何かを育てる時には短期で効果を望んではならない
「趣味はガーデニングです」と言えるほどではないが、庭に植物を植えて、その手入れを楽しんでいる。
広大な畑で野菜を作るほどの気概はない。
農家の方はすごいと思う。尊敬する。
祖父母が実家で畑をやっていて(趣味レベル)、両親も少しやっていたし、両親は草花の世話もしていた。
今の私はそこから影響を受けているに違いない。
私は植物との付き合いに関して「知識や学問」から入った。
少ない投資で最大の効果を狙うような、経済的な視点とは違った。
できるだけ自然に近い状況で触れていたかった。
野菜で言えば、同じ数の種なら「大きな実」「たくさんの実」(この場合の実は食べる部分と捉える)が取れた方がいい。
草花なら、大きく丈夫に育ち、綺麗な花をたくさん咲かせるほうがいい。
そういう考え方には、まったく賛成できなかった。
資本主義社会への反発があったのかどうかはわからない。
植物との付き合いは、農薬や肥料を使用しない付き合いを選んだ。
種を撒いたら、日が当たって、水があれば、勝手に育つだろう。植物はそのようにプログラミングされているだろう。
そんなふうに思っていた私は愚か者だった。
全く育たない。
草すら生えない。
私が家を建てた土地では、およそ植物が育つには十分な土ではなかったようだ。
土には栄養がなく、固くなっていたのだ。
土が固ければ根が張れない。
根が張れなければ栄養が吸収できない。
無肥料だ、無農薬だ、言う前に土の状況を改善させないと話にならないことに気づいた。
こういうところが人間社会と似ている。
環境が整っていないのに、ノウハウやメソッドや理念とかに走るから上手くいかない。
まあいい。
父から話を聞いたり、自分で調べたりして、やはり固い土が大問題だと認識した。
試しに少し掘り起こしてみると、深さ20cmくらいまでは粘土質だった。
その先は、普通の土だが粒が細い。
密度の高い状態になっていた。
団粒構造の土が良いらしい、と何かの資料で見た。
庭の土はその状態ではなかった。
ある時、「雑草が土を耕してくれる」という言葉が目に止まる。胸が高なった。まさに「自然の力」だ。
定期的に行っていた庭の草刈りをやめてみた。
背の高いイネ科の草が増えてきた。
同時に虫もたくさんになり、家族が嫌がるので、やむなく草を刈る。
草の力を借りられないので、仕方なく耕して、腐葉土や堆肥を混ぜてみた。
面白いことに生えてくる草の種類が変わった。
これは長期的に庭の土の改良を実験していこう、と思った。
しかし、冬期には薪の置き場を確保せねばならず、断念せざるを得なかった。
今は、プランターで土づくりと植物の世話を楽しんでいる。
無肥料、無農薬だ。
虫に喰われて全滅することもある。
自然の掟なのだと学ぶ。
最近、ネットで「雑草を堆肥にする」やり方を見つけた。
今はそれを仕込んでいるところだ。
プランターでも植物が循環できるように取り組んでいる。
かれこれ5〜6年くらいか?
「育てる」世界に、
・わかりやすさ
・経済的視点
・短期での効果
・見栄えという人間本位の思想
は持ち込まないほうがいいだろう
が、今の私の答えだ。
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