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舞台 「人類史」 観劇レビュー 2020/10/24

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公演タイトル:「人類史」
劇場:神奈川芸術劇場 <ホール>
作・演出:谷賢一
出演:東出昌大、昆夏美、山路和弘他
公演期間:10/23〜11/3
個人評価:★★★★★★★★☆☆


ユヴァル・ノア・ハラリ氏著書のベストセラー「サピエンス全史」を題材とした、人類200万年の歴史を駆け巡る舞台作品。「サピエンス全史」は読んでいたが、正直どんな作品に仕上がるのか想像もつかなかったので非常に楽しみにしていた。
「サピエンス全史」に出てくるような、目からウロコな情報は特に劇中に登場することはなく、人類が直立二足歩行を成し遂げた所から現代までをノンストップで駆け巡る壮大な作品だった。
一幕と二幕の二部構成であり、一幕ではコンテンポラリーダンスと共にホモサピエンスの誕生と進化の過程が描かれ、二幕ではルネサンス期のベネチアで巻き起こる科学革命の夜明けが描かれている。
今の私たちの文明は人類の長い長い歴史の最先端で、今を生きる我々はそんな先祖たちの遺産を全て背負って生きているんだなと改めて実感し、明日を生きようと強く思わせてくれる素晴らしい作品だった。
また、新型コロナウイルスの流行というのもあって、伝染病との戦いと差別を扱ったシーンも登場し、人間が抱く心理はどんなに文明が発達しようが今も昔も変わらないのかなとも思って複雑な気持ちになった。
歴史好き、科学好きな人にとってこれほどまでに刺さる舞台があるだろうか、そうでない人にとってもオススメの贅沢な作品。

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【鑑賞動機】

以前読破して自分の人生観を大きく変えるほどの衝撃を受けた、ユヴァル・ノア・ハラリ氏著書のベストセラー「サピエンス全史」を題材とした舞台と聞いて、物凄く興味をそそられたから。作・演出を務める谷賢一さんは、小劇場演劇で言わずと知れた名演出家なので、きっと前代未聞の作品として完成するだろうと想像していたので、期待値はとても高め。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

200万年前、四足歩行をしていた人類の先祖サピエンスは、言葉も発することは出来ず当然文字を書くことも出来ない。サピエンスは異性を目にすると触れたり抱きしめたりすることでしか愛を表現することが出来なかった。
四足歩行のサピエンスは、コンテンポラリーダンスを踊り出す。非常に照明は暗く、光がほとんどない状態で集団となって華麗に踊っている。
その後、サピエンスはなんとか頑張って直立二足歩行をするようになる。二足で立とうと頑張っては倒れ、頑張っては倒れを繰り返していたが、やがてしっかりと直立二足歩行が皆できるようになる。
しかし、そこで緊迫感の張り詰める音楽と照明と共に、獣が二体サピエンスに襲いかかり皆殺しされる。こうして、サピエンスは数百万回死に、数百万回生きた。
照明が明るくなり、一人の人類が「あー」と声を出す。他のサピエンスも「あー」と声を出す。人類は声を手に入れた、自由自在に「あさ」「あした」「あなた」と声を発することができた。それによって、人類はお互いにコミュニケーションを交わせるようになり、同じ共通認識を持った集団を作ることが出来た。
その時、またしても緊迫感の張り詰める音楽と照明、獣が一体人類の方に向かって近づいてくる。人類は声を使って巧みに連携し、獣を囲い込んで武器で仕留めることに成功する。もう一匹獣がやってくるが、こちらも連携しながら囲い込んで獣を仕留めることに成功する。人類たちは大声をあげて喜ぶ。

狩りで仕留めた獣の頭部を中央に置いて、人類たちはそれを囲うようにして座る。そして、人類は火を起こす。一人の男(東出昌大)が中央に置かれた獣の頭部を被り、中央に居座る。コンテンポラリーダンスと共に、その男性を中心に踊りが始まる。中央の男性を真似するかのように周りの人類は踊る、これは人類の集団の中で主従関係が誕生したことを意味する。
そして、人類は先ほどの男と一人の女(昆夏美)の二人だけになる。女は綺麗な歌声によって男に愛を伝える。二人は引かれ合い恋をする。
一方で人が死ぬと人々はそれを囲んで埋葬し、人の死を悼んだ。ひっそりとした薄緑の照明と悲壮な音楽が立ち込める。
そして、それが終わると今度は人は後ろの壁(映像スクリーン)に向かって線を書き始めた。やがて線から牛や人などを描いた絵となっていった。さらに、沢山の手が描かれた壁画も出現した。

