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できる今日になりたければ、自分だけの「教師観」を身につけろ!!

 今回のテーマは「教師観」についてです。ここでの教師観とは、教師としての物の考え方や感じ方、判断の仕方などを指します。自分だけの教師観を身に着けることで、今後の成長の糧になると感じたのでその内容を書いていこうと思います。

自分の教師観が大切

 みなさんはどのような教師観をもっているでしょうか。どのような教師としての考え方をもっているでしょうか。そして、それは自分で考えた教師観なのでしょうか。若いうちはいろいろな先輩からたくさんのことを学び、いわば真似をして教師という仕事に取り組んでいくと思います。しかし、ある程度経験年年数が経つと自分自身で考えて行動していくようになります。その考えのもとは、本当に自分が考えた基準なのかということが今回考えていきたいテーマです。「何となく」「今まではそうだったから」など、慣習にとらわれすぎていませんか。もちろん、過去の経験を参考にすることは大切です。しかし、変化が大きいこの時代にどこまでもそれに固執するというのは大きな問題です。子どもに対する考え方・保護者に対する考え方・同僚の仕事仲間に対する考え方。その全てが教師観の対象です。その考えをアップデートしていかなくてはいけません。それも自分だけの教師観です

自分だけの教師観のつくり方

 では、どうすればそのような教師観をつくることができるのでしょうか。一言でいえば「いろいろな経験をする」ということです。経験が教師観をつくります。それも、色々な異なる経験を積み重ねることです。例えば「○○先生は高学年担当」「低学年担当」などの「暗黙知」が学校現場では存在していますよね。私はこの言葉に大きな違和感を感じます。教師ならば学校全般の仕事は得手不得手はあれど担当できるようになっていなくてはいけません。それが高学年担当というポジションになれば同じような発達段階の子どもたちと接するばかりです。もちろん子どもの実態は変われど、学習内容も同じようなものになります。もし、高学年担当から低学年担当に変われば「この段階でここまでできれば」「少し高望みしていた部分もあったか」と反省の材料になります。専科も特別支援の担当も同じです。全学年を担当することの大変さや専門性の高さはそのポジションにならなければわからないのです。
 また、教師観のちがう先生とお話をするのも効果的です。自分と全く違う考え方なのに学級経営がうまい先生のお話はとても魅力的です。「これでうまくいくのか」などの発見は自分の財産になります。どんどん新しいことを見