映画『SHE SAID』からジャニーズ問題を通して日本と世界の未来を考える
今年1月に公開された映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は、MeToo運動という社会現象が起きるきっかけとなった、ニューヨークタイムズ紙の調査報道に焦点を当てた作品だ。
その記事を担当したのは二人の女性記者であり、キャリー・マリガンとゾーイ・カザンが演じている。
監督はマリア・シュラーダーというドイツの女性作家。
MeToo運動についてはSNSをしている人であれば一度は目にしたことがあるハッシュタグだろう。
ニュースでもハーヴェイ・ワインスタインの所業については巷間を賑わせていたと記憶する。
MeTooというハッシュタグは、広い意味で”権力”を持つ者によるハラスメント行為をカミングアウトする用途で使用されていたが、主に女性が受けた性被害に関してであった。
家父長制の社会においては、性別が男であるというだけで優位に振舞える現実が多々ある。
男に生まれただけで、ある種の権力を既に保持していることからは、男自身も逃れることが出来ない。
性犯罪の被害は実名を出して告白することが、その後の人生を考慮すると難しいがゆえに、実態がベールに包まれてしまう。
そのため性犯罪を実証するのは困難で、示談という名の泣き寝入りをするしかない現状があった。
先のニューヨークタイムズの二人の女性記者は、家庭と子供を持ちながらこの巨大な敵と対峙することになる。
強大な権力者を告発することは己の身に危険が及ぶことも多々あり、妨害工作も当然のごとく行われる。
にもかかわらず、なぜ彼女らはそれを止めずに続けられたのか。
それは子供の存在が大きい。
自分の子供が将来そのような行為の対象になってしまったら、という思いが、社会正義と共に後押ししたことは間違いないだろう。
それは映画でも、特に前半の数十分を割いて描かれている。
ジャーナリズムにはこうした権力と対峙し、不正を暴いて市民に情報を提供することが求められる。
それは近代の誕生と共に芽生えた、『自由と人権』を守る上で重要な役割である、という認識があるからに他ならない。
絶対王政から市民革命という多くの血を流して勝ち取った権利は、再び特定の人間たちに奪われてはならないという歴史が欧米にはある。
社会契約というのは、為政者と市民が結ぶギブアンドテイクであり、それを守っているかどうかを判断するために知る権利がある。
それを担うのがジャーナリズムであるから、当然ながらメディアが権力と癒着することはそれを阻害することになるため、システム上規制されていることが欧米には多い。
ところが、そのような歴史を持たない日本には、大手メディアに欧米発のジャーナリズム精神が育つ素地はなかった。
情熱に持って入社した若手記者も、日本の空気を読む社会(掟)の前にひれ伏し、その多くが立派な権力の忠犬になっていく。
その一つの結末が、昨今のジャニー氏の性加害を巡るメディアの癒着問題であろう。
芸能界だけならまだしも大手メディアは政権とも癒着している。
これが続く限り、世界の報道自由度ランキングが上がることはないだろう。
こんな情報統制が行われている日本社会でまっとうな批判精神が育つことは無く、世界の変化に対応できずに孤立し、やがて堕ちていく。
そのツケは当然ながら国民が払わされる。
それでも権力に従順な犬となることが立身出世の条件となる日本では、その負のサイクルを止めることができず、金銭があろうとも幸せになれない生き地獄を味わうことになる。
誰も望んでいないのに、空気に抗えない。
そうして太平洋戦争も開戦し、本土決戦で焼け野原になるまで止められなかった。
それが日本であり、経済成長を終えた後では欧米の土俵で相撲が取れないことが現実問題として滲み出てきている。
経済成長後の欧米もまた、もがき苦しんでいるし、トランプ現象が物語るように”正義”や”真実”の欺瞞も露わになった。
隠されていた不都合な真実がネット社会によって表面化し、疑心暗鬼は特に若者を苦しめている。
社会の膿を出し切り、再出発ができればよいが、それにはやはり大量の血が流れることになるかもしれない。
いや、今の時代では戦争という代理的な血ではなく、直接的な生命の死によってそうなるだろう。
気象変動もあり、限られた資源の奪い合いが深刻度を増すだろうし、それによって貧しきものから死んでいく。
戦争はセンセーショナルで分かりやすいが、静かなる死は真実を見えづらくする。
こんな混沌とした世界だからこそ、希望を捨てないためにはジャーナリズムが大事だと思いたい。
先のジャーナリストのように、身近な他者を通していかに公的マインドが芽生え、実行に移すことが可能かが重要だろうと思う。
そのためには公的マインドの実行者が尊敬される社会でなければ、行動へ発展する動機づけを持ちにくい。
そこが宗教的マインドであってもいいのだが、それもまた薄れていかざるを得ないだろう。
社会に不安が蔓延し、貧しさが直撃すれば独裁者は生まれやすい。
それが核保有国でないことを願いたい。