見出し画像

群青-”FAMILY“に寄せて-

雨が降ったり止んだりを繰り返している。
じっとりとした空気も気にならないくらい、わたしの涙の方がずっと雨みたいだった。
両の拳をギュッと握って、新宿を歩いた。

『コブクロ JUKE BOX reading musical”FAMILY”』

とんでもないもん観ちまったぜ。久々かも、観劇記録。
書きたいものはたくさんあったけれど、時間がなかったり、書き進まなかったり。
とはいえ時間がなくても書く時は書くから、こういう時は書かないとどうにもならないほど、心が動いてしまった時。

2024/7/13
櫻井圭登さん、三好大貴さん回を観劇。
最高のバディ、三好さんの最初のセリフが「やぁ」だったの、無意識に反応してしまったオタクは多いんじゃなかろうか。

開演前、穏やかに音楽がずっと流れていて、なんとなくメロディに心をのせながらぼーっとしていたら、音もなく男1が舞台上に上がった。
なんだかその、現実と物語との境界の淡い感じが、空間の概念を曖昧にする。

この儚くて綺麗で、目を離した隙にうっかりどこかに消えてしまいそうな優しい声色の美青年は誰ですか?とアホなことを思っていたら推しでした。
何度観ても毎回知らない顔を知る。
落ち着いた柔らかな声で語りが始まっていく。

セットは真っ白で、真っ白なブルーで、とても綺麗で。
ロッカーや、机や、窓や、いろいろあるのに、どことなく伽藍堂な感じがする。中央には椅子が一つ。

男1が机の引き出しを開ける。机から光が溢れ出す。
終始光の演出が本当に素敵で、そのたびに心を騒がせた。
音楽も光も、全部が洪水みたいに溢れて、被膜の向こうにいる男1と、被膜のこちら側にいる男2。歌。色彩。それらが全て、さらわれるように黒に染まって、いよいよ物語が始まった。

何も覚えていない男が二人。真っ白な部屋で出会う。
男2が言う。
もしかしたらここは生と死の狭間で、曖昧な境界で、その椅子に座った一人だけが生きられるのではないか。…椅子取りゲームをしよう。
そんなところから物語は始まる。

男2がまた言う。
このドアや窓の向こうには生前の記憶があるのではないか。走馬灯が見れるのではないかと。二人きりで椅子取りゲームをするよりも、人生をのぞいてどちらが生きるべきかを決めようと。

男1は自分の人生はたいしたことがないからと拒否するも、見てみなければわからないと男2が強引に誘導する。

純朴で消極的な男1に対して男2は狡猾で世渡りがうまそうで、ニタニタと笑うのがより一層嫌なやつに見える。他人の人生をいたずらにのぞこうとしているかのように。
男1は渋々、ロッカーを開けた。学校の隅にある、掃除用具を入れるような、縦長のロッカーだ。

淡いブルーの空間を眺めながら、男1、というか櫻井圭登さんに対して、群青がよく似合う人だ、と何故か思った。視覚的要素、というより、精神的色彩や、青春の青さが群青色を思わせたのか。いや、空の青さをそこに見たのかもしれないけど。

ロッカーから飛び出した走馬灯の中で、高校時代の男1は放課後の美術室で絵を描いていた。
もう、この辺りからずっと、心が傷んで仕方なかった。
圭登さんの演じる10代像は等身大でナチュラルで、胸がキュッとなる。もうやめてくれと蓋をしそうなくらい、まだ赤く湿った傷口を見ているようでたまらなくなる。
華奢な身体からでる、突っぱねるような声。
繊細で、内側に渦巻いた感情に触れようとしたなら、あっというまに解けてしまいそうで、遠くから見るしかできない。反対にその深層に没入して、かつての自分の上手く言葉にできなかったあの感情を思い出したりした。

ポートオーソリティの時も思ったけれど、なんでこの人は、こんなに青春のじくじくとした傷みが似合うんだろう。
ひりつき。葛藤。友達。母親。羨望。期待。憧れ。色彩。…曇り空。

