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【短編小説】ホームタウン

1,526文字/目安3分


 朝の通勤。電車は満員。これでもかというくらいに、車内は人で詰まっている。なんとか電車を降りる。後ろからリュックで押される。足が引っかかる。
 人を人と思わないみたいに、人が流れていく。
 コンビニでパンとコーヒーを買う。鳩が三羽、道端をウロウロする。公園にはタバコの煙が四つ上がっている。急いでいるスーツの人。横に広がる集団。スカートの短い女子高生。
 信号待ち。待てない人。
 しばらく歩いて、会社に到着。仕事はみんなそれなりに一生懸命。打ち合わせ。お得意先。クレーム。同僚はいつの間にか別部署の責任者になっている。定時を少し過ぎて退勤。
 目の前の業務をこなすばかりで何かをやった感じがしないが、疲労はしっかり蓄積される。やはり混んでいる帰りの電車。みんな似たような顔をしている。そればかり目につく。みんなが当てもなく歩く人の一部みたいだ。そんな風に見える。
 それでも、同じような顔にもそれぞれたどり着く家がきっとある。家族団欒、笑いながら過ごす人。家族から疎まれる人。一人の時間を謳歌する人、一人に頭を抱える人。
 一人一人に積み上がった過去があって、今がある。きっと、いろんな事情を抱えて暮らしている。名前も知らない、明日には忘れているであろう顔の一つ一つに幸せ不幸せな時間が流れている。
 こんなどうしようもないことが浮かんでは消えて、無性に泣きたくなった。
 そうして足早に一日が過ぎていく。
 これをずっと繰り返して生きている。繰り返すことで、生活が成り立つ。

 小さな頃はレールから外れることを何よりも恐れていた。少しでも踏み外したら人生の終わりみたいに思っていて、だからと言って必死だったわけではなかった。勉強はしていたし、就職先もそれなりのところを探した。そこそこでも走れるくらいには社会のレールは頑丈だった。
 歳を重ねるごとに、レールはさらに強固になっていく。簡単には抜け出すことはできない。外の世界が羨ましくなる。それでもかまわず一定速度で進んでいく。たぶん、外れるのが怖いままなだけだ。外れるだけなら簡単だろう。でも、少しでも踏み外したら元には戻れない。踏み出す勇気もない。
 昔も今も変わらないままなんだ。

 考えても仕方のないことが、泡みたいに浮かび上がってうるさい。何もかも置き去って遠くに行けたらいいのにな。行き先は決めず、思うままに歩けたら。行き着く先が分からないのは今も同じか。
 昔に戻れるとしたらいつがいいだろう。大学か、高校か、それよりも前か。今の記憶を持った状態で昔に戻ったとしたら、自分は何をするだろう。もしかしたら戻らない方が賢明かもしれない。戻ったとして、同じ道をそのままたどるだけかもしれない。初恋のあの子に告白できなかっただとか、試合に負けて泣いて帰っただとか、一夜漬けのテスト勉強で結局何も手につかないまま朝を迎えただとか、自分を好きだと言った女の子と一緒に帰っただとか。わざわざ思い出すでもないことばかりが次々と、駅で止まった電車がまた次の駅で止まるように過ぎていく。

 電車は人を運ぶ。席を立つ人、隣にもたれる人。ドアが開く。流れるように人が動く。ドアの前で退かない人。それに舌打ちをする人。改札にせき止められて詰まる。人がバラけていく。
 みんな自分のことだけで精一杯なんだ。
 帰ろう。
 明日も同じ日が待っている。見慣れたはずのいつもの町が、なんとなくいつもとは違う表情で、じっとこちらを見ている。いろんなものが押し寄せて、うまく飲み込めなくなっているせいだ。ぐるぐるに絡まった頭じゃもう何も答えは出せない。せめて今日この後の時間くらいは自分だけのものにしたい。せめて、今日までの自分が間違っていないと言い聞かせて。

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