目標も危機感もバラバラな時、人は何を選び、どこに向かうのか
新型コロナウイルス感染拡大防止のために行なっていた自粛生活。「以前のような生活へ元通りにはならない」と、様々な人がメディアで語っています。元には戻れないのだとしたら、どこに向かうのか?方向が定まらないと人は動けませんね。ぼんやりですけどその方向性について書きました。
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以前、目標を定めると日本人は強い、といった内容の記事を書きました。
戦後の復興の歴史を見ても、それはわかります。
大きな災害の後でもそうですよね。
危機感と喪失感を共有できるメンバーが多いほど、同じ方向に向かって邁進しやすい。
集団で動く時ってそういうことかな、と思います。
「私たちは一様に深く傷ついた」という喪失感の共有。
「私たちは一様にこのままではダメだと思う」という危機感の共有。
「私たちはみんな、この方向に向かうのだ」という目的地の共有。
それらが組み合わさって、戦後の復興が起きたのではないでしょうか?
そういう「意識の共有」が多くの人の間で起きれば起きるほど、強い力が生まれるらしいのは、歴史から学べます。
なので、リーダーはそういうメッセージを発信すると集団は動くのでしょう。
戦争ではないにしても、SARS-CoV-2の感染拡大防止の取り組みは、経済的なダメージを生みました。
経済だけでなく、身近な人間関係にも影響が出ている様子です。
今後、日本は戦後復興のように「みんなで」立ち直る方向へ向かえるでしょうか?
これが、なかなか難しいのではいかと予想しています。
現時点で喪失感の共有は難しいでしょう。。。
深く傷ついている人と、全く影響のない人と、違いが激しいです。
危機感の共有も同様です。
ウイルス(SARS-CoV-2)に関する解釈、経済状況、心理面、どれを見てもリスクを共有できている感じではなさそうです。
ギリギリの状況の人とと、なんともない人の違いが激しい。
そうなると、当然、目標地の共有も難しい。
どこに向かうのか足並みがそろわなければ、パワーは生まれにくいですよね。。。
そして、家庭の状況をイメージしていただくとわかりやすいと思うのですが、認識にズレがあると目標に向けた行動につながらないよりも厄介なことが生まれます。
特に危機感の認識にズレがあると、争いに発展しかねないのです。
目標が揃えば、危機感が共有できていれば、組織的な力が発揮できる私たちですが、そろわないと何にもなりません。。。
この先の社会は、これまでよりも一層「認識を共有できる人同士」が結びついて動いていく社会になることでしょう。
自分と近い傷を負っている。
自分と近い危機感を持っている。
自分と近い理想像を描いている。
そういう個人が、目標を共有して、その方向に進んでいく社会になる気がしています。
会社とか家族とかの括りを超えて。
それには、「自分という人間をさらけ出す」ことが重要な意味を持つでしょう。
どのように考え、
何に喜びを感じ、
何が嫌で、
どこに向かい、
どうしたいのか、
そして、その「理由」を語る重要性が増すように思います。
インターネットが、それをやりやすくしてくれました。
別に強固な共同体を組む必要はないでしょうけど、ご縁のある人との関係は大事にしよう、と決めています。
noteを見ていて、私が勝手にご縁を感じている人もいます。
経済復興とつながるかどうかはわかりませんが、そういうご縁のある人と自分らしく生きていけたらいいな、と思います。
たぶん、世界はそういう方向へ向かうのではないか、と想像しています。
ちなみに、私の理想郷についてこちらに書きました。
こんな感じで発信を続けていこうと思います。
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