ずっとずっと、胸が締め付けられる。少年の危うさや脆さが、どうしてもどこか不安を誘って、泣き出しそうになる。引っ張られる。わたしもいつのまにかあの日に立っていて、クラクラしてくる。

あの日の思いも、今も。全部がごっちゃになって心に飛び込んできて、一気に感情のプールをいっぱいにした。
中高生の頃のわたしといえば、覚えたての「閉塞感」と言うワードが支配していたように思う。どちらかと言うと孤独や寂寞のようなものだったと思う。
母は明るかった。そして楽天的だった。でもその明るさが時に思春期の心に傷を作った。
絆創膏でも貼って、触らずにそうっとしておけばよかったのに、気になって何度もかきむしって、いつの間にかボロボロになった。
友達はいた。でも不安定だった。今いる友達とは少し違って、ほんの少しの齟齬が一大事になったりした。
みんなそれぞれに不安定で、必死で、すぐ隣にある素敵なものがたまらなく羨ましかったりして、私たちはそのたびにぶつかり合った。
大人になるまで、角が丸くなるまで、何度も衝突を繰り返して、時々身を寄せ合ったりして。思春期は常に不安定で、選択を他者に委ねることも、自分で決めることもうまくできないでいた。

そんな日々を思い出す。
選ばないことやチャンスを掴まないことをずっと誰かのせいにしながら、言い訳を探しながら、飛び込むよりもそれなりを選ぶ方が容易かった。そうして出来上がったのが22の、夢の見方を忘れたわたしだった。明日が来ることが嫌で、どこにも行けない朝を受け入れることができなくて、深夜に半裸で泣きじゃくっていたわたしだった。

どんな話だったのか、と言われると難しい。
夢を軸にしたお芝居や、恋を軸にしたお芝居、誰かを守るためのお芝居。そういうものはたくさんあるけれど、この作品はそのどれもであってどれでもない。
確かに人生は夢だけでも愛だけでもないし、友人や恋人や家族だけでもない。男1の手で扉が開かれるたび、いろんな思いが掘り起こされた。

やりたいことに手を伸ばせなくて膿んだ青春や、両親との距離を測りかねて口をついた酷い言葉や、初めて誰かを好きになって、教室の窓にもたれて話をした時間や。

社会人になって、思ったようにはいかなくて、せめて近い場所へと思いながらここに辿り着いた。近いからこそ悲しいと思う。
広告デザインの会社で働きながら、デザイナーを見つめる男1が自分に重なる。
手を伸ばせばすぐ届く距離にあるはずの羨望が、まるで月みたいに遠くて、わたしはそれにはなれなくて。圧倒的距離を前に、違いを見せつけられる。厭と言うほどわからされる。またズレていくんだ、と思う。
やってみればよかったのに。やってみたら、どこかへ行けたかもしれないのに。もう遅いね、そんな思いがいつもあって、どんどん苦しくなる。

まるで迷子だった。
いつまでも、いつまでも、広い海でへたくそに歌うクジラみたいに。

コブクロさんの歌はもちろんいくつも知っているけれど、初めて聴く曲もたくさんあった。
どれも歌詞が刺さりまくって泣きじゃくったけど、特に『君になれ』がすきでした。
今日もうまくできなかった。今日も間違えた。仕事ではそんな繰り返しで。
それでも、今日だからできたことがあって、明日にはできることがあって。今日見つけた想いは、今日だから見えた思いは。今日しかないから尊いのだ。
前に進むだけが正解じゃない。過去未来全部、抱えて生きてわたしになる。
君になれ 君になれ。わたしになるために、まだ今日を潜り抜けていく。

物語が進んでいくと、あれ、と思う。
二人の関係が紐解かれていくごとに涙がどんどん溢れてきてたまらなくて、さっき「嫌なやつ」と称したニタニタとした笑い方が、気が付けば喜びや気恥ずかしさや愛に見えてしょうがなかった。
うそだ、嫌だ、と思った。何度も指先で涙を拭って、止まらなくて、顔を覆った。
一緒に、生きられたらいいのに。
なんで、たった一つの椅子しかないの。

