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コップいっぱいの月

年の暮れになるとセンチメンタルになるのは、年の移り変わりに何を連れて行こうか、何か大切なものを置き去りにしやしないか、そんな風に、大袈裟に、大真面目に構えているからかもしれない。

年末商戦が嫌いだ。
小学生の頃、祖母の家の近所にあるデパートへ行って、大安売りの札のかかった商品を見て思った。一年の終わりに清算されていく、時代の波に乗れなかった商品たちを眺めて、何か嫌な気持ちになったのを覚えている。そうして年末の誰もが忙しいふりをしながら、その実結構適当に盃を交わして、何と無く今年もやりきった風でいるのに居心地が悪くなって、真面目に取捨選択をしてきた自分が面倒になったりする。

総合的に言って、この一年は25年の人生の中で群を抜いて苦しかった。
けれど、胸を打つ何かに多分今までで一番触れた一年だった。
わたしを引き止めるものなどもう何ひとつないのだから、むき出しの心臓で、わたしの全部で、あらゆる舞台や小説を飲み込んだ。
どうせ振り返るならそのことがいい。苦しみも、悲しみも、全部を内包しながら、それらは常に心に寄り添ってくれていたのだから。

(これは自分用に記した一年の総まとめ的文章である)

サン=テグジュペリの小説を基にした、舞台『星の飛行士』を観て、退職を具体的に決断してから、もう一年近くが経った。
子供と大人の狭間でもがいてもがいて、どうして誰も彼も、大人みたいに笑うのだろうと、わたしは何がしたくて、ここまできたのだろうと思いながら、彼の描いた物語に触れた時、わたしはわたしのままで居ていいと、わたしはわたしでいるために動きたいと思った。

けれども夜は冷たい。
5月に仕事を辞めるまでは、ずっと同じ場所をぐるぐると回っているような気がして苦しかった。今は濃霧の中を、一人で彷徨っている心地がする。
日毎に苦しみは重なって、何度死を見つめたかわからない。
それに比べたら、思春期の頃に常々抱いていた「ここから消えてしまいたい」なんて、一過性の厨二病に過ぎなかったとさえ思う。それだって当時は本気で辛かったわけだけれど、人間関係や環境や、一時が過ぎて仕舞えば離れられるような悩みは、それほど大きく捉えなくともよかったのだと今なら思う。

もう這い上がれないと思いながらよく読んだのは中村文則さんの小説だ。
『悪意の手記』を初めて読んだのがいつだったか。それから立て続けに数冊読んだ。
『何もかも憂鬱な夜に』
『土の中の子供』
『掏摸』
「その道の先に消える』
『A』
命の危うさや精神の揺らぎを繊細に描きながら、末尾に向けて光が見え、心の中にある原体験的な傷に黙って手を添える。
生きるということを何度も内省してきた。特にこの一年は何度も何度も生や死や、その隙に生まれた怠惰について内省し、何度も死のうと思いながら、それでも本を読んだ。「死にたい」ではなく「死のう」である。
読み進めるに従って沼底を這ってるような気分になるのに、それを優しく、愛おしく思う。
そんな著書の数々に、今年は何度も救われた。
わたしにとっては、頑張ろうと引っ張り上げられ背中を押されるより、なるべく近しい温度で寄り添ってくれる何かの方が、ずっと必要に感じられたのだ。

本というと少し最近になるけれど、リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』
これは数年の間本棚に行儀よく収まっていた一冊なのだけれど、一人であてもない旅をしたときに引き連れていったうちの一つだ。
なんとなく、停滞はしてるけど、立ち止まることもできないようなそんな生活に、無理にでも休暇が欲しくなって「何もしない旅」をした。
そうして朝早くに東京を出て、昼過ぎにはホテルに籠り、小説の世界に没入した。
結果的にこの本を読んだのは今で良かった。
わたしは長らく読書ができなくなっていて、ここ最近やっと、当たり前に文字を読む、世界に没入する、ということが自然な行為になった。
言葉の持つ透明感や浮遊感が心地よく、けれど、情景を絵に描き出せと言われると、不可能に近い。掴みどころがなく、曖昧で、まるで宙に浮いたようだ。確かに美しい光景は言葉の世界に広がっていて、幻想的で幻覚的な夢を見せるのに、説明は全くもってつかないのだ。
自由だ。と思った。
小説や詩は自由だ。
目に見えないからこそ、想像力に問いかけるからこそ、無限大で自由なのだと思った。
そういう意味では、今まで読んだどの小説より、「小説」という媒体を存分に利用しているし、読むことや書くことの概念すら変わるような出会いだった。
文字を読むって、こんなに楽しい。言葉の色づきだけで十分なのだ。
人に物を勧めるときは、なるべく耳障りのいい言葉で少しずつ歩み寄るべきというのが、オタク社会で学んだ教訓だけれど、詩的表現が好きならば一読して然るべき、とだけは記させて欲しい。

