まもなか

衣装アシ、ふやけた指先を、ただずっと見つめています

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蛹室にて問う

ヒトの自然寿命は38歳という説がある。 わたしはそれを初めて知った時、すこし安堵した。 それは38になれば自然死を装って死ねるかもしれないと思ったからかもしれないし、本来38年のところを100年も見越さなければならないのだから、精神的に滅入るのも当然だ、と思ったからかもしれない。定かではない。そのどちらもかもしれない。 あと一年、あともう一年と生き延ばして、27クラブを意識したとき、何と無くわたしは死ねはしないんだろうなと思った。閃光のように駆け抜けた彼らを思うと、わたし

      • 寒い日に悴んだ手をあっためたような、その一口目にやわらかく安心するような、そんな感想を求めて缶のミルクティーを買っては、もうこれでは手に入らないのだな、と思って。 じゃあ何ならいいのかって、それは喪失感と一緒にパウチになってる。 いつかまた、出会う日が来るのか、わたしは知らない。

        • 夜のうちに家を出る。 この時期の5:00というと、朝よりも夜に近い。 駅のホームで自販機を睨む。 何か。あったかくて、やさしくて、あまい、何か。 もともと得意ではなかったが、甘い飲み物が苦手になった。金属食器もより一層苦手になり、缶から直接飲み物が飲めなくなった。 ペットボトルのあったかいミルクティーを買う。 あの頃、たまらなくおいしくて、やさしかったミルクティーを。 今のわたしには風味付きの砂糖水のようでたまらないが、それでもいつまでも「あの日あった幸せ」を追いかけている

        蛹室にて問う

        • 寒い日に悴んだ手をあっためたような、その一口目にやわらかく安心するような、そんな感想を求めて缶のミルクティーを買っては、もうこれでは手に入らないのだな、と思って。 じゃあ何ならいいのかって、それは喪失感と一緒にパウチになってる。 いつかまた、出会う日が来るのか、わたしは知らない。

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          写る愛と写らない愛/光画楼喜譚に寄せて

          まだ余る旅路には、一体どんな喜びがあるだろうか。 生きるとか、死ぬとか、総じて勝手だ。 わたしは多分生きていくことに消極的な方だけど、同時に死にゆくことを愛しているとも言える。 燃えるように、尽きるまで、今日を必死に生きているつもりだ。 少年社中25周年記念公演第二弾『光画楼喜譚』 名前の通り、喜劇を描いた物語である。愛と絆、コメディと重さのバランスがとても好きでした。 ネタバレを含みます。 そして先に伝えたいこと、是非、足を運んでください。 ここ1年は仕事が忙しくてタ

          写る愛と写らない愛/光画楼喜譚に寄せて

          ずっと埋葬するような、そんな気分だ あなたは死んだ そうしてわたしも死んだ だから自分で見つけなきゃならなくて、自分の足で歩かなきゃならない スニーカーが運ぶのは何かな それが致死量の悲しみでも、それを選ぶわたしのことを、パパやママにあいしてほしい /なつとカミサマ

          ずっと埋葬するような、そんな気分だ あなたは死んだ そうしてわたしも死んだ だから自分で見つけなきゃならなくて、自分の足で歩かなきゃならない スニーカーが運ぶのは何かな それが致死量の悲しみでも、それを選ぶわたしのことを、パパやママにあいしてほしい /なつとカミサマ

          なつとカミサマ

          暑い。 でも夏じゃなかった。 夏というのはもっと、汗で張り付いた前髪や、夜のねっとりとした空気や、そこに内省を試みるような。 上がりすぎた体温に冷えピタを張り付ける。 自分の中身が全部、粘り気のある何かに変容した感じがする。 クーラーボックスからポカリを引き上げて、逆さまに喉に流し込む。 考える暇もなく、でも確かに時間の流れを感じながら、傷み、悲しんできた気がする。 もう戻らない時みたいなの、楽しかった記憶を辿って、またもう一度を信じた幼い日にかえる。そして「もう一度」は

          なつとカミサマ

          ショートケーキが特別だった頃

          好きなものはたくさんあった。 ピアノの一番右の鍵盤。少し重たく沈み、それからカンと音を鳴らす、端っこの鍵盤。 じゆうちょうに描いた4コマ漫画。 もう削れないほど小さくなった、そらいろの色鉛筆。 スキップをするときの、地面を蹴るリズム。 肋木のてっぺんから見下ろした、校庭の景色。 好きなアーティストのうたを焼いたMD。調子が悪く、よく音が飛ぶ。 わたしたちは忘れていく。 ページを捲る手を止めて栞を挟んでみても何か足りない。 味はするけれどピンとこない。 そんなことが増えた。