いやすごすぎる。お二人ともよく知った役者さんだけど。この二人だからできる関係値を観て、もう一回最初から巻き戻せたらいいのにと強く願った。
一度きりだからいいのかも。なんてのはけれど本当だろうか。
最高の時間を焼き付けて、永遠にして、それでもやっぱり鮮やかさは褪せるでしょう。わたしは最高を失いたくないし、100万回でも巻き戻して、100万回新しい発見をしたいと思ってしまう。
それでもこれは空だから。二度と同じ空は見れないから。
そういうことなんだろうか。

男2が後ろから優しく男1を抱きしめる。
愛を観た。わたしがいい加減に振り払ってきた愛を目の当たりにした。泣いても泣いても涙が枯れていかなくて困った。

歌声が会場中に響く。
もうさ、綺麗すぎて。お二人とも。
わたし、圭登さんの歌声が大好きで、柔らかくて繊細ででも芯があって、圧の抜き方が心地よくて。
男1の死から生へ、静から動への移り変わりが私たちの心も拾い上げていく。冷たい水があっという間に沸騰して、泡立つみたいに綺麗だった。
こんなに暖かな「まっくら」を知らない。

歌いながら壇上を降りるの、格好良すぎて、かっこういい〜って感情が溢れすぎてまた泣きました。
世界一格好いい。ずるいよ。観るたびにもう一度好きになる。きっと100億回でも好きになる。
二人の歌声を閉じ込めていたいと思った。ずっとこの歌を聴いていたい。何もなくならないでほしい。
それでも夜明けはやってくる。ゆめは覚める。

観劇後、しばらく立ち上がることができなかった。
ステージの上、空っぽになった椅子を眺めながら、まだ溢れてくる涙を両の手で拭って、膝に肘をついて顔を乗せ、下を向いた。
隣のお姉さんも立ち上がろうとせずにすすり泣いていた。

歌や芝居が、間違うことも、何者にもなれないことも、優しく肯定して、両手に希望を抱かせる。
ズレていく。ズレていくものなのかも。
それでもわたし、夢を見てよかった。お芝居に出会えてよかった。
あなたの芝居に、出会ってよかったよ。

数年前、いくつかの舞台を観た後で世界の何もかもが変わった。
こんなに素敵な場所があるのだと思って、こんなにも深い情熱があるのかと思って、あの場所へ行きたいと思った時。存外簡単に「やればいい」と言う思いがついて出た。
それが『舞台刀剣乱舞 維伝』だった。
維伝に出ていた二人、夢へ連れ出してくれた人たちの、こんなお芝居が観れて、もう幸せでたまらなくて。
それまでの憧れとは違う。やればいいと思った。その瞬間を作ったのはこの人たちでした。

それから、ずっと全力で駆け抜けて、何ができるだろうって考えて、多分衣装がやりたいなんてのもいいわけだし逃げだったけど、多分わたしが焦がれたのはあの舞台の上で。どれだけ思いを重ねても苦しくて。それでも信じられない光景を重ねていくたびに、幸せが積もっていく。

いくつもの映画やドラマを撮った。CMを撮った。雑誌や、アーティスト写真や、いろんな仕事をさせてもらいながら、合間を縫ってたくさん観劇をした。
去年の秋に演劇に近いような映像作品を撮った時、モニターに映らない、切り取られた外側の芝居を見て思った。
モニター越しの景色じゃなくて、生の世界にもっと触れたい。あ、やっぱり舞台がやりたい。同じ衣装でも、舞台の衣装や演出がしたい。
わたし、だから、ここから飛び出していくんだな。好きだから、歩いてく。ただ好きなだけでいい。