そもそもこの突発的な「何もしない旅」にもきっかけがある。
朗読劇『湯布院奇行』だ。
原作は燃え殻さん。燃え殻さんが好きで迷わず足を運んだ。
作中で繰り返された「死にたいは遠くに行きたい」というフレーズが、しばらく頭から離れなかった。湯布院までは行けないにせよ、日常から距離を置くぐらいはできるな、と思った。
この作品に触れた9月の末、というと、完全なる無職だった期間に当たる。夏の間の短期派遣も終わり、新しいアルバイトを探しながら見つからず、まるで「生きているふり」でもするかのように、夢を掲げて上京したような心地になっていた。
訪れるバグ。夢を言い訳にした現実は整合性が取れず、心が叫ぶみたいにハウリングする。
主人公と自分を重ね合わせ、わけもなく涙を流しながら、舞台上では「誰かの感情が自分みたい」だなんて歌ってる。
全てが図星で、わかり過ぎて、苦しい。
半ば過呼吸になりながら舞台上を見つめては思う。
もう限界で、わたしに必要なのは休養と安心であって、でもそれなら今がいい、もう今がいい。自分のなかに静かに横たわり続けていたであろう自殺念慮に、初めてしっかりと触った気がした。
命を引き延ばすために誤魔化して仮初の幸せと手を繋ぐくらいなら、そういう安心を探して、この先もずっと一生探して、どうにか暮らしていくくらいなら、今がいい。
朗読劇が終わり席をたつ。目眩がした。耳鳴りのように、さっき聞いたハウリングがまだ頭の奥に残っている。
振り返ると、座席が雪崩れ落ちて降り掛かってくるような映像が浮かんだ。このまま自分の足元も崩れて、落ちていく。むしろそれを望んでいるようだった。
物語と共に、この命も飲み込んでくれと思った。
新国立劇場のロビーは明るい。明るいロビーに、行き交う人々の感想が、何かフィルターを通したようにボヤけて響いた。全てが自分とは無関係だった。
多くの人にとってこれはフィクションでエンタメで他人事であるのに対し、わたしは限りなく当事者に近かった。
いかに死ぬか、いかにしてでも死ななければならないと、そんなことばかりを考えていた矢先のことだったのだ。
出入り口に薄く水が貼ってある箇所があって、人は3cmの水があれば死ぬという話を思い出した。思い出しただけだが、ただそう思った。
何が現実で何が幻か。読み手が頁をめくる毎に謎が深まり、カオスを極めていく。けたたましい笑い声が響く。
自分の感情を逆撫でて、触発し、終わりさえ見つめさせるような、そのぐらい慟哭に満ちた作品だった。

