見出し画像

「変わる」ために必要なこと

今回は、森田真生さんの「数学する身体」を読みました。この本を読んで、自分自身の”学び”について見直す機会になったので、そのことをお話させていただきます。”学び”について考える前に、まずは人間が変わるために必要な方法をご紹介しておきます。なぜなら、人間が変わるために必要な要素の中心にあるものが”学び”であると考えたからです。

①時間配分を変える
②住む場所を変える
③付き合う人を変える

上記の三つの方法は、経営コンサルタントの大前研一さんが書籍「時間とムダの科学」においておっしゃっていたことです。これを踏まえた上で、下記の文章を読んでいただければと思います。

本書の前提になっている考え方として整理すべきは、心の存在は脳を覆いつくすものであるということです。本書の構成は、(数学的)思考の変遷を紹介し、続いてコンピュータの生みの親アランチューリングと天才数学者岡潔の生い立ちを整理した後に、我々の(数学的)思考を作るものは何かという流れで進んでいきました。この本の非常に魅力的な所は、数学する身体という題名からは想像もつかない、我々の”学び”の本質について言及されている点です。(数学的)思考の変遷は、時代や文化などその時の人々の考え方や感情によって変化を繰り返しています。現代で言うと、我々の生活にコンピュータが登場してから、我々の価値観や考え方、そして行動が変化していったようなものです。狩猟をして生活していたSociety1.0と呼ばれる時代には、一つ、二つとものを数える機会しかなかったために、離散的な数しかなかった。人は、3以上の数を認識するのが困難なため(これを心理学でスービタイゼーションという)、4以上の数字の表記を編み出すのに大変苦労した。社会がSociety2.0に突入すると、離散的な数ばかりではなく連続した数も扱う必要がでてきた。また、数同士の計算をも行う必要がでてきた。計算を支える道具も、粘土や石、木の棒などから筆算などのアルゴリズム(解き方)へと進化し、ものと数の1対1対応を考えることもなくなった。そして、ものを使った計算と数字を用いた記録を行う時代から、”数”の学習に向き合うインド式数学”と図形”の学習へと向かうギリシア数学の二種類に分かれた。一方は、商業が盛んであったことから実践的有効性を重視し、他方は公の承認に関心を寄せたために、理論的整合性を重視した。そして、イスラームの世界で二つの数学は融合していった。いかに数学という思考の発展に周囲の環境が影響を及ぼしたかは言うまでもない。

段落を変え、突然マグロの話をする。船舶や潜水艦に知恵を活かすために、マグロの動きを模倣したマグロロボットを作成しようとしたある研究チームがあった。このチームがマグロの動きを解析した際に驚いたのが、海水を高速に泳ぐための障害物ととらえるのではなく、高速に泳ぐためのリソースとして活用していたのである。大変示唆に富む話である。
この本を通じて私が感じたのは、周囲の環境というのは克服すべき生涯ではなく、問題解決のリソースそして学びのリソースになるということである。私は、環境は人間、時間、空間の三つの間によって構成されていると考えている。そこには人間の身体があって、空間そして時間で構成された場所があるという具合である。そしてこの本には、「脳の第一の働きは、生きるために有効な行為を生み出すために、環境と身体を仲介することである」との記載があった。また、「人間の認知は、身体と環境の間を行き交うプロセスである」との記載もあった。つまり結論は、自分を変えたければ認知(脳)の仕組みを変えてやらなければならないということである。数学的思考の発展の軌跡を辿ってみても生物の進化の軌跡を辿ってみても、行き着く先は大前研一さんの言う三つであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?