吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』2

一日客余を芸窓に訪ひ、一篇の文を出して是を示して曰、「此れ我が邦近世の人の著作にして堯舜湯武より孔子に至るまで群聖人を歴詆せる文なり。我れ聞く、聖人は道徳の宗万世の師にして其の聡明睿智類を出萃を抜き得て間然すべからざる者なりと。然して今口を極めて是れを醜罵するは、実に非議すべき所あるにや。子は聖人の道を以て教へとする者なり。庶幾は我が為に是れを明弁せんことを。」
余が曰く「我れ聖人に非ず。いかんぞ能く聖人を弁ぜんや。中庸に聖人の道を説き是れに継で曰く、『苟も固とに聡明聖知天の徳に達する非ずんば、其れ孰れか能く之れを知らん。』と。漢の鄭氏是れに註して曰く、『唯聖人能く聖人を知る。』と。実に聖人の聡明を具する者にあらざれば聖人の全体を知ること能はざることなり。其れ聖人は、其の智は能く天理を尽くし、其の道は能く天地の化育を賛け、其の徳は実に天と同じきものなり。故に詩書聖賢の書に聖人を説くこと皆天と同ふせり。」


(ある日、私の書斎に客が訪ねてきた。そこで冊子を私に見せて、「これは我が国の人の著作で、堯・舜・湯武より孔子に至るまでの聖人達を見下した文章です。私が聞くに、聖人は道徳の大本で、永遠な師匠とのことです。彼らは聡明さや知性においては他に抜きん出ているので、見下していい方々ではないと。そうであるなら、今日聖人たちを罵っていることは、本当に非難すべきことではないでしょうか。先生は聖人の道を教えておられます。どうか私にわかりやすく教えて下さい。」と言った。
私はこのように返答した。「私は聖人ではありません。なので聖人のことを少しの間違いもなくお話しすることはできません。
『中庸』には次のように聖人について説かれています。
〈聡明さと知性が天の徳にも達するほどの人物でないと、聖人のことなど分からない。〉
これに漢の鄭氏が次のように注をしました。
〈唯一、聖人のみが聖人の教を知る〉
まさしく、聖人の聡明さを持ち合わせていなければ、聖人のすべてをしることなどできない。聖人の知性は天の道理を完全に現し、道は天地が万物を生み育てることを助け、徳は天の徳と同じだ。だからこそ、四書五経といった聖賢の書物にでてくる聖人は皆天と同じ存在なのだ。」)

客人が太華のもとに持ってきた書物は、国学の本であろう。本居宣長を代表とする国学は、日本思想から儒教と仏教を排して純粋なる日本思想(神道)を求めた。この国学は明治維新の精神的支柱となったわけだ。

今回紹介した部分では、太華は聖人のことを余すことなく語ることができるのは聖人のみだとの考えを示している。
次回は、聖人ではない人間はどのようにして聖人に対応していくべきか、太華の考えを紹介する。

原本は「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」掲載のものを使用した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?