多分、そういうものに触りやすい時期だったのだと思う。中村文則さんにしろ、自分の生き方や今ある暮らしに漂う絶望に近いものを引きつける時期だったのだ。

同じ時期に観たのが、極上文學『こゝろ』と劇団鹿殺しさんの舞台『キルミーアゲイン』だ。
夏目漱石さんの『こゝろ』自体、実は全文を読んだことがない。
教科書に載っている、先生(私)が手紙を通して語るKとお嬢さんのこと。その一部しか知らないままにみた。
こちらは生ではなく、DVDで。櫻井圭登さんが出ていたから、今更に手を伸ばした。
深夜に再生したのち、いてもたってもいられなくなってベランダに飛び出した。秋めいてきた夜の寒さが、膿んだ心臓を冷やしていく。
魂がそのまま叫んだような芝居と、綴られた言葉の重みに、何を思ったらいいかわからなかった。
傷ついて苦しいのに、文学やお芝居を愛おしいと思ってしまう。
塞ぐともっと苦しいから、苦しみ切って、泣ききって、眠れない夜は眠らないまま、その時の流れに預けてしまったらいいと思いながら、人であるが故の何かの動力がそれを許さない。
虚ろでも生きるしかないと思っていた。
「もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きてきたのだろう」
どれだけ涙を拭っても、その言葉が消えそうになかった。
事実、あれから数ヶ月がたった今も、ふとした瞬間によぎる。
先生と私の掛け合いの緩急が、先生の言葉を引き取るKと妻と私が、まるで責め立てるような声が、渦の中に立っているかのようだった。わたしを責め立てるようだった。
「もっと早く死ぬべきだったのに」
そっと呟く。
「なぜ今まで生きてきたのだろう」
夢を追うのも苦しい、諦めて繰り返されるだけの日常に帰るのもできない。
死ぬべきだ。死ぬべきなのだと、虚空を見つめる。
人を殺しかねない文学の生命力や、演劇の熱がどうしようもなく好きだと思ってしまった。自分がこんなにも卑屈で脆い人間であるがために、この激流の中を、死にぶつかって動けなくなるまで味わえるのだとしたら、この大いなる渦の中で死んでしまってもいい気がした。
最後のスイッチを押すのが、それが文学や演劇ならば、幸せですらあると思った。

何度も何度もKの遺書がリフレインした。アルバイトひとつ見つからない。毎日履歴書を3、4枚書いていた。
今後のため、どうしてもかなり自由度の高いバイト先が必要だったためか、どこも雇ってなどくれなかった。
不安だった。この生活の先に何があるかもわからなかった。
「もっと早く死ぬべきだったのに」
何度も何度もKの自死する姿がフラッシュバックした。脳裏で銀杏の葉が舞っていた。

それでもわたしは死ななかったし、また舞台へ足を運んだ。
『キルミーアゲイン』
ダム建設により村が沈んでしまうのを防ぐために、お芝居を作る話だ。
過去の罪。夢と言い訳。
わたしも夢と逃げたのかわからないまま、東京にやってきた一人だった。
セピア色になったあの頃と、鮮やかな色を持つ今との対比。
歌にダンスにエンタメとして純粋に面白いのに、物語が解かれていくごとに心が薙ぎ倒されていくように息が詰まる。ラストにかけてはゾッとするほどに美しく儚く、残された光景が網膜に焼き付いてしばらくなくならなかった。
演劇って、こんなにも愛おしくて面白い。この日、わたしははじめて演劇を観たような気分になった。
この頃わたしは「演じること」が知りたくなって、初心者向けのワークショップに参加したことがあった。無職だから、時間は死ぬほどあったんである。
その時に言われた、「何と無くわかる気がするけど腑に落ちないこと」がキルミーアゲインを見たら簡単に飲み込めた。
不自然な自然さ。嘘のないリアルより脚色したリアリティ。本物より本物らしくあること。
2.5次元のようにキャラクターとしての制限がない分、もっと深くまで感情が解放されて、役者の個性と個性がより自由にぶつかった舞台だった。
舞台がある限り、多分わたしは生きていくのだろうな、と思った。

それから、アルバイトも見つかり、仕事も少しずつ前向きに進み始め、えぐられていた感情が巻き戻っていく感じがした。
立ち止まる暇もなくなりながら、どこか不安を引きずったまま。あっという間に12月を迎えた。