時は約1万年前くらいとなり、農耕文化の始まった時代へと変わる。人々はコンテンポラリーダンスを踊りながら、農耕に勤しんでいる。
一人の男(東出昌大)が、収穫したうちの7/9を税金として国に奪われることに反逆して、官吏たちに捕らえられてしまう。官吏たちは国家に逆らった罪として男の舌を切ろうとするが、そこへ女王(昆夏美)が現れて男の処刑を止める。男を処刑するのであったら、血を流さずして舌を切れと女王は命令する。そんなことは出来ませんと官吏たちは女王にひれ伏すが、なぜ女王が男を助けたがるのかを尋ねる。どうやら、女王はその男に恋い焦がれているようだった。
男は、500kmほど離れたムラに住んでおり、女王の住むマチのように立派な神殿や劇場はなかったけれど、マチのように主従関係があるわけではなく人間関係はフラットで、平和でのどかな場所だったと話す。
そこへ王(山路和弘)が現れる。王は太陽や月、星たちを神として崇めていた。なぜなら、太陽や月、星たちの動きによって我々が時間を獲得したからだと語る。我々が時間を獲得したことで、農耕文化は飛躍的な発展を遂げた。いつ種を撒けば良いのか、いつ収穫すれば良いのかを星たちが教えてくれた。だから太陽、月、星を神として崇めなければいけないのだと。しかし男にとって神は狩猟の対象となる獣たちだった。王は、そんな神のために捧げる税金を納めることに反対したことは、神に逆らったことと同じと王は判断し、男の舌を切り落として殺してしまう。
ここで、第一幕が終了する。

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第二幕は、1616年のヴェネチア郊外の宿屋から始まる。ルネサンスが花開き、多くの芸術家が誕生した。コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランといった航海士たちによって地球が丸く繋がっていることも示されていた。
宿屋の息子の少年サルヴァトーレ(名児耶ゆり)は、星を眺めることが大好きで今晩も星のことについて大人たちから教わっていた。明日は復活祭なので、早く眠るように言われたサルヴァトーレは自分の寝室へ駆け上がっていく。
そこへ、天文学者のガリレオ(山路和弘)とその弟子のアンドレア(村岡哲至)が今晩だけ泊めて欲しいと訪ねてくる。彼らはもちろん名前を明かしたりはしない。宿屋のおかみドナテッラ(小山萌子)たちは、彼らを客人として案内する。

翌朝、復活祭が幕を開ける。人々は昼から酒に食事に祭典を満喫していた。ロマの娼婦マリスカ(大久保眞希)は祭典で浮かれている男たちを次から次へと勧誘していた。
復活劇が始まり、罪を犯した者が修道僧ニッコリーノ(福原冠)によって次々と鞭で打たれる芝居が繰り広げられ大盛り上がりだった。
復活劇が幕を閉じると、大学へ通って学徒として数学・物理学を学んでいるアダーモ(東出昌大)の元に、一人の少年アウグスト(昆夏美)が話しかけてくる。アダーモとアウグストは手紙をやり取りして数学や物理学について議論できる仲だったが、アウグストが大学へも行かず、ましてや本も読まないでアダーモの手紙に書かれていた情報だけを使って学んでいたことに驚愕する。
そこへ、「株を買わんかね!」と投資家のボッチョ(秋葉陽司)がやってくる。彼は、株を安く買いその株の値が高くなることで莫大な富を得られると力説し、株を皆に売ろうとする。そして彼は株式会社を立ち上げ、他国と貿易したり入植することで、外国の物を安く買って自国で高く売り、入植先で大量の奴隷を使って作物を育て、その作物を自国で高く売って儲けるのだと。人々は恐る恐る株を買いたいと言い出す者が、何人かいる程度だった。

そこへ、善良な市民ヴェロニカ(奥村佳恵)がペストにかかったという情報が人々に周知される。ペストは40年前にこの土地でも猛威を振るい多くの人々が亡くなった恐ろしい伝染病である。人々はヴェロニカと関わりのあった人間たちも、ペストにかかっているのではないかと疑い始め、互いをばい菌扱いして差別が始まる。娼婦のマリスカもペストの人間と関係を持った可能性があると嫌われ、追い出されてしまう。
人々は妄想に妄想を重ね、ペストが流行している地域はルターやカルバンといったプロテスタントたちが活動している地域と一致していることで、古来のキリスト教に従わない人間をペスト患者扱いして排除しようとした。その古来のキリスト教に従わない人間の中には、科学者のガリレオの名前も挙げていた。
宿屋のおかみドナテッラは、昨晩ガリレオを宿屋に泊めてしまったことを発覚し、急いで彼を連れて来させる。そして、今までの常識とは逆説的な地動説を唱える天文学者ガリレオの人間そのものを人々は批判した。

