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生きることが愛おしくてならない

嘘みたいな話だから誰にも話したことはない。僕にとっては未来の話でもあるが、同時に過去の話でもある。こんなこと信じられないだろうけど、僕がこうして生きていてあれこれ文章を毎週綴って思いを巡らせているのも、あれが本当にあった出来事だったという証左だろうと思っている。

その年の夏、日本海に海水浴に行った。波にぷかぷか浮かんで、うまい魚を食べて地酒を飲んで日頃のいろいろを忘れて楽しみたい、多分そんな気分だったんだと思う。
少し沖合まで泳いで、波に身をまかせていたら、不意にふくらはぎと足の甲に強い痛みを感じた。痙攣と言うよりこむら返りという言葉がしっくりくる。僕は足を攣って沈みゆく身体を浮上させることがどうしてもできなくなった。もがいて手は何かを掴もうとするけど、空しく海水をかき分けるだけ。それでも脳は空気を欲しがるから口を開けたら一気に塩水が流れ込む。鼻から水が入るとつーんとすることがあるが、あれを数十倍いや数百倍強力にした痛みが頭蓋内を駆け巡った。身体は完全にパニックに陥りもはや出鱈目な動きしかできなかった。だけど意外なことに心の内ではこんな浅い海でも人は死ぬんだなあ、海面はあんなにすぐそこに見えているのに、などとなんだか落ち着いたことを思っていた。呼吸はできないと分かっているのに横隔膜は反射的に肺を膨らませようとする。また海水を吸い込んだ。残念だけどもう無理だ。

そのとき浅い海の底で神さまと出会った。鳥居の向こうから仰々しく現れたので多分神さまと称される存在なのだろう。僕はその神さまとある契約をしたのだった。
「お前は無念だろうがこれで死ぬ。しかし、いささか寿命よりも早すぎた。よってお前の本来の余命期間だけ、今一度命を授けよう。お前の好きな時に遡ってよいが、そこから生きられるのは寿命の期間だけだ。どれだけ余命があるのかは教えることはできない。数日かもしれないし、数年かもしれないし数十年かもしれない。そしてもう一度この海に来ることがあったら、それがお前の命の本来の尽きる時だから潔くあきらめるがよい」
ブラウン管のテレビの電源がぷつんと切れるようにして、目の前が暗くなった。

で、朝目覚めたのが去年の今頃のことだ。せっかく過去に戻ったというのに、残念なことに未来に起きることはひとつも記憶していない。プレミアリーグの優勝チームやコロナがこんなに流行することを記憶していれば、バックトゥザフューチャーのエピソードみたいに大金持ちになれたのに。
あの時より前の記憶は何もないから、いつがその時なのか分からないけど、僕はいつか来る夏に溺れて死ぬことを知っている。死んでみなければ生きることの価値が実感できないのは皮肉なことだ。死んでみて初めてこの世界の彩りや匂いに気づき、人の世が儚くて優しいことを知る。

だから僕はあれから目の前の人生を懸命に生きることにした。前向きな言葉を馬鹿にしないで正直に向き合おうと思った。いつかは別れなければならない家族との時間を、友人との時間を大切にしようと思った。自分の人生を、そしてどんな他人の生き方も肯定しようと思った。いずれは死ぬのだと実感できたら、こんなにも人に対して優しい気持ちになれることを知った。生に対して執着心ではなくて愛おしさが純粋に勝ることを知った。人生とは美しく、儚いけれど、だから抱きしめたくなる。
不条理なことばかりの一年だったが、好きなときに、と言われてこの時代に遡った未来の僕の言いたかったことがなんとなく分かった気がした。

いつの日か誰かに日本海への海水浴に誘われたら、喜んで出かけようと思っている。神さまに礼を言わなければならない。命に限りがあることを身をもって知り、自分の日々を大切に過ごすことができたことを。生きる意味をもう一度考える機会をくれたことを。あの赤い小さな鳥居をくぐって、神さまにようやく命を返す日がきたのだから。

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