          ショートケーキが特別だった頃

          ネバーランドの心臓

          仕事の連絡を待っていた。 2時間経とうと不明瞭な返信に、流石にもういいだろうと明治神宮前駅へ向かう。ちょっと食べたいものがあった。…のだけど。 店の前まで来て立ち止まる。長蛇の列。12月23日金曜日。明日がクリスマスイブとして、今日は今日で皆浮き出し立っている。 なんだ、こっちは疲れたからご飯ぐらいは好きに食べようと、ただそれだけだったのに。 仕方ないので駅へと引き換えす。クリスマスモード一色の中、わざわざ並んでまで食事をするほどハッピーじゃなかった。 途中、鏡に反射した

          ネバーランドの心臓

          スキップ

          地面を蹴る。スキップをする。 変わらない毎日も、丸ごとスキップできたらいいのに。 スキップをする。 一年前の約束を思い出す。 転がるみたいな一年だった。 何だかもっとずっと歳をとったような気がする。重ねたのではなく、ただ歳をとった。 わかりやすく疲れた体に、ずっしりと一年分のツケがのしかかって、わずか一年前の若かった心をより一層眩しく思わせる。 新しい世界はあまりにも閉ざされていて、行き場なんてなくて、そんな絶望の中でなんとかもらった仕事も、僅かな希望を信じていたあの

          スキップ

          泥濘か酩酊か

          あ、死ぬかもな。 5分前の喧騒の代償。頭が痛い。 頭が痛い、というのも今付け加えただけで本当はそんなの分かっちゃいなかった。 嗚咽もなく、アルコールが喉をとおって外へでる。 眩暈。感じたことがないほどの眩暈と、途切れそうになって暴れる意識。 無理、無理だ、無理。 なんでこうなった、なんでこうなってるんだろう。 みずだ、みず。水を飲まなきゃならない。 喉へ流し込もうとしてそれも吐き出す。 さけ、さけのあじがする。 飲めば飲むほど吐きたくてたまらなくなって、手洗いへ走る。 結局

          泥濘か酩酊か

          石の華

          少年が青いライトを遮って踊った。少年の影が壁をくり抜いて、怪しく大きくなる。 幻想的で美しい。ここは墓地か葬儀場か、そんな何かに見える気がした。 GWは毎年の母方の祖父母の家でバーベキューをする。 仕事が一件も入らなかったからアルバイトの調整をして帰省をした。 この件に関しては何も書くまい。わたしだけが弾かれた世界での話だ。 兄は看護師、下のいとこは音楽療法士、上のいとこは今年医者になったばかりだ。対してわたしは名目上は個人事業主だが、実際的にはフリーターと変わらない。

          フカイ、ふかい。

          欲しいものは何だったろう、行きたい場所はどこだったろう。考える。考えて、考えて、考えあぐねて泡になる。劇的とまでは言えない緩やかな変化と少しずつやってくる停滞と、意味ありげて意味のない毎日の正体に、気が付かぬよう目を背けている。…気がする。とりあえず、手放したくないもの、を考える。不安にかられる。手詰まりである。どこへも行けない。どこへも行かない。そんなのはやだな。けどもうどうしようもないや。生きてくの本当に嫌、嫌になっちゃったな。なんかもう文章も上手く書けない。意欲だけ取り

          フカイ、ふかい。

          満ちたとして(最近の観劇のこと)

          何を書けばいいかわからない。というのが久しぶりに筆をとった観劇記録の主題である。 観劇と最近のこと。 なんだか記録をつけるようになってから、書くことを意識した見方をするようになってしまって、観劇が面白くなかった。 けれど、忘れたくないと思うことも多いから、残せるだけ残したいなと思う。 とりあえず最近観た舞台のこと。 『無人島に生きる十六人』 原作を知らないのもあって、かなりゆるやかな心持ちで足を運んだ。 めちゃくちゃ歌う。ミュージカル。 納得のキャスティングでした。と

          満ちたとして(最近の観劇のこと)

          コップいっぱいの月

          年の暮れになるとセンチメンタルになるのは、年の移り変わりに何を連れて行こうか、何か大切なものを置き去りにしやしないか、そんな風に、大袈裟に、大真面目に構えているからかもしれない。 年末商戦が嫌いだ。 小学生の頃、祖母の家の近所にあるデパートへ行って、大安売りの札のかかった商品を見て思った。一年の終わりに清算されていく、時代の波に乗れなかった商品たちを眺めて、何か嫌な気持ちになったのを覚えている。そうして年末の誰もが忙しいふりをしながら、その実結構適当に盃を交わして、何と無く

          コップいっぱいの月

          多分、続いてく日々に

          何度目かのベルの音で目を覚まし、顔を洗う。 5時半から6時の間に起きて、7時には電車に乗る。 電車の中ではぐにゃりと身体を二つに折り曲げて眠って、どうにか仕事から逃れて帰路につくと、帰りは本を読みながら微睡む。 家に帰れば「ただいま」や「おかえり」を交わし、それぞれに1日の終わりが見えてくると、部屋にこもって映画を観る。 部屋の中を白黒映画の頼りない光と、アンティーク風のテーブルランプの黄色い光が照らし、あちこちに曖昧な影を作った。 そんなのが日課になっていた。 そんなのが日

          多分、続いてく日々に