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メンヘラと共依存とわたし

kureが思うことをただただ綴っていく企画です。
企画って言っても、もうほぼノリです。
kureの赤裸々な人生さらけ出しちゃってるのですけど、嫌いにならないでいただけるととてもうれしいです。
カバー画像は続・荒野の用心棒のイラスト。かわいい。

今回も恋の話。になるのかな。
そこから繋がっていった「依存」についての考察です。

前回、息せき切って「恋人ってなんスカ?」と問うた私ですが、過去に恋人がいた経験もあります。いかんせん、惚れやすいもので…あっちこっちに目が行ってたのですが、付き合うと意外と長かった。または数日でお別れしていました。そうなのです。極端なんです。←ココポイントです

私、メンヘラでした

今から出会う方々には驚かれますが、私は俗にいう「メンヘラ女子」でした。「ヤンデレ」といわれていたこともありますね。ほぼ、自覚ないです。
しかし、今思い返すと、あぁ…と思うことばかり。

そんな私のメンヘラっぷりを、一緒に振り返ってみましょう。

例えば、夜中に言い合いのけんかをして、怒って帰っていった恋人さん。まさか帰ると思っていなかった私は、靴も履かずに追いかけていく…
しかもこれ、大雨の日でしたね。ずぶ濡れになりながら追いかけていきました。しかし、彼は私の手を振り払って帰っていきました。私は雨の中置いてけぼりで大泣きでした。

え、待って、この話、客観的に書いてみたら、なんだかどっちもどっちだね。彼、振り払っちゃったもんね。

別の例です。今度は同棲中、とあることで言い争いになりました。私が怒って家を飛び出しました。勢いで飛び出したときは気分がいいものの、急に不安になって、追いかけてこないかなーってチラチラ後ろ振りむいて確認していました。数歩歩いては立ち止まり、振り向く。そしてまた数歩歩いては立ち止まり…来ていないのを確認する。
気づいた方もいるかと思いますが、そういうときは、たいてい追いかけてこないんですよね。
コンビニで時間をつぶし(この時もチラチラ外見てました。来ないかなーって)、トボトボ家に帰って扉を開けたとき、楽しそうにゲームしている彼の姿を見て、さらに怒りが増したのを覚えています。

一緒に振り返ってくださり、ありがとうございます。
あくまで過去の話です。今はこんなことしないです。

過去の私を分析して見えたこと

このふたつの例、共通しているのは喧嘩の内容を私が一切覚えていないということ。ただ覚えているのはシチュエーションとその時の悲しさと怒りと不安の感情のみ。

つまり、この時の私、今振り返るとただ感情のまま動いているのです。喧嘩の内容はどうでもいい。課題の解決とかじゃないのですね。不安とか悲しいとか、そういう負の思いで動いている。相手に何かを求めるというよりは、単純に、悲劇のヒロインになりたかったんだなーと、今の私は思います。

そんな感情、急に飛ばされても、相手は受け止められないですよね。
(いや、たまにはいる、そういう心持ちの人が)

受け入れてもらえる=私のこと好きっていう、私の中での謎のルールができていたことに気付いたのです。この考えって逆にすると、相手が好き=相手のどんなことも受け入れるってなっちゃう。

一見良いことのように見えるけど、一歩間違えたら共依存の世界に陥りそうな闇のトンネルの入り口が見えるなって私は思います。

特に以前の私は自己肯定感が低かったので、依存しがちだったなぁということもあります。見捨てられてしまうこと、嫌われてしまうことにとても過敏でした。だから、相手に背中を向けられると、慌てて追いかけてしまう。
自己肯定感アゲアゲな今は、そんなことないので、本当に考え方の癖なのだろうなーと思います。

マインドを変えて見えた世界

自己肯定力低い私が、どうやってアゲアゲに変わっていったのか…これ、実際いろんな人と話して相談を受けるのです。でも、具体例がほんとに見つけられない…ごめんなさい。思い出していきます。

ざっくりいうと、見捨てられるかもしれないポイントを探すなら、自分がわくわくすることを考える時間にシフトしてこう!ってことに気付いたのです。

そしてそのマインドに変えていこうって、心がけてきた成果かもしれないです。これマジで時間かかります!やろうと思ったらできる!の精神でがんばりました。

正直何度も心が折れました。でもそんなときに助けてくれた人が、私の周りにはいたので、それも大きかったです。感謝しかないです。

そして、この負の感情って、恋人とかが持っていると気づかないうちに自分も感化されて共依存になったりします。自分、そんなのタイプじゃないけど、なんか当てはまることあるなーってドキッとした方は、是非「共依存」でgoogle先生に問い合わせてみてください。私よりもっとちゃんとした説明が出てきます。

今回のお話は若気の至り、という一言でくくってしまえば終わりになることかもしれません。でも、私は私の過去を振り返って、今できる最大限を未来の私に投資したいと思うのです。

悲劇のヒロインはもう終わりです。荒れ地を肥やすような開拓者のひとりに私はなりたいのです。

って!ココポイント!って言ってた極端の話に触れそびれました。
それはまたいつか!
最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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