運動は感覚の統合だと思う

天気と体調を見ながら、行けそうな時は走りに出かける。それが細々と続いています。

走ると言っても時間にすれば15分くらいだし、距離にしたら3kmに満たないことがほとんど。。

それで「走っている」と言えるのか?と問いかけられたら、なんとも返答しかねます。

けれど、本人は割と必死だし、納得しながら走っています。

最近は気温が下がってきたせいか(と言っても最高気温が30度くらいになる時もある)、少し長く走っていられるようになりました。

近所にあまり人が出歩いていない、かつ暑すぎない時間帯を狙って走ります。

その条件でいくと最高なのは、朝なのでしょうけど、朝から走る気分にはなかなかなれません。

なので実際は夕方に時間を見つけて走ります。

そうすると、私は知らなくても子供の同級生とかが下校していたりして、遭遇する可能性がゼロではありません。

学校が始まっていますから。「あいつの親父が走っていたぞ」と子供がからかわれないように、人目を避けて走ります笑。

昨日とかは、子供が帰ってきてから走りに出かけました。

コースをいつもと少し変えていたせいもあって、知っている人には出会いません。良いことです。

しかし、下校中の兄妹二人に遭遇しました。

「あ、ランニングマンだ」
「速くない?」
「ランニングマンがんばれ〜」

全く知らない、見たこともない、子供にそんな風に声かけられ、「ばいば〜い、気をつけろよ〜」と応えて、走り去りました。

私の外見は、態度のせいか目つきのせいか、「恐い」らしく、あまり親しく声をかけられません。特に「少し知っている間柄」の人からは。

けれど、「曇りなき眼」を持ったまだ小さい子供や、世の中のあれこれを経験された大先輩方からは気さくに話しかけられます。

最近になって「恐がられている」のではなくて「嫌がられている」のだと気づきました。

「空気読まない一言」、「歯に衣着せぬ一言」を言うからだろうと。

私なりに、気を遣って、言葉を厳選するのですけど、それはどうやら逆効果みたいです。。。

まあ、いいです。

昨日は18分走ることができたし、体にも大きなダメージがありません。

少しずつ走る体への適応を始めたのだと感じます。

世の中の分断が進んでいるような感覚がありますが、自分自身を保つために「体を動かす」のは重要なことだと思います。

運動は感覚の統合なので。

歩くのも、走るのも、いいですし。

ラジオ体操でもヨガでもいいでしょう。

あ、最近縄跳びを始めました。

感覚の統合を目指す運動は、筋肥大とか勝ち負けとか、そういうのとは方向性が違います。うまく説明できませんが。。

「黒か白かはっきりしろ」みたいな世の中で、自分自身が切り裂かれそうに感じたり、そういう世間で身をすり減らしながら生きている方は、ぜひ運動に目を向けてみてください。

運動は自分に出会えます。

走って息が苦しいのは、走って筋肉が疲れるのは、紛れもない自分です。

誰でもない自分です。

脳が想像であちこちの大きな世界に飛んでしまいますけど、息苦しさと筋肉痛は自分自身に戻してくれます。


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