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Noteにはあなたと私しか居ない説

久方ぶりにNote更新して開いてみた。

やばない?

適当に検索して人気順でソートして、トップがイイね100未満。急上昇に一桁記事が載ってたり。

Aiがクソ化したんか、そもそもNoteにはあなたと私しか居なかったオチなんか。

まあ控え目に言って落ち目。
終わりに向かって淡々と進んでいくアレ。

無くなったら無くなったで寂しいんやろうけど、別段害はない的な。

こういう寂れた場でクソテキスト垂れ流すのも、昔の前略プロフィールとか魔法のiらんど、個人ブログが辿ってきた足跡とシンクロして哀愁すら漂ってくる。

テキストコンテンツの有料販売はやっぱうまくいかんよな。そら有料コンテンツより遥かに有益な情報が無料でそこいらに転がってるわけで。

ファン支援的なアレで投げ銭するにしても、無料コンテンツに善意で投げ銭の方が投げる方も支援したってる感を得られる気がする。

ものは考えようで、SNS疲れなんてのが取り沙汰されてるように、常にレスポンス期待して嘘松や見栄張り発信垂れ流すよりよっぽど健全な気もする。

クソテキスト垂れ流しって思考の具現化なわけで、定期的にこの作業繰り返すことでなんかしら最適化能力の足しになってるんではと思いたい。

逆に聞きたい、どこ経由でこの垂れ流しに辿り着いたのか。

30代もあっという間に過ぎ去り40代も近づいてきた今日この頃。言いたいことも言えないよの中じゃ反町じゃないけど、ビジネス以外で自分の主張やら意思を表示することが少なくなったとしみじみ。

昔は爆弾岩みたいに我をとおしまくってたけど、今は効率化最適化されすぎて思考すら全自動で処理されてる感じ。

コンピュータと同じで0か1かに集約されていく感覚。

そんななか何の意味も価値もない思考のテキスト具現化作業って逆に生きてるって感じすらする。

とりあえずNoteはそんな場所でええと思う。
クソテキストのなかから辿り着く他人の思考の中の覗き見できる場所。

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