note短歌

【篠さんと鯵②】 あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている/柴田葵

篠さんからメールが来て、返信できずに三ヶ月が経った。

篠さんは高校のころの同級生で、私たちは同じ美術部だった。二年生のときの文化祭では「私たちは永遠に大きなものを作らねばならない」「これは大きさへの挑戦である」と言って、ふたりで大きな鯵をつくった。大きな鯵は大変場所を取るので、立てて展示することになり、美術室のベランダから空に向けて屹立する鯵が完成した。私の夢のなかでときどき泳いでくる鯵は、たぶんあのときのあれなんだと思う。

篠さんは篠原さんという苗字で、みんなに「しの」「しのちゃん」と呼ばれていた。私だけは「篠さん」と呼んでいた。漢字の「篠」に「さん」づけだ。彼女はそういう人だったのだ。

私たちは30歳になった。篠さんは、様々なことが重なって、極めてつらい状況に置かれていた。りえたろの結婚式で、篠さん本人から少しだけ聞いた。私たちは一緒に鯵をつくっていたはずなのに、なぜ篠さんはそんな状況に耐えなければならないのか。篠さんはつらい話をしながら微笑んでいた。結婚式だったから、私は泣くのを堪えた。帰宅してから、ひとりで号泣した。

まもなくして、夫と共にアメリカへ引っ越した私は、新天地で生きることに必死だった。篠さんには、二年後に本帰国するまで連絡ができなかった。

自分の生活に必死だったから篠さんに連絡をしなかった? 本当に?

篠さんとはもう鯵をつくれない。私たちはお互いに苗字が変わって、お互いにかける言葉すら失った。けれども私のなかに鯵も篠さんも生きてしまっている。私は海の向こうで、ずっと、鯵と篠さんのこと考えていた。

まずは夢で会う。そして必ず、メールを送る。そうすれば、私たちは会える。私も篠さんも生きているから。


◇短歌◇

あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている

/柴田葵「生活をする」

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