕組みを作れる人を巻き込んで、誰も体験したことがない新しいコンテンツを作れるはずです。

甲子園やJリーグ、駅伝、六大学野球のように、クイズ大会の団体戦で地元や同じ学校のクイズプレイヤーを応援する流れができたらより面白くなると思います。

また、近年では、大学のクイズ研出身で、クイズ作家になる人が増えています。

今後、スアールのように一般の人がクイズをやる場が増えたり、クイズを使ってビジネス集客やコンテンツイベント、地域振興、教育・学習イベントといった企画ができたりするような世の中になれば、彼らの活躍の場が増えると思います。

そして、多くの人が、クイズのプレイヤーやクリエイターを応援することで、プロとしてクイズを支え続けらける人が増えて、皆が幸せになれるのではないでしょうか。

クイズが持っている潜在的な可能性を広げるためにも、これから、いろんな人に「ここでクイズができる」「ここでクイズをやっている人がいる」ということを知らせて、「クイズをやることの面白さ」「クイズが持っている人と人、人と知識をつなぐ力」を伝えられたら、クイズという遊びをもう一段階、次のステージに進められると信じています。

様々な形で一人でも多くの「クイズと出会えてよかった」と言ってくれる人を増やしたいです。

このもう少し先の未来に近づいて、いつか出会える仲間に出会うためにも、まずは、クイズバー・スアールを、一丁目一番地にしたいです。

(実際のスアールの住所は池袋2丁目22番地2 とすべてだったりしますが……)

AQLの九州地域代表について

九州を離れるということで、もうひとつ言及しなければならないことがあります。

AQLというクイズ大会で、本年度の九州地域代表を務めていることについてです。

主にクイズ関係者向けのお話です。長くなったのでこちらの記事をご覧ください。

最後に 〜鹿児島・東京の皆さんへ〜

鹿児島の皆さんへ

今回、私はクイズバー・スアールの立ち上げにともない、鹿児島を離れます。

東京への転居に伴い、鹿児島に帰ってきてから3年間勤めた株式会社シナプスと、今年4月から講師としてプログラミングを教えていた鹿児島キャリアデザイン専門学校を退職します。

シナプスでは、インターネットを支える技術・運用実務から、仕事の進め方まで様々なことを経験し、学ばせていただきました。自分が会社の利益に貢献できるほどの尽力はできなかったと思いますが、素晴らしい先輩方に恵まれたことは誇りに思います。
社内クイズ大会もやらせていただいて、盛り上がったのが一番の思い出です。

鹿児島キャリアデザイン専門学校でのプログラミング講師としてのお仕事は、自分が教える側になるだけでなく、授業の進め方や生徒の視点に立って知識伝達の整理といったことなど、これまで自分に無かったものを教えられる側でもあったと思います。

やはり、4ヶ月という短い期間しか教壇に立てず、指導に当たれなかったのが非常に申し訳ない限りです。

個人的にはクイズ関係の皆様はもちろんのこと、IT同業者の皆様、読書関係の皆様、イラスト・音楽関係の皆様、ユナイテッドカフェやLi-Ka1920の皆様をはじめ、鹿児島をとりまく様々な方々と仲良くさせていただきました。

世相が変わり、大変なこともたくさんありましたが、皆さんから多くの宝物を受け取りました。

私が所属しているクイズサークル「鹿児島クイズ愛好会」はクイズをやる楽しさを知ることができた自分の原点です。

ユナイテッドカフェの田仲さんやLi-Ka1920の加治屋さん、スタジオアイディールの潟山さん、そして、たにかつさんの縁でクイズの場を作ることができました。

IT勉強会「ヒラマサ」「かごえん」でシステム開発における技術や設計のみならず、飲み会やお仕事の縁など数多くのつながりもありました。

サブカルやイラスト、音楽、アイドル、ライブ、スポーツなど、自分が味わったことがないエンタメの楽しさを体感できたとともに、「鹿児島に熱い風を起こしたい人がこんなにもいるんだ!」ということを発見できました。

ビブリオバトルや古書店ブックスパーチさんでは、皆さんと本について語る面白さを分かち合えたとともに、自分の知らない世界を見ることができました。

数多くの地元の温かい方、挑戦心にあふれた方と知り合うことができたとともに、クイズの楽しさを分かち合えたことは僥倖だと思います。

皆さんからいただいた、数え切れないほど多くの経験とつながりがこれからの自分の糧になるでしょう。

私がここまでたどり着けたのは、皆さんから応援いただいたからです。

本当にありがとうございました。

もし、東京にいらっしゃったときは池袋のスアールまで遊びに来てください。

これから交流する機会が以前よりも減りますが、鹿児島に帰省したときはよろしくお願いします!

自分には、鹿児島でクイズでやれなかったことを、かなりやり残しています。

これまでの自分はまだまだ不勉強なことだらけで、あと一歩及ばないこともたくさんありました。

東京で修行して力をつけたいです。

そして、恩返しの気持ちも含めて、これからやりたいことがたくさんあるので、必ずいつか大きくなって、帰ってきます!

あと、鹿児島の人がクイズで何かをするときは是非応援してください!

鹿児島クイズ愛好会のメンバーのかずknが今年9月17日に大会をやるそうなので、お時間がある方は是非よろしくお願いいたします!


(東の方角に桜島がないと移動のとき方向音痴で困るので、)
桜島が見れなくなるのはつらい……

東京の皆さんへ

東京方面、特に、池袋をはじめとする豊島区一帯にお住まいの方は、今後とも、よろしくお願いいたします!

そして、何より、えらいてんちょうさんをはじめ、スアールの立ち上げにあたって出資いただいた皆さん、並びに、スアールの開店準備や店舗営業でスタッフとしていっしょにお店づくりに携わる皆さん、問題提供やクイズの出題でご協力いただいている皆さん、今後とも何卒、よろしくお願いいたします!
私にとって慣れないことだらけですし、これから大変なことがあると思いますが、絶対に楽しいお店にしたいと思います。

これまで通りクイズ関係者はもちろん、イベントバー・エデン関係や池袋関係の方々とも仲良くできたらと思います。

池袋近辺には私以外のクイズ関係者や、エデンを含め面白いビジネスや取り組みをしている方がたくさんいらっしゃるようなので、非常に楽しみです。

池袋は、渋谷・新宿・原宿と並んで若者向けの娯楽が多い街という印象がありますが、かつては、「トキワ荘」という昭和の漫画界を築き上げた漫画家たちが集まるアパートがあったり、小熊秀雄や熊谷守一をはじめとする芸術家たちが集まって「池袋モンパルナス」と呼ばれる集団が出てきたりと、新しいクリエイティブな文化が生まれる場所でもあります。

自分たちも池袋の歴史に「クイズ」という爪痕を残せたらと思います。

私の拙い長文をお読みいただきありがとうございました。

最後の最後にひとつお願いがあります。

もし、よろしければ、スアールの公式ツイッターを作りましたのでフォローをお願いいたします!

https://twitter.com/quizbar_suahl

杉原優樹

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