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好きな光景をつらつらと

ヒマだ。療養中なのだから、ヒマ上等で然るべきなのだが、悲しいかな、あらゆる娯楽に飽きつつある。ということで、目にすると思わずフフッと微笑んでしまう光景を書いてみる。

ブックカフェでそれぞれの本を楽しむ親子

私はいかんせん「同じ空間にいても互いに別々のことをする」時間がとても好きである。とくに親子(この場合、子は小学生くらいがいい。未就学児だと「本に集中する」という行為がちょっと難しそう。)で、互いの世界に耽っている様子はたまらく素敵だ。読んだ本について「どうだった?」などと感想を言い合ったりしているのだろうか。「ひみつ!」と子が返そうもんなら、横から拍手を送りたい。本から受けとったものは自分の中だけに留めておく、そんな経験は自分を強くするのだよ。(誰だ君は。)


図書館で借りたい本を片っ端からかき集め、それらがドサッと机に置かれた様

図書館で本を借りる行為は意外にも難しい。貸出手続きが難しいのではなく「2週間で最大10冊まで」と定められた貸出期限をどう有効活用するか、つまり、どんな割合で10冊分をチョイスするかが非常に悩ましいのである。いくらニートの私でも、2週間で「分厚い長編小説」や「社会問題のルポルタージュ」など、ハイカロリーな類を10冊も読み切ることはできない。となると、カロリー別に配分を決めるのだが、これは案外時間がかかる。なので、とりあえず片っ端から気になる本を抱きかかえ、机にドサッと置き、15~20冊くらいを吟味することになるのだ。この光景は、すこぶるワクワクする。ぱっと見ハイカロリーでも意外と行間が広いもの、ローカロリーと油断してると長々人生訓を説かれていて読むタイミングに迷いそうなもの、その中から10冊を選ぶ。「また今度借りればいいじゃないか」と思うのだが、それはなんか違う。図書館の面白いところである。


こたつから半分体を出している猫

相場は上半身なのだが、この間は足だけ出していた。だいたい父が気づいて、そっと温度を調整している、そんなやさしい世界。


したく途中の食卓

我が家はひとことで言うと、「飯に本気」の家である。夕飯は夜18時ごろから母と娘のどちらか(私か妹)が台所にたち、用意を始める。母の芸はかなり細かい。野菜の扱い方からお皿への盛り方まで、いまだにダメ出しを食らうことがある。どのお皿にどの料理をのせるかは慎重な議論であるがゆえ、母のイメージする食器を食卓に並べられたときは、小さくガッツポーズする。


平日・夕方16時の、人がまばらな駅のホーム(夕陽つき)

学生の特権は平日に遊べること、としょっちゅう思うことがあった。田舎育ちの私にとって、何としてでも避けたいものが「人混み」であるからだ。卒業してからも平日休みだったため、この時間に駅のホームにいるときだけは「カレンダー通りの休みじゃなくても、まぁいっか~」と思える。休日の公園しかり、サラリーマンだけで世界は回ってるわけじゃないと気付かせてくれる光景が私は好きだ。


晴れた日の瀬戸内海。

これは地元の自慢。私の故郷も親戚のおうちも、この瀬戸内海をぐるっと囲ったところに転々とあるため、気づけばよく車窓からこの景色を眺めている。昔は地元のいいところがあまり分からなくて「阿波踊りの時期以外には遊びにこん方がいいよ」と大学の友人たちに伝えていたけど、ようやく気付いた。中四国の我々にはこの「瀬戸内海」があるではないか。波は穏やかで気候は温暖。風光明媚とはまさにこのこと。瀬戸大橋も、明石海峡大橋も、しまなみ海道も。毎度通るたびに胸がしめつけられるというか、私にとってはまさにセンチメンタルな光景だ。ぜひ一度はお越しくださいませ。


他にも思い出したら、パート2を書きます。



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