いいの、空を攫わないと、星は手に入んないから。月は無理かもしれないけれど、六等星ならわたしにもつかめるかもしれない。
広い海を航海するだけじゃ、水面で揺れる月を掬おうとして弄ばれるだけでしょう。
だからいい、もういいの。
正しくなくても、叶わなくても、ズレてしまっても。
まっすぐ歩きたくても、たまらなくずれる。そうして寄り道した先に、いろんな色彩を抱えたわたしになっていたい。
後悔はしない。
今日の思い出が、今を生きた時間が、わたしの宝物になるから。
空がいい。空を見ていたい。
真昼の月をわたしは愛していて、見えなくてもそこにある星々に見守られている。

何度も考えた。こうしているうちにきっとあっという間に30歳も跨いでしまう。
そうしていつか、夢から手を離すのかもしれない。その時に全部失って何も残らないかもしれない。
こんなに頑張った先で、一生アルバイターかもね、でもいいや。今から腰を据えてしまうより。そうやって焦がれるより。全部持ってるわたしになりたい。
転職をするなら20代のうちにとか、そんな恐怖がいつも私を悩ませて、前に進みたいのに予防線を張ろうとする。大胆になれない。
でももう何もかもいらないと思った。
わたしが必死に生きた時間がここにあれば。やり直しのできないこの一瞬に、きっと後悔しない。
憑き物が落ちたみたいに、迷いが消えていた。

夢や理想のためになら命も落とせるから。なら命を落としてもいいと思える日々を、生きていたいな。
毎日新しい扉を開けて、毎日新しい夢を見て。演劇にもらったそんな思いを、いつまでも無くしたくない。
わたしはわたしのときめきのために生きて、その果てに燃え尽きてしまいたい。

大人になるほど身動きは取れなくなるのに、明日を知るほど空は広く高くて、そのことが途方もなく苦しくて。
時折自分がここにいることが信じられなくなるくらい、とても広い世界にいて。毎日、目まぐるしくて、倒れそうなくらい疲弊してるし、まだ夢は叶わないけど、逃げちゃいたい時もあるけど、この人生でよかったなぁと思った。
あなたに出会っちゃったから、夢の先を見ようなんて大それたことを思っちゃって、そのせいで多分人より多く苦しんだけれど、それを幸せだと心から思える。

3年くらい前、どうしようもなく昏くって。死んでしまいたい気がしていた。
休日に通う観劇とかライブとか、そういう、刹那的な幸せでどうにか繋いで、つぎはぎの心を抱えて、人生は暇つぶしみたいなもんだ、と思った。生まれてから死を迎える日まで、隙間を埋めるようにずっと暇を潰すだけ。
意味がないから、意味ありげに生きているだけ。
「人生 暇つぶし」と検索をかけて、パスカルのパンセがヒットした。人生は暇つぶしだから、そう構えなくていいよ、みたいなこと。暇つぶしならなくてもいいよと考えていたと思う。

どれだけかけがえのなさを唱えられても、命の尊さに気がついても、わたしはこの手の中に、未来を掴めなかった。
それでも、人生は暇つぶしではなくて、わたしにはほしいものがあって。前のめりに、明日を生きていて。
今あるこの時間の大切さを思う。わたしは、舞台の上に全部を賭けたい。見つけたんだよな、とっくに見つけていた。一生を賭けてやりたいこと。

一分一秒や一瞬が大切だからこそ、演じることに生きて、それを観ようと足を運ぶ人がいて、とても幸せなことに思う。
一瞬に感じるほど圧倒的な時間は、きっと永遠に心に残る。
前を見るのが難しい時に、心を開くために挟んだ栞のような、そんなお芝居だった。
他の人の回も観てみたいな。
それこそもっと、あっけらかんとした芝居をするような人とか。推しはそもそもが少しダウナーな気質だと感じているのもあって、どうせなら反対に全く陰りを感じさせない人のパターンが観てみたい気がする。

背中を預けあって歌う二人が、まだ瞼の裏に焼き付いている。
雨が降ったり止んだりを繰り返している。
じっとりとした空気も気にならないくらい、わたしの涙の方がずっと雨みたいだった。
両の拳をギュッと握って、新宿を歩いた。
未来を握りしめて、空を見上げた。
やがて朝が来て、雲が晴れて、星が朝に隠されて群青に染まるのを、待ち遠しく思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?