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わからなくて何が悪い?

わからないって言うな!って叱られたことありませんか?
わたしは、小さなころからずっとあります。
わからないって、悪いことなのかな?なんでみんな叱るのかな?
という気持ちを抱きながらも、怒られるの嫌だからわからないって言えなくなった私がたどり着いたクエスチョニングという言葉についてのお話です。

発信が苦手だった

今はこんな風にガンガン自分のことを発信しているわたしですが、かつては自分の本当の気持ちを発信することがとても苦手でした。とはいえ、考えていることは頭の中に山ほどありました。考えすぎて頭痛がやまないくらい、何かを考えていたのです。

ただ、それを言語化することがとても苦手でした。一人で考えて考えてぐるぐるすることはできるのですが、それを言葉にして誰かに届けるということが苦手だったのです。

だから「あなたはどう思う?」と聞かれると、どう話したらいいかわからなくって、黙り込んだり、どもったりしていました。どもりながらも話した内容に共感してもらえることは少なかったです。そしてうまく話せたとしても、わたしの伝え方が下手なのか、考え方が突飛なのか、共感してもらえた思い出は少ないです。

それが嫌で自分の本当の意見は言えませんでした。この、本当のというのがわたしの中ではポイントです。

わからないわけではないけれど、わからないという選択

自分の気持ちを話せないわたしが取った手段は、「わからない」という選択でした。意見はあるけれど、言わない。自己防衛の方法のひとつだったのだと思います。

と同時に、考えに考えても答えが言語化できないときもあります。そんな時にもわたしは「わからない」を選択しました。

しかし、この「わからない」という言葉はNGワードだったらしく、結局「わからないというのは逃げだ。ちゃんと考えろ」と𠮟られるのです。

だから私が次にとった方法は「相手の欲しい言葉を渡す」でした。「多分こういうこと言ってほしいんだろうな」と思うことを察して話す。人の顔色を窺って生きてきたもので、そういうスキルは幼いころからあったんですね。そうすることで、叱られることは少なくなりました。

だた、そうすると、本当のわたしと建前のわたしの溝がどんどん広がっていくのです。思っていないことを口にすることは、私の中で気づかぬうちにストレスになっていました。

苦手を深堀するして見つけた、新しいわたし

そんな時に、SHElikesの無料体験レッスンに行きました。今はずぶずぶのシーメイトですが、当時は冷やかし程度の気持ちでした。なぜならわたしは、自分も女性に生まれたのに、女性だらけの場所が苦手でした。

あの日も楽しく参加している反面、とても息苦しくなっていました。居たいのに、帰りたい。すごく不思議な感覚でした。でもこれ、わたしの人生の中でよくある現象だったのです。

そんな時、ぱっとひらめきました。いつもはこの気持ち悪さから逃げていたけれど、一度この気持ち悪い感覚に向き合ってみよう…と。私は今、なにが気持ち悪いのか、なぜこの場所に居たいのに離れたいのか…女性という言葉が、なぜネガティブにとれるのか…

そこでわたしは、自分でもびっくりの答えを見つけました。

わたしは、女性ではないかもしれない

確かにわたしは女性として生まれたし、女性として育てられた。でも、幼いころはそれがなぜか気持ち悪くて、スカートを履きたくなかった。セーラームーンは好きだったけど、それと同じくらいにJリーグにあこがれた。
ひとりは寂しくていやだけど、誰かとずっと一緒に群れを成すのも無理。

女らしさを強制されているわけではないけど、ずっと女性になれていないような、そんなコンプレックスを抱いていました。胸がふくよかでお尻がプリッとしていて、柔らかくつやつやした肌でなければ女ではないとすら思っていたこともあります。

わたしの中でパンッと何かがはじけ、無料レッスン中にガーーーーッと思考を巡らせたのです(レッスンに集中しなよ)

わたしは、女性ではないかもしれない

と気づいた途端、そしてそれが腑に落ちた瞬間、そこにいることに何の違和感も感じなくなりました。わたしは体が女性ということを武器に生きていけばいいのだと気づいたから。

そしてSHElikesへの入会を決めたのです。入会してからは、さまざまな頑張る女性に出会ってとても刺激的な毎日です。マジでみんなかっこいいし、美しい。

わからないを選択するわたしは間違っていない

なぜ、わたしは、女性ではないかもしれないという発想がすんなり出たかというと、以前、大切な人からクエスチョニングという言葉を教えてもらったからです。

クエスチョニングとは、自身の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティです。ちなみにLGBTQのQは、クエスチョニングもしくはクィアを指します。

Job Rainbow Magazin

この言葉を聞いた時に、おぉ!こんな考え方もあるんだ!素敵!と思っていて。でもその時には腑に落ちる感覚は薄く、私もそうなのかなーっていう程度でした。

SHEの出来事で、この感覚がストンとわたしに落ちたというか、あ、わたしもそうだったんだやっぱり。という感覚になったのです。

そしてこのクエスチョニングは、「わからない」を全肯定しています。さまざまな経験をした後、「わからない」は罪と決めつけたわたし自身を解放してくれる言葉になりました。

わたしは女という体に生まれたことを受け入れながら、意図的にわからないを選択します。

意図的にわからないと言うこと、それをわたし自身に全肯定してもらえたわたしは、これを機に発信することに抵抗がなくなりました。わからなくってもいいし、誰かのために生きなくてもいい。そのくらいに私に巻き付いたしがらみをとってくれました。

誰かに言われた言葉、された経験は人を良くも悪くも変えていきます。でもそれで、本当の自分自身を消さなくってもいいと思う。

だからわたしは大声で言います。
「わからなくて何が悪い?」と。


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