そこへアウグストがガリレオの側へ近寄ってくる。みんな地動説は間違っていると唱えるが、アウグストは金星は西から昇って東へ沈むことをガリレオに伝える。ガリレオは金星を夜通し観察していたのかと驚く。そして自作の望遠鏡を持ってくる。ガリレオはアウグストに望遠鏡を覗かせる、そこには木星とそこを周回する木星の衛星が見られた。人間は今まで聖書に書いてあったことが全てであると思い込んでいた。しかし違った。もちろん聖書に書かれていることが間違いであったとまでは言わないが、聖書に書かれていないことは山ほどあると説いた。例えば、木星には周回する衛星が存在するように、全ての星が地球を中心として周回している訳ではない、太陽の周りを地球が周回し、地球の周りを月が周回すると考えれば、ガリレオがこの望遠鏡を通して観察してきた全てのことに合点がいくのだと。
そしてガリレオは、アウグストに次は月のクレーターを覗かせることによって、星が丸い存在なのではなくデコボコした不格好な形をした存在であることも教えてあげた。
そしてガリレオは、この星の動きはある一つの数式によって記述でき、それによって支配されるのではないかと考えていた。

そのガリレオの教えを受けアウグストは、それは星だけでなく他の物体も水も風も全ての運動を記述できる数式があるのではないかと考えた。ガリレオもそこまでは考えていなかったと脱帽した。
それからアウグストは、紙とペンを用いて数式を沢山書き始めた。物体は運動方程式「F=ma」に支配されること、そして全ての物体はお互いに引かれ合っており、この力は万有引力と呼ばれて数式で表せること、そしてケプラーの法則によって全ての星は楕円軌道上を運動していること。
周囲の人間はアウグストの説明に皆ポカンとしていた。

それから科学革命による文明の発達は止まることを知らなかった。フランス革命、アメリカ独立宣言、産業革命、メンデルによる遺伝子の発見、ダーウィンによる進化論、産業革命、エジソンによる電球の発明と電力の普及、アインシュタインによる相対性理論、量子力学の体系化、広島・長崎に投下された原爆、チェルノブイリ・福島第一原発による原発事故。そして、1995年にMicrosoftwindowの発売、1998年にgoogleが初めてサービスを発表、インターネットの時代へと突入、2007年にiphoneが初めて発売、2010年代にディープラーニング技術の進歩によるAIの普及、2020年新型コロナウイルス流行に伴う活動自粛、2023年新型コロナウイルス克服、2030年完全自動運転化、2060年再生医療の発達による不老不死の誕生、2040年AIがシンギュラリティを突破。ここで暗転して終了。

一幕と二幕で雰囲気がまるで異なる。一幕はコンテンポラリーダンスメインのまるで「ライオンキング」を観ているかのようなミュージカル要素の強い作品だったが、二幕に移るとヴェネチアを舞台とした西洋劇に変わってしまう。一度の公演で二つの種類の作品に触れられた感じが凄く良かった。
この作品を見終えた後、やはり今の私たちは長い長い歴史の果てに存在して、先祖の遺産をうまく利用しながら生きてゆかねばならないことを改めて実感した。私たちはどこから来て、どこへ向かうのか。どこから来てへの答えはダーウィンの進化論が教えてくれた。我々の先祖はサルだった。どこへ向かうかに関しては、この作品も明確な答えは提示していない。しかし暗示はしている。AIがシンギュラリティを超えた時、私たちの生活はどうなるのかあの最後の照明のように消えてしまうのか、それとも明るいものなのか、それは私たちのこれからの行動によって決定される気がしている。

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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観・演出はさすが谷賢一さんと思わせるくらいの非の打ちどころのない見事なものだった。

まず一幕の世界観は、映像を中心に巧みに使ってサピエンスの進化を上手く演出していた。二幕は終盤の現代史を年表のように駆け巡るシーンでは映像を駆使していたが、それ以外は舞台装置で豪華に演出されていた。
ここからは、舞台美術、映像、照明、音響の順にみていく。

