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満ちたとして(最近の観劇のこと)

何を書けばいいかわからない。というのが久しぶりに筆をとった観劇記録の主題である。

観劇と最近のこと。
なんだか記録をつけるようになってから、書くことを意識した見方をするようになってしまって、観劇が面白くなかった。
けれど、忘れたくないと思うことも多いから、残せるだけ残したいなと思う。


とりあえず最近観た舞台のこと。

『無人島に生きる十六人』

原作を知らないのもあって、かなりゆるやかな心持ちで足を運んだ。
めちゃくちゃ歌う。ミュージカル。
納得のキャスティングでした。とっても。
歌えるし踊れる。そんな人ばかり。

明るく前向きだが不器用で自己肯定感が低い、天涯孤独の少年国後孝夫と、自分の正しさに真っ直ぐであるが故に、協調性に難のある範多ウィリアムにスポットを当て、少年たちの成長を描いている。
主人公、国後役の櫻井圭登さんの舞台には必ず足を運ぶし、そうでなくともお芝居が好きだからだいたい毎月観劇をしている。
けれども、なんだかここ最近で一番泣いたような気がする。もちろん涙で良し悪しは決まらない。ただ自分の中の、誰も触れてはくれない感情の近くを歩いてただけにすぎない。

国後孝夫は今まで出会ったどんな物語の登場人物より、人として自分に近いな、と思った。だから、あんなにも泣いたのに、何を書いたらいいのかわからないのだ。

「海の色 わからない」
序盤の歌のフレーズである。
海の濃度で深さがわかる。らしい。
「わからない」
自分の居場所も目的も。
ああ、きた。もうズシンと。
長いこと何もわからないまま、ただ何かを見つめようと目を凝らしてる。
そうした感情と、海の深さはよく似ている。

少年が自分を見つけるために船に乗り込み、口にすることといえば「自分はみんなのために死ねます」
そればかりで、
「家族がいない。悲しむ人がいないから、いつ死んでもいい」
年齢設定はわからないが、おそらく16、7であろう少年が、天涯孤独であることを嘆くでもなく、自分の価値として語るのだ。苦しい、苦しすぎる。

国後は、パッと見ればすぐわかるほどポンコツだ。
行動の無駄がとにかく多いし、間が悪い。それがわたしに似ている。
彼の明るさは純粋な前向きさとは違う。後ろ向きのポジティブさ。投げやりな「大丈夫」だし、自分の幸せを勘定しない「大丈夫」だ。それもわたしに似ている。
それから、少々トンチンカンというか、許されるレベルでずれている。それもまた、わたしに似ている。

国後の行動の全てに自分を重ねる。そして苦しくなる。
国後が「こんなことをしたかったのか」考える。そしてわたしは苦しくなる。
国後が口にする。
何をしたいかはわからないけど、役に立ちたい。何かをしたい。
具体性がない。だからズレていく。
決め切れていないから、ずれていくのだ。
それを自身の生活に透かしてみてはまた涙がこぼれ落ちる。

この舞台をわたしは2度見た。
1度目はすごくフラットな気持ちで。それで勇気をいただいた。もうちょっと頑張ろうって。
あんまりに素敵な舞台だったから、リピートチケットを買って次の日にもう一度観た。
堕ちていった。深い底まで。そして這い上がれなくなった。

国後の仕草、行動。役者さんをよく知っているからこそ、より繊細に伝わる。この人が普段、こういう仕草の癖をする人じゃないことを知っている。
あぁ、だめだ、と思った。
わたしは絶望しても尚、頑張ろうとは思えないところまで来ていたと、知ってしまった。

とはいえ、この文章は浮上できたから書いている。
もっとずっと、この舞台に触れていたいと思った。
けれどもそのことについて、うまく書き記すことができない。自分の影が邪魔をして、何もかもを薄い暗闇の内側に追いやってしまう。

もっと素敵なことを語りたい。
折れそうになりながらも立ち向かう、仲間を信じ合う姿勢。
そういうことを語りたいのに。

結果としてわたしはこの物語に引っ張られたままバイトへ行って、一晩中泣いて慰められるという失態を犯している。

もう、わからないんです。やりたいこととか。
大丈夫、みんなわからないから。
…そっか、そうですよね。

そうやって泣きじゃくっては朝がやってくる。
タイミングを計っては、実行に移せずに、繰り返す朝焼けをただ綺麗だと思う。


ついでに、もう少し。最近観た舞台のこと。

演劇の毛利さんvol.1『天使は桜に舞い降りて』
極上文學『ジキルとハイド』
おぼんろ『パダラマ・ジュグラマ』
本能バースト演劇『sweet pool』


時節もあってか、善悪とか、人の在り方とか、心の奥底、じくじくした部分を逆撫でるような体験が増えたな、と思う。

演劇の毛利さんは「人は生きる価値があるか」という問いかけから始まる。
人の醜悪さも、美しさも、物語の中で語られる。結末を知ったあとでもう一度見たらまた印象が変わるんじゃないかな。
毛利さんの演劇は、やっぱり演劇って面白い!エンタメが大好き!と心から思わせてくれる。
それから。…リズさん、好きです。

極上文學さんは以前の作品をDVDでは観たことがある。文学好きとしても朗読好きとしても、一度生で観てみたかったし、個人的に惹かれるお芝居をされる方がでていたために観劇した。
狂ったような芝居は、観客の良心さえ飲み込んでいく。人間の表裏に、善悪に、本質を訴える。
極上文學さんは朗読だけれど朗読じゃなくて、でもストレートの舞台とも違くて。個人的には台本の渡し合いが心を渡す表現に見えるところが好きです。

おぼんろさんはずっと観たいと思っていた劇団で、やっと足を運ぶことができた。
「何もかもがうまくいかない世界」が舞台である。
もうそれだけで考えさせられる。
今回の演劇は以前にも上演された再演らしいけど、今だからこそ響くテーマでもあるし、他の演劇にはないような、なんだか不思議な体験をした。
上手い表現は見つからないけれど、ずっと星屑を透かしてみていたような、独特の浮遊感のある舞台だった。

sweet poolはシンプルに好きな役者さんが出ていたので。
原作はBLゲームとのことで、なんだかソワソワしながら。
愛おしくてたまらないと思った。何が、と言うとよくわからない。物悲しくて、深く傷ついているのに、愛おしい。胸の奥の感傷が、けれど嫌ではなくて、多分ずっと引きずるのだろうなという確信がある。
全てを任せて溺れてしまえるのがこの舞台の魅力じゃないかなと思う。


わたしにとって演劇は宝物である。
多くの作品に出逢いながら、この場所で生きたいと願って、どうかいっそ遠く、ここから一番離れた場所で見守りたいとも思う。

今は決めかねている。だからこんな中途半端な位置からエンタメを見下ろして、苛まれたりしながら、行ったり来たりをしてるのだろうな、と思う。
逃げ道をいつも見据えてる。でもどこかに、希望も見てる。
いつか心から、この手のひらの中にあるものを、愛せるようにと思う。
愛のために生きたいと思う。
愛だと思うのだ、イキル、というのは。

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