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「幸せに生きる」って何だろう。

突然ですが、みなさんは「幸せだなぁ」ってどんな時に感じますか?

今日、僕が感じた幸せは友達とバカな話で盛り上がっていた時でした。
幸せの感じ方って色々ありますよね。寝る時、美味しいものを食べる時、他にも恋人と過ごす時、一家団欒する時などなど、人それぞれ幸せの形は違うし、幸せを感じる瞬間は色々あると思います。

「幸せ」って何か?
僕が考える幸せは、「理想が現実になる瞬間」だと思います。寝る時を例にとると、あぁ、このあと気持ちのいい布団で眠れるーと思う。それは一種、理想を思い描いていると言ってもいいでしょう。そして、布団に入った瞬間に幸せがやってくる。つまり、思い描いていたことが現実になる瞬間にやってきます。しかし、それは継続的ではありません。ずっと布団に入っていても、ずっと幸せを感じるわけではないし、美味しい食べ物をずっと食べ続けても幸せは感じません。

つまり、幸せは瞬間的に起こるものと定義できます。そうして考えると「幸せに生きる」というのは、「理想を現実にする」瞬間が多いこととも言えます。

では、理想を現実にするというのは、日々の生活の中で簡単にできることなのでしょうか?
寝る、食べるなどは比較的簡単に幸せを享受できます。ただ、理想を高く持ちすぎてそれが現実にならない場合もある。その場合はどうしたらいいのか。

僕は3つの手段があると思う。

①理想を下げる。(妥協)
②現実を理想に近づける。(努力)
③理想を転換する。(折り合い)

①と③は同じように感じるかもしれないが、少し異なる。①は妥協であり、確かに理想は現実に近づくが、こうしておけば良かったという後悔が残る場合がある。後悔とは、理想が現実になったかのように錯覚するが、実はそうではなかった時に生じるものだと思う。比べて③は、そもそもの理想をずらす。自分が納得した形で理想を追い求めていくことになる。つまり、そこに、後悔が入り込む余地はない。

①②は、よく日常的に行なっていることだと思う。しかし、どちらも理想を現実に近づけるかと言うと、確実ではない。しかし、③の考え方の折り合いをつけることは、自分自身にも、他者との関係にも使える。しかも、それは妥協しているわけではないので、後悔はしない。

学校教育は、まさしく妥協と努力を求めている。大学進学も、志望校のレベルを落とすか、努力するかの2択で考えられることが多い。しかし、それでは後悔が残る場合も多い。
そうならないためにも、折り合いをつける必要がある。例えば、なりたい職業の資格を得るためならば、偏差値は気にしない。親からの期待に無理に応えようとせず、自分の意見を伝え、双方が納得する形をとるなどである、

学校教育が、子ども達に伝えるべきは、妥協や努力ではなく、どうすれば幸せに生きるれるかという折り合いの付け方だと思う。

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