舞台美術は、一幕ではほとんど素舞台に近い状態。印象に残ったのは、獣と煙を出しながら燃える炎。獣はなかなか迫力があって好きだった。二人ほどで躍動感のある獣を扱っている様はまるで「ライオンキング」のよう。またはカムカムミニキーナの作品の動物をイメージした。人類が初めて火を起こすところのシーンは、あれどうやって煙を出しているのだろうか、ギミックが気になった。本物の炎は扱っていないはずなので、凄く上手い演出で興味深かった。
二幕の舞台美術はとても豪華だった。まず、復活祭を行う場所の西洋地味た居酒屋のセットが好きだった。下手側、上手側両方にテーブルと椅子が配置されていて豪華な衣装も相まって17世紀のヨーロッパを上手く表現していた。
二幕で一番目についた舞台美術は、アウグストが数式を追いかけて運動方程式を大成させた後に宙に吊り上げられた状態で降りてくる、太陽系を模したオブジェ。あの存在感はとても印象に残っていると共に、SF近未来感を匂わせる雰囲気がとても好きだった。西洋というイメージにもマッチしていたのも良かったと思う。

映像に関しては、一幕では抽象的な映像美術が多かった印象で、これが物凄く舞台に映える。
星々が煌くまだ何もない状態を表す映像や、何重にもなった丸が書かれている映像は抽象的ではあるが雰囲気をしっかり作っていた。
また、文字を書き始めるあたりも好きだった。役者の手の動きに合わせてシューと筆で線が描かれる光景が好きだった。またアルタミラ洞窟の壁画や、沢山の手が描かれた映像は凄くインパクトが強くて印象に残る。
二幕に関しては、一番印象に残ったのはアウグストが数式を紙に書くシーンで、映像でスクリーン一杯に数式とグラフが沢山書かれるシーン。あれは数学・物理好きには堪らないだろう。式の意味とかがわかるので、あれは放物線運動だとか、あれは落下運動だとかが分かって面白かった。ここはアウグストが女性であるということも相まって、映画「ドリーム」「インターステラー」「ギフテット」あたりを連想した。
それから終盤の現代史の年表を追うようなシーンの映像も凄く好きだった。産業革命時に蒸気機関の映像が映ったり、アインシュタインの相対性理論の時には数式が映ったり、一番感動したのはMicrosoftWindowsとiphoneとgoogleのくだり、自分たちが生きた時代がこの長い長い人類史の一つを担っているという感動が堪らない。

照明に関しては、印象に残っているのは一番最初のシーンの「ゴー」という音と共に光輝く一つの明るい光。地球の誕生を思わせるような演出が壮大で鳥肌が立った。
それから、一幕のコンテンポラリーダンスの部分の、薄暗いが緑だったり赤だったりの鮮やかな色で照らされているあたりは好きだった。
二幕の月を思わせる天井から下げられた明るい青い照明がとても印象に残っている。ガリレオとアウグストのシーンも相まって凄く感動的だった。

音響に関しては、もう終始素晴らしかった印象。最初の「ゴー」という轟音から鳥肌が立ったし、コンテンポラリーダンスを踊る時のリズミカルな音楽も凄くセンスを感じた。特に一幕で印象における音楽が印象に残っているかなといったところ、力強さを感じる音楽が多く凄くエネルギーをもらった。

演出部分に関しては、コンテンポラリーダンスのシーンが凄くこの作品の良さを出しているといったところ。やはり生の舞台っていいなと思わせてくれるあたりが、このコンテンポラリーダンスには凄く籠もっていた。役者の肉体美、裸足で駆け回る野性的な印象、半透明な床部分に反射している役者の躍動感、背後のスクリーンにうっすら映し出される役者の影、全てがアートのようで芸術的で凄く興奮した時間を過ごせた。
二幕では、新型コロナウイルスの流行によって急遽入れられたであろう、ペストの流行とそれによって人を差別する醜い民衆たちが印象に残った。今も昔も差別は変わらないという悲しい事実がそこには映った。最後の現代史を駆け巡るシーンでも生物学的な出来事が多かった気がする、ワクチンの開発なども歴史の一つとして印象的に組み込まれたのも、新型コロナウイルスの影響によるものかなと感じた。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

役者が沢山出演しているので、メインキャストの東出昌大さん、昆夏美さん、山路和弘さんにスポットを当ててコメントする。

まず東出昌大さんだが、一番印象に残ったのは一幕の終わりの納税しない罪で捕らえられるシーン。若き男性の反逆的な演技に凄く力強さを感じた。
また、度々登場する昆夏美さんとの二人の触れ合い、引き合いには凄くロマンスを感じる。なんだろう、キュンキュンするような恋というよりはもっと尊い愛を感じる辺りが素敵だった。

次に昆夏美さん、まず感じたのが声がとても美しい。特に一幕の東出さんとの二人のシーンで歌うシーンがあるが、あの時の美声は物凄くうっとりとした。とても透き通るように美しくてノビのある声に魅了された。
クレオパトラのような女王役も凄く良かったが、二幕でのアウグストの役は凄く好きだった。ガリレオに引かれていく、そして数式を追いかける追求心の塊のようなアウグストのピュアな演技に引き込まれた。
最後の現代史の年表を追う時の声も良い。