12月はリーディングを一本と、舞台を一本。
どちらも好きな役者さんが出ていた。ボロボロの精神状態で芝居の熱に殴られたものだから、涙が止められなかった。
この世界が好きだ、と思った。エンタメが好きだ。お芝居が好きだ。
生きててよかったことなどない、もうそういう次元を通り越してしまった。推しが生きてるくらいじゃ何も救われない。いい舞台を観たくらいじゃ、幸福は続かない。
そんな風に沈んでいたのに、ただ感謝だけが残った。今年も生きられて、ここに足を運べてよかったと。3年と少し前にこの人に出会えたこと。
はじめて足を運んだのもこんな冬だった。朗読だった。それを思い出した。
泣きじゃくりながら思った。こういう人たちと、仕事がしたい。
人の命さえ救えるのだ。
文学や演劇の持つ、人を殺しかねない熱が好きだと語ったところだけれど、生かすこともできるのだ。
実際わたしはどうあっても死なないし、生きたい気持ちが強いから転がり回ってしまうだけだけれど、それでもゾンビのままでいたいわけじゃない。
だからわたしは今スタイリストのアシスタントをしている。衣装だって演出の一つだ。こういう人たちと、最高のエンターテイメントが創りたい。
腹をくくった瞬間だった。数年後、全く違う場所にいるかもしれない。それでも。今はただ、全てをここにかけたい、と思った。
幕が下りると他にも泣いている人は何人もいて、その暖かさにまた泣いてしまう始末だった。
引き込む力や魅せる力に圧倒されたのがファンになっにきっかけだったと思うけれど、もう言葉じゃ表せないほど、わたしの中に渦のように存在し続けている。

幸運なことに12月は自分の望む場所に近いお仕事をさせていただいて、慌ただしくも充実していたように思う。
クリスマスイヴもそのまま一人テッペンを超えてしまって、なんとなくクリスマスへのときめきを失ってしまったことを切なく思いつつも、自分らしく生きれていることが嬉しい。もうそれだけでいい。

今年もいろんな音楽を聴いたけれど、転がりながら仕事にしがみつくなかで作業の手を止めてしまったのは、ART-SCHOOLさんの『Sonnet』『アパシーズ・ラスト・ナイト』
アルバム『Love/Hate』の収録曲で、ずっとプレイリストには入れてはいたけれど、どうしてか今になって刺さって抜けなくなってしまった。そんなわけでしばらくぶりに音楽に興奮している。
サウンドだけで思わず手を止めてしまうほど虚を孕み、肩に重たくのしかかる。
アルバムを通して、映画を一つ観終えたような大きな感傷に触れる。惨たらしく痛々しい。何かに苛まれて落ちていくような感覚に陥りながら、酩酊感を手放すことができなくて夜中かけ続けた。
聴けば聴くほどに渇いていく感じがして、心をこんなにも引っ掻く音楽が他にあるだろうか、と思う。

そんな風に一枚のアルバムに囚われながら、年末のライブイベント用の衣装をほんの少しだけ手伝わせていただいた。衣装の製作や手直し、修理が主な仕事だったから、直接ステージに関わることはないにせよ、ライブを楽しみにしているお客さんや、この衣装の袖に腕を通す演者がいること。そうして誰かを輝かせ、潤わせる何かに携われていることを幸福に思った。
エンタメを食む側から、生み出す側へ。
この気持ちがはじめて生まれたのは17の頃だったから、実に8年も足踏みをしてきたことになる。今になって新しいことを始めて、本当にこの先何かを得られるのか、と心配になったりする。
これまでのようにステージを楽しむこともなくなるかもしれない。これからも変わらずにライブや舞台が好きだろうけど、もう何も知らないままではいられなくなる。

ライブの最終公演が終わり、荷物を受け渡されて会場を後にする途中、感想を口にするお客さんとすれ違う。いつもの自分を見ているようだ。
その高揚感に触れたとき、プレゼントを待つ子供から、サンタさんになった気分になった。
悴んだ手に紙袋の持ち手が食い込んで痛いのに、心がじわりと暖かくなっていく。
…こんな大人ならいいかもしれないな。

どうせいつか死ぬのだから、立派な人生などどこにもなくていい。今もろくに見えてないくせに、未来なんて覗き用がないのだ。
委ねて、落ちて、それでも、大好きな世界に触れていられるなら、幸せな気がする。
大人を寂しいものにしたくない。夢敗れることを大人とは呼びたくない。

さて、新年には何を連れてこう。
実家に帰る支度をする。
カバンに詰めた愛が、二度と誰も悲しませないよう、祈った。

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