見出し画像

希望的『第3新東京市』の実現には

この記事は「#暮らしたい未来のまち」という企画に準じて書いた文章です。

私はある楽器メーカーのWeb担当として、3年ほど前に中途入社しました。
音楽が好きで、自身も楽器を演奏したり曲を創ったりしています。

コロナ禍によって思うように行動がとれなくなり、また小さなライブハウスや飲食店でのライブなども軒並み中止になってしまい、一つの文化が消滅しそうな懸念がいまでも続いています。
このような『文化の破壊』が局所的に絶望的に起こってしまったのが、原発事故による強制避難であったと思います。たくさんの人々の思いが詰まった”まち”には、長きに渡って帰宅が許されなくなってしまったこの事故は、やはりとても悲しいことだと思います。

”まち”というのは今日明日で創れるものではないですし、計画が一度走り出したら中々止められないことでもあります。そして計画時と完成時では少なからず変わってしまう事象が多々あるかと思います。

『暮らしたい未来のまち』を想像することはとても楽しいことです。
しかし、先の感染症パンデミックや災害、さらに環境破壊問題という地球が抱える現実を考えると、『夢』だけを語っていても幸せにはなれないような気がします。
この『夢』が個人的な願いではなく、よりマクロな地球の未来へと思いを馳せることが出来れば、とてもやさしいまちが作れるように思います。それが本当の意味でダイバーシティを考えることなのかもしれません。

始めに述べたように、私は会社ではWeb担当ですので、IT関係についての知識は多少あると思います。しかし理系でもなくプログラマーでもなく、思考回路は人文系です。

近代の合理性は、確かに多くの人々を納得させられるような、数字という圧倒的な力が存在します。しかし、高度経済成長を達成して既に数十年が経過し、果たしてそれが人々の幸せに結びついているか、とても疑問ですし、哲学思想的には近代が最終的にニヒリズムへと収束することについて、20世紀初頭には提言されていましたし、どうやってそこから脱するかもたくさん議論されてきました。

それでも世界はこのシステムの中でしばらくは動いていくしかないでしょう。
理想と現実は中々マッチング出来ないのが世の常です。

そんな世ですがだまってニヒリズムの到来を待っていても仕方ありません。
私はテクノロジーの使い方次第では、いかようにも幸せを創造することが可能だと考えていますし、期待しています。

キーワードは『柔軟性』だと思います。
まち全体がひとつの生き物のように、状況に応じてインフラが変化するシステムにすることで、災害等にも素早く対応が可能になると思います。必然的に行政との関係性は重要となります。

イメージとして分かりやすいのは有名なアニメーション作品『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する第3新東京市です。
巨匠、手塚治虫氏が昭和の中ごろに描いた未来のいくつかは実現されました。
そういう意味で、『第3新東京市』は災害を想定したまちづくりの参考になると思います。
あくまで発想の転換という意味ですが。
断っておきますが、私は『新世紀エヴァンゲリオン』の熱狂的なファンではありません。

さて、この”まち自体”がシステムとして稼働する、という発想は人々の主体性を奪うことに繋がりますから、実現化には落合陽一氏が言うような、私たちの脳内『アップデート』が至る場面で必要になるでしょう。
人々の意識がこのシステムの価値と危険性を理解し、それでもそれがあることで大きな安心と希望を抱くことができれば、案外と物事はスムーズに行くのだと思います。

技術だけではサスティナブルなまちは作れないでしょう。
地球環境や疾病、災害という人間では中々抗し難いアクシデントに対し、まちの側から柔軟に人間にアクションを起こせる、というのが理想です。

しかし何をするにも”人手”は必要です。そしてそこに”知”と”経験”がなければ役に立たないことも多いでしょう。
人口減少の現実的な問題として、マンパワーは確実に不足します。
それを補えるのは、単純かもしれませんが優秀なロボットの誕生だと思います。
移民制度による解決案もありますが、流動的ですし、そもそも日本で差別なく根付かせるのにはかなりハードルが高いと考えます。
国民性を考えると、ロボットの方が長い目でみると定着すると考えます。

ここでいうロボットは『人間と同じように』、というよりも『人間では出来ないことを』、という発想の方がいいと思います。
そして先のマクロな視点でいうところの、システムの一員として稼働するロボットです。
必ずしも人型である必要はありませんし、変形できたらもっと用途が広がります。

まち全体のシステム化、つまり家で言えばシステムキッチンです。
機能性を重視したまちのシステム設計を各自治体が提案し、協賛企業がクラウドファンディングをしてもいいと思います。
見返りはまちが完成したあとに受けられる様々な”特権”であれば、期待も膨らみます。
そしてそれこそが本当の地方再生でもあり、首都圏一極集中からの真の解放になると考えます。
魅力的なまちを創造でき、提案できる都市(まち)に人は集まる。
それが”ストレスのない”希望です。
特産物や自然だけでは、人間はそのうち飽きてしまうでしょう。

真にサスティナブルなまち、それは多くのことに柔軟に素早く対応できることであり、日常に変化を内包することなのかと思います。
変わるべきでないのは理念であり、現実は少しずつ変わっていくのが社会というものです。
そんな思いを共有できること、それが理想の未来のまちの姿のように、私は思います。


#暮らしたい未来のまち