最後に山路和弘さん、この方はこういう歴史ものの作品に凄くマッチした俳優かもしれない。
特にそれを感じたのが、一幕の最後の王を演じている時の時間を解説するシーンと、二幕のガリレオのアウグストに望遠鏡を覗かせるシーン。王を演じている時の時間の解説は凄く説得力があって聞いている観客側も凄く引き込まれた。二幕のガリレオも同じ。何か大らかな落ち着いた雰囲気が人々を引きつける魅力となっているのかもしれない。

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【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今回は、今作とその元になったユヴァル・ノア・ハラリ氏著書のベストセラー「サピエンス全史」を比較しながら考察していくことにする。
当初は、今作が「サピエンス全史」の舞台版だと聞いて驚愕したのだが、別にそういう訳ではなく単に人類200万年の歴史を一つの作品として駆け巡るというテーマだった模様なので、あまり両者を比較しても意味がないかもしれないが、それでも両者の主張で共通する部分は存在するので、そこを掻い摘んで記していく。

やはり、二つの作品で凄く共通して主張されているなと感じたのは、人類がお互いに共通認識を持って行動したことによって大きく進化できたという解釈だろうか。
「サピエンス全史」では、ホモサピエンス(クロマニョン人)がネアンデルタール人よりも優って繁栄できたのは、頭の良さ(脳味噌の容積の大きさ)ではなく言葉を上手く使って認知革命が起き、共通認識を手に入れたことだとしていた。
今作でもその過程を舞台上で上手く表現していた。人類が突然「あー」と声を出せるようになりお互いが通じ合うということに気づいたシーンはとても印象的だった。そこから協力して獣を倒すという流れは、今までは共通認識がもてなかったから獣に勝つことは出来なかったが、言葉を通じて獣を倒すことが可能になったということを分かりやすく再現していて、「サピエンス全史」を読んでいる自分にとってはすんなりと理解できたし、とても面白いと感じた。

また科学革命のくだりも凄く二つの作品で共通していると感じた。
「サピエンス全史」では、科学と資本主義の両輪が近代化を推し進めて文明の発達する速度を飛躍的に延ばしたと記されていた。
これと似たような脈絡が今作にも描かれている。今作では科学の象徴としてガリレオという天文学者が登場する。彼は地動説を唱えて異端だと周囲からは批判されるが、最終的には周囲の賛同を得ることになる。その時に、投資家のボッチョが「彼に投資して巨額の富を手に入れよう」と発言する。このボッチョは、劇中では株を売り歩く商人で貿易と入植で富を築き上げようとするいわば劇中での資本主義の象徴でもある。
この作品では、そこまでボッチョの役自体が物語全体に大きく左右する訳でもないが、しっかり彼を登場させて科学に投資するという結末を作っている点は、「サピエンス全史」の主張をしっかりと組んでいる点かなと思った。

そして、ラストの流れも「サピエンス全史」をしっかりと踏襲していると感じた。
「サピエンス全史」では、人類はこのまま進化を続けたらどこに向かうのかという問いかけで終わっている。テクノロジーが発達しすぎてAIがシンギュラリティを突破してしまうのではないか、再生医療が進んで不老不死になってしまう、つまり人間は神のような存在になるのだろうかと。
今作でも同様の主張がなされている。最後の未来を淡々と語っていくシーンで、2060年再生医療の発達で人類は不老不死を手にする、2040年AIがシンギュラリティを超える、で暗転して終了する。
前者は人類としてはハッピーな結末?のように聞こえる。死なないというのも一つの問題のような気がするが、おそらく「サピエンス全史」でも今作でも良い意味で書かれていることだろう。問題はその後のAIのシンギュラリティの突破である、AIがシンギュラリティを超えてしまったら、人類の手でAIを制御しきれなくなってしまう。人類が進んだ先は、未来は我々にとって喜ばしいものなのだろうか、それとも暗いものなのだろうか、その答えは明確に出されていないという点で、「サピエンス全史」も今作も共通している。

「サピエンス全史」には、今作ではあまり深く語られていない、農耕革命が人類にとって史上最大の失敗だったという解釈や、西洋人は無知の知によって新天地を開拓したという面白い解釈もあるので読んで欲しいが、ここまでの長い歴史を一つの作品にまとめた谷賢一さんは只者ではなかった。

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【写真引用元】

Twitter ステージナタリー
https://twitter.com/stage_natalie/status/1319908003768725504

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