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現実政治を行う日本 日の本一のつわもの 特攻は士道の外道

現代の国学
「やまとこころ」と近代理念の一致について 
第一章 人間と宗教と啓蒙の歴史
現実政治を行う日本 日の本一のつわもの 特攻は士道の外道

 
日本の明治維新は、薩長土肥が尊王攘夷を訴えて討幕した。この運動は、幕府の儒教的身分支配体制の破壊という現実的な目的が存在し、宗教的な信仰による革命ではなかった。明治日本とは江戸時代やそれ以前からの歴史の流れと断絶されたものではなく、オランダやアメリカの革命のように宗教を基盤として勃発的に発生したものではない。この明治維新が無ければ儒教的身分制度を打ち破れず、日本の近代化もトルコやエジプトと同じように失敗したことだろう。


明治維新は、国学という国家主義的な近代啓蒙思想を基盤とするものであって、ヨーロッパのルネサンス運動と同じ性格を持つものであり、紆余曲折を経ながらも表現の自由や参政権等の近代理念を実現させていった。明治維新はスウェーデンやイギリス型の立憲君主国家を作ろうとした運動であるが、信長や秀吉が目指した国家主義を引き継いだという性格も存在している。明治時代には「和魂洋才」という言葉も流行したが、和魂も洋才も本質的には同じものなのだ。


ヨーロッパにおいてはキリスト教以前のギリシャ・ローマ的な精神が近代理念を生み出したように、日本では江戸以前の気風を再評価する国学こそが明治時代を創り上げた。近代理念とそれに基づいた法治権力がなければ、不適格な暴力と宗教観念と身分制度が支配する社会を破ることが出来ないことは、人類史の必然であると言えよう。啓蒙ではなく抑圧を選択する権威主義を、道徳としてあがめてはならない。


明治維新が宗教的な運動ではなかった証拠として、薩摩も当初は公武合体論を唱えていた点が存在している。明治維新とは、尊王攘夷をイデオロギーとしてそれ以外を排他的に弾圧する運動ではなく、維新後は攘夷ではなく開国に切り替えられるだけの政治的なバランス感覚が存在していた。


「勝てば官軍負ければ賊軍」に見られる功利性と政治的バランス感覚が混在するのが日本の伝統であって、忠孝と言った儒教的な妄念は輸入品でしかないことは北条政子の「御恩と奉公」からも明らかだ。官軍こそが善で賊軍は全てが悪、という宗教観念的な二元論認識は日本には存在していない。


日本の武士が伝統的に重んじたものは、信仰ではなくて実体的利益、つまりは功利主義であった。「御恩と奉公」の鎌倉幕府は、元寇に対して恩賞を払えなかった故に崩壊してしまった。鎌倉武士は忠義に篤かった徳の人というよりは契約を重視するリアリストであったと言え、武家社会とはゲセルシャフトであって、ナチスのようなゲマインシャフトではなかったというわけだ。


実は、忠義の人とされることが多い楠木正成であっても、後醍醐天皇から大都会の畿内の所領という莫大極まる恩賞を受け取っている。彼が足利尊氏に奉公して関東の原野を獲得しても、利益がどこにもあるはずもない。


伝統的に政治的リアリズムが日本には存在し、実体情勢を考えた上で意思決定を行う文化性を持つが故に、明治政府は現実政治を行うことが出来た。維新志士もテロリストではあったことは事実だが、彼等は尊王攘夷を宗教的にただ妄信していたカルト宗教集団ではなかった。公共判断を貫く際に必要とあらば武断的な手段も用いることが政治であって、それは観念的な信仰のために有形力を用いる宗教テロとは異なると言えるだろう。そもそも、幕末には選挙など存在せず、江戸幕府はその誕生からして合法政権ではなかったのだから、武力で倒されることは必然であったとすら言える。


維新志士が宗教的な尊王論者でなかったことは、維新後の伊藤博文が明治天皇の意見に反した行動も多かったという事実からも裏付けられる。実は、伊藤博文を暗殺した犯人は伊藤が主君への不忠者であると指摘しているのだから、明治時代における伊藤の評価も似たようなものであった。


そして、明治天皇も「建武の新政」を目指さずに、近代という時代を理解した上で立憲君主であろうと務め、一個人として優れた政治感覚を持っていた。優れた政治感覚を持つ明治天皇と、政教一致の専制君主のヴィルヘルム二世の差は、明治日本の躍進とドイツ帝国の没落という歴史の明暗を造り出すことになった。


明治維新の立役者の吉田松陰は、国学だけではなく軍学も徹底的に研究し、「西洋歩兵論」という徹底的に実用的な兵術の研究書をも叙述したが、彼は太平の世で武士は堕落したと述べていた。精神論に走るだけの武士は戦国武士でもなければ維新志士でもなく、幕府に飼われた文官でしかない。


実は、切腹して死ぬことが武士らしいことであるとされたのは戦争がない江戸時代以降に強まった風習であって、古来においては敵と刺し違えて最期を迎えることが名誉であるとされていた。真田幸村という日本で最も武名を轟かせた戦国武士は切腹ではなく討ち死にを遂げているし、「島津の退き口」も有名な故事であろう。源平の戦いまで遡るならば、平教経の最期も有名な逸話である。


さて、どういうわけか戦後社会では特攻が賛美されて陶酔されることすらある。だが、当たることが殆どなかった特攻は、敵と刺し違える武士の死に様とは言い難く、自爆攻撃としては完璧に失敗した自殺行為でしかなかった。
実は、岩本徹三中尉をはじめとした当時のエースパイロット達は、この作戦を猛烈に批判していた。特攻作戦を立案した上層部すらもが、特攻作戦を「統帥の外道」と称していたのだから、まさか自分達の作戦が敗戦後に崇められるといった事態を生むとは、誰も考えて居なかったことだろう。


特攻とはその戦果ではなくて、往々にして忠孝といった精神面が評価されている。それは現代が戦時ではないからこそ、実体的武勇ではなくて道徳的精神が重んじられているのだ。戦国時代以前では、武士の死は戦果を伴ったものであるべし、という現実的な考え方が強かったのであって、特攻のような死に方は褒められる類のものではなかった。


武勇を軽視して忠孝を重んじる精神は、日本古来のものというよりは大陸由来の儒教的な文治思想である。こういった儒教的な精神を重んじて戦果を残さずに果てることに信仰を見出したものが白虎隊の説話であるが、会津藩は儒教を教育することに熱心であった。


上級指揮官でもなければ、敵と刺し違えて死ぬことが武士の責務であって、切腹することは義務でも何でもないことだ。勇気と蒙昧を取り違えてはならないし、儒教への殉教精神などは、堕落そのものであるだろう。見栄を張ることだけを求めて敵を殺したいと思っていない者は、武士の本質を失っているに過ぎない。維新志士ならば、理屈など抜きで最後まで戦い続けるだけのことだ。


唯心論に縋り、実体的な問題解決を求めないならば、「腹が減っては戦は出来ぬ」という格言を否定している。「武士は食わねど高楊枝」という文句は、江戸時代的な儒教の妄想そのものであって、「人民はパンを欲している」という格言がリアリズムであり、「機械の不足は勤労で補える」というゲバラの発言は理想主義を否定するロマン主義でしかなかった。他者の心情を考えるだけの思い遣りとは、結果の是非を考えないだけの反知性に過ぎず、政治的判断を否定する人気取りそのものであると言えよう。


この白虎隊の説話にヒトラーは大変ご執心していたようで、ヒトラー・ユーゲントが来日した時には、わざわざ会津の白虎隊の墓参りに行かせたという事実がある。ヒトラーはこの御涙頂戴にドイツロマン主義的なセンチメンタリズムを感じ取ったのかも知れないが、その十年後にはヒトラー自身が自殺を遂げることになり、ある意味においては彼の本願は叶ったのだろう。なんであれ、彼は功利主義と現実政治よりも、「民族の誇り」という叩けば埃しか出ないような妄想を愛していたことは間違いがない。


ロマン主義的で迷妄な煽動を好んだヒトラーの心性は横に置いておくとして、一つだけ確実に言えることがある。それは、太平洋戦争中の「日本一のつわもの」の称号は特攻作戦を立案した大西瀧治郎や源田実などの将ではなく、硫黄島で奮戦した栗林中将にこそ相応しいことだ。楠正成の千早赤阪の戦いから見られるように、地形を野戦築城に活用して効率的な防御戦闘を行うことは、日本の古来からの戦術伝統である。「ものづくり」の日本は、戦闘にエンジニアリングを応用する歴史を持っているのだ。


武士とは、武勇と機能美に基づく己の名誉を目指す存在である。武士とは、悪意と技巧によって戦勝を目指す存在である。忠孝によって権威に与えられる観念的名声は、虚構的な自己顕示欲か若しくは宗教的なプロパガンダ以上のものではない。他人からどう見られるかを気にする小心は、「ますらおぶり」から最も遠い心性だろう。


武士の持つべきものは、科学技術を重んじる探求心と、最期は刺し違えて死ぬという執念であって、技も策もなく単に自暴自棄になればよいという話はどこにも存在していない。己を守ることを考えないというのならば、敵を打ち倒すことは出来ないし、友軍を守ることも不可能となる。文化相対主義によって実体判断と観念妄想を同等に扱うようでは、何度戦っても勝つことは不可能だろう。


科学技術の本質とは「認知と制御と出力」であって、それは「心技体の調和」や「気剣体の一致」と呼ばれるものと同一のものだ。まず心で理解して、次に身体で理解することが重要なことであって、思考と感覚を使って動きを制御することが必要となる。己の意思によって明晰な狙いを創り、それを結果と繋げる洗練された術が戦いのアーツである。体幹の力を間合いの先に合理的に噛み合わせる槍の理合いは、空間的かつ時間的な先の未来を創造する工学と何ら変わるところがない。


実際に戦果を挙げていた戦国武士とは対照的に、特攻の大部分は標的に辿り着く前に迎撃される様相であって、特攻隊員の死は有効な戦果を伴ったものではなかった。レーダーを軽視した帝国海軍は、戦いにおける間合いというものを無視していたのだから、武士と呼べるはずもない。スペックを押し付けるだけの強さを求める大艦巨砲主義では硬直した攻撃しか行うことが出来ず、スペックに勝る敵に勝てないだけではなくスペックに劣る敵に敗れるという結果にしかならない。部下をリンチする暴力など強さでもなんでもなく、これを教育して模倣させる必要は全くない。


無思慮な命令によって無意味に命を消耗することは、国家への謀反と部下に対する不敬であって、兵を奴隷的所有物として扱う権威主義の具現であろう。彼等は、戦闘機でも編隊戦術よりも単機での格闘戦に拘っていた一方で、権威に迎合して集団に癒着することばかりを行っていた。兵士個々人に権力の主体であることを自覚させず、上官の奴隷という権威への従属物であることを強制するならば、士気も判断能力も壊滅して、略奪が横行することが歴史の経験則だ。


日本の伝統である山岳森林海洋の複雑な地形の中で機先を取る戦術は、兵の命を最大限に活用するものであるが、兵員個々人の判断力と敢闘精神によって支えられたものだ。高杉晋作の奇兵隊もゲリラ・コマンド集団であったが、忍者の如き戦い方を完璧に遂行していた。


しかし、我慢のための我慢や忍耐のための忍耐といった非合理への信仰は、海軍精神であったとしても忍術と呼ぶことは出来ないだろう。恐れによって人を動かそうとする権威主義は、敵の脅しによって簡単に陽動される軍隊しか作れず、それは的確な指揮系統というものから最も遠い、騙しの儒教的権威序列に過ぎない。斯様な軍隊は、突貫攻撃によって命を失うよりも先に、攪乱攻撃によって指揮系統を破壊されるのが関の山だ。


権威主義による同調圧力と機能的な指揮系統は、完全に対極的な形態である。前者は皆が己の意思決定に何ら責を負わずにただ群れに癒着的に一体化することであり、後者は「個の意識」を持った上で他者と機能的に協働することだ。権威に従うための思考と権威に従わせるための有形力は、非権威を弾圧することに向いていたとしても、戦勝を得るための能力から最も遠いだけの徒労に過ぎない。


二次大戦の最後には長崎の浦上天主堂が核爆弾によって破壊されたが、当時は日本よりもアメリカの方が信仰心が薄かった可能性もある。原子爆弾を設計したのはナチスに迫害されてヨーロッパから避難したユダヤ人の科学者集団であった。濃縮プルトニウムの爆弾を使用する権利はアメリカの白人が握ったわけであって、この結果に地獄のヒトラーは狂喜乱舞したことであろう。


だが、核爆弾による都市爆撃によってそれまでの戦争の在り方が融解してしまったことは確かな事実だ。日本はアメリカに戦争で負けたというよりも、アインシュタインの科学技術の前に降伏せざるを得なくなったということが歴史的な事実である。


もっと言うならば、究極的な敗戦の原因は、カルト宗教である儒教の蔓延によって維新精神が崩壊してしまったことであるが、これは現在のアメリカにも完全に同様の現象が発生している。二次大戦が一次大戦の賠償金によって発生したものであるというのならば、ナチスが英仏の人間よりもソ連人やユダヤ人を率先して虐殺したことに合理的な説明を付けることは不可能だ。現在のアメリカの白人の中では、アングロサクソンではなくて、ドイツ系アメリカ人が最多数派であるのだから、ナチスドイツが崩壊してもナチズムがアメリカで生き延び続けることは必然的な帰結でしかない。


現代の我々は戦死者の死を意味のあるものにするために、特攻を盲目的に信仰し崇め奉るのではなく、陸軍の栗林中将のように有効な作戦を計画しなかった海軍の組織体制を批判する必要がある。実体を無視して美談に仕立て上げることは、単なる御涙頂戴による虚飾的プロパガンダでしかなく、戦争という権力的な事象を権威として信仰の対象にする政教一致そのものだ。そもそも、泣いて誤魔化すことは、赤ん坊の防衛反応以外の何物でもなく、政治がすべきことではないだろう。


同情・共感・承認によって実体的な問題が無視されることは、宗教的な思考停止でしかない。斯様なる唯心論的な我慢は、国家主義にも士道にも反する悲観的なだけの観念幻想に過ぎない。論理を否定すれば全ての交渉に勝てると考えるような愚か者は、知性を否定しているのだから、その後に起こる有形力を使った交渉において勝てるはずがない。武勇という暴力を使いこなさんとする「力への意志」を、忠孝という奴隷意思論の「無力への信仰」に摩り替えんとすることは、日本の伝統ではないのだ。


過ちを自省しないうちには、何を相手にしても敗北を迎え続ける結果に終わるだろう。実体を否定して気分と印象が全てとする唯心論は、地球平面説への信仰と同じ心性であって、気取ることによって虚飾した自己を作らないと気が済まないロマン主義者達の麻薬でしかない。儒教においては全ての目的はメンツ、見栄、面目、世間体、体面、権威からの評価でしかないが、戦いの術とはこれらを目的とするものではない。勝利と、そして結果の創造を目指すためのものだ。


栗林中将も述べていたことであるが、生きて「祖国の地を踏まず」という覚悟は、鉄火場においては己よりもむしろ敵に向けるための、「生きて祖国の血を踏まさせず」でなければならない。自分一人が死ぬ覚悟ではなくて、敵を大量かつ効率よく殺し尽くさんとする熱意を持たなければならない。出来るだけ長生きして、出来るだけ多くの敵を殺し、死ぬ最期のその時まで勇気を貫かねばならない。武士として本当に敵を殺そうと考えているならば、特攻などという方法は感覚的に拒絶するはずだ。勇気とは、特攻のような捨て鉢ではなくて、的確な防御を試みるエースパイロットの警戒意識のことである。己のことを守らない者には友軍を守ることは出来ず、己のことしか守らない者には大事を為すことは出来ない。帝国海軍の上層部は、何かを行って、ものごとを変えようとする敢闘精神が一切において欠如していただけでしかないのだ。


帝国海軍の敬虔な精神は、問題を隠蔽するための虚飾的なプロパガンダに役に立つが、敵との間合いの取り方を理解することは出来ない。合理主義こそが戦うための力の本質であって、憲法九条が改正されたところで国民を騙す精神論と観念論が信仰されるならば、日本の軍隊は十字軍以上のものには成り得るはずがない。日本が敗戦国であることを終えるためには、天皇主権説の根源である儒教を殺すこと以外によっては絶対に達成し得ない。現代であっても将来であっても、アジアの友好を達成するためには、嘘をつくことを美徳とする儒教の根絶が絶対に不可欠である。


だが、筆者は日本とその周囲どころか、この世界の全てから儒教を完全に抹殺することを求めている次第だ。観念的な正しさへの信仰は、実体を顧みる能力を粉々に粉砕することしか出来ない。文明は強く、野蛮は弱いということを我々は徹底的に自覚しなければならない。

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