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地球に降り立った教師たちが説いたもの


『ブッダは

仏教徒ではなかった


キリストは

キリスト教徒ではなかった


ムハンマドは

イスラム教徒ではなかった


彼らは"愛"を説く"教師"だった

"愛"が彼らの宗教だったのだ』




インドネシアでは生まれた時に、

それぞれの宗教を

登録しなければなりません。




<無宗教>という選択が

有り得ない国です。



インドネシア共和国憲法で

認められている宗教は

イスラム教、プロテスタント、
カトリック、ヒンドゥー、仏教、儒教の6つです。


国家原則「パンチャシラ」では

唯一神への信仰が

定められているため、


「無宗教」であることは

認められていません。


そのため、

ほとんどすべての人が

なんらかの宗教を

信仰しています。


なので私の周りには

バリ・ヒンドゥー教、プロテスタント、カトリック、モスリム、仏教、
などなど


異なった信仰を

持つ人たちがいます。





輪廻転生を信じる人も、

そうでない人もいます。


モスリムのヒジャブを

頭に被ったまま踊る人もいます。


それぞれが干渉することなく、

お互いの宗教の祝日には

メッセージを送り合ったり、

宗教上の行事で

忙しくなるとわかっていると

仕事を頼むのを控えたりと、

お互いの信仰を

敬いあっています。




インドネシア人の友人たちとも

よくその話になるのですが、

そう言うことができるのはやはり

根底にこのような

実感があるからだと思うのです。





『LOVE was their religion...』
("愛"が彼らの宗教だった)




昔、地球上に

"教師"の役目を持った魂たちが降り立ち、

人々に教えを説き、後にこの世を去りました。




遺された人々により

彼らの教えは伝え広がり、


その過程で、権力者が

自分たちの権力を守るために


"教師"が元々説いた教えを

自分たちの都合のいいように

曲解して人々に信仰させたり、


教えの大事な部分を

抜け落ちたまま隠したり…


信仰が自分たちの支配のために

使われることもありました。

(現在でも続いています。)



でも、

彼ら"教師たち"が

本当に

この地球上に伝えたかったのは



"ひとつ"なるもの。



それは、

この地球上で


""と呼ばれているものです。





それぞれの教師から派生した

"愛"の教えは、


今は裾野を分かっていますが、


本当は


同じ山を違う場所、

違うコースから

目指すようなもの。


それぞれの場所から

同じ山の

異なる側面を

見ています。






でも、

それぞれが目指す

山の頂上は


いつも変わりません。




古(いにしえ)の時代に

この地球で

"教師たち"が説いたときから

ずっと同じです。




愛と平和の

山の頂上が見えますように…




日本の中にいると実感がないと思いますが、

日本ほどいろんな宗教の垣根がなく、

寛容である国は他にないと思います。

それは"宗教心"がない、と言うことではなく、

森羅万象に手を合わせるこころは

自然と併せ持ったまま、

他を受容できる大きさ、深さがあるのです。



クリスマス🎄


今日明日は、

世界中の

お腹を空かせた子どもたちが、

美味しいものをお腹いっぱい食べれる日であるよう、

祈ります🙏✨

クリスマスの精霊が、

世界中の孤独な人たちのこころに光を灯しますよう、

祈ります🙏✨

(ヨーロッパではこの時期、孤独から命を断ってしまう高齢者が多いそうです。
皆が賑わってお祝いムードの中、
いつもより余計に孤独を感じてしまう時期なのです)

クリスマスを祝うすべての人が健やかで、
しあわせを他の人と共有できて、

広げられますように🙏✨



クリスマスっ氣(け)はゼロの
バリ島の村より🙏🎅🎄🌟






〈お互いが初対面同士の1000人もの

キリスト教徒や宗教家、
イスラム教徒が

エルサレムのダビデの塔に集まり、

ボブ・マーリーの「ワン・ラブ」を

それぞれの言語、

ヘブライ語、英語、アラビア語で

共に歌ったイベント〉


『ワン・ラブ One Love』



私たちを分断させる

彼らの戯れ言なんて聞き流そう



2023年は、

同じ愛と平和の頂上に登る人たちが、

ひとつとなる年に🕊🙏✨











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