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半分の沖縄とともに

山本幸大(93年生まれ 兵庫県出身)

 「自分は何者なのか、どう沖縄と向き合うのか」

 自分の中にある”沖縄”に気が付いてから、ずっと胸の片隅にあるこの問いの答えを見つけたくて僕は沖縄を発信している。

 10代の終わり頃、実家の本棚にあった一冊の本を手に取った。大江健三郎の『沖縄ノート』。母が若い頃に買った本だという。関西で生まれ育った僕は、それまで沖縄に特別な思い入れを感じたことは無かったし、この本を手に取ったことにも深い意味はなかった。趣味は読書と言いながら、ノーベル文学賞作家の書いたものを一冊も読んでいなかったことがどこか気恥ずかしく、その時丁度手頃な場所にあったのがこの『沖縄ノート』だっただけだ。
 この本を初めて読んだ時は、まるで理解ができなかった。大江の独特の文体のことを言っているわけではない。愛媛県で生まれ育った彼が繰り返し語る、沖縄への”加害者意識”や”罪悪感”がわからなかったのだ。

「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」

 文中で何度も繰り返されるこの言葉。この「日本人であることへの恥じらい」に、自分を重ねて考えることができなかった。
 心の中がざらつくような後味だけが、強く残った。

 僕の母は1964年、復帰前の那覇に生まれた。小さい頃に見た沖縄の景色や、幼いながらに感じた復帰への高揚感とその日を迎えた後に残った違和感、関東に引っ越した時に経験した痛みの記憶。教え諭すとかではなく、思い出を振り返るように時々話すことがあった。
 日々の学校生活で手一杯の僕は、そんな話を右から左に聞き流していた。僕の目に映る世界はとても狭く、母の話は自分には縁遠い昔話に思えた。

 何年かの時が経った。卒業論文のテーマを考え始めた頃、再びこの本と出会った。大学の図書館で本棚を眺めていると、ふと見覚えのあるタイトルに目が留まったのだ。数年ぶりに見る『沖縄ノート』だった。
 大学で様々な出自の人たちと出会う中で、僕の知る世界も少しずつ広がってきていた。そして自身の背景をきちんと語れる人たちに出会う度に、自分のルーツを知りたいという想いも募っていった。
 沖縄に関する本を読み始め、一つ一つ知識を得ていくたびに、昔耳にした母の話が思い起こされることがあった。紙の上に並ぶ文字が無機質に史実を伝えてくるだけでも、僕にはそこに母の生きた島が見えた。ぼんやり耳に残っていた体験談が、歴史の一コマ一コマの間に一人の人間の息づかいを感じさせてくれた。沖縄が紡いできた歴史が今の自分のどこかに繋がっているという、嬉しいような、重い事実を知ってしまったような、上手く受け止めきれない気持ちを感じていた。
 そんな時に再び出会ったこの本。文中で大江が訴えかけてくる言葉は、以前とは違った風に聞こえてきた。大江の感覚に納得できたわけではない。でも、沖縄に誠実に向き合い紡いだ言葉だということが伝わってきた。
 初めて読んだ時に感じた違和感、それは思い返してみれば、「自分にはルーツがあるからそっち側(大江と同じ立ち位置)じゃない」という言い訳だったように思う。偶然生まれ持ったルーツだけを片手に携え、沖縄と日本の間にある歴史を知ることを面倒くさがっただけだった。
 ざらつくような後味の正体は、自分の中にある”ズルさ”だった。

 それに気付いてからというもの、自身が知ろうと努めることもなしに、一方的な親近感を抱き沖縄に近付いていくことをとても恥ずかしく感じるようになった。沖縄と向き合うためには、ウチナーンチュとかナイチャーとか、そういう立場の問題ではなくて、自分はこうやって向き合ってきたんだと胸を張れるよう動き出すことが必要だった。
 だから僕は少しずつだけれど、沖縄への想いを周りに伝えることにした。知れば知る程に、身の回りには沖縄に対する無神経な発言が溢れていることにも気が付けるようになった。時にはそれが身に覚えのある発言だったこともある。偶然自分の身の回りにあった気付きのきっかけを、今度は僕が誰かと共有したい。相手の発言を正すのではなく、違和感を覚えていることを伝えるだけでも小さな変化が起こせるような気がした。
 それに自分の興味関心は投げかけ続けたら、きっとどこかで誰かにぶつかる。その声に応えてくれる人たちと出会い、話すことで、自分自身にも何か見えてくるものがあるのではないか。
 そんな期待を込め行き着いた、今の自分にできる最初の一歩だった。

 自分の中にある、半分の沖縄。
 それと向き合うことは、自分の不明瞭な輪郭を手探りで見つけていく作業のようだ。わからないのだけれど、とても大切で、時間をかけてでもわかっていきたいもの。相手の目に映る沖縄を受け止め、自分の目に映るそれを発信する。その積み重ねの中で、自分なりの沖縄との相対し方を見つけていきたい。そんな気持ちをもって、今日も想いを言葉に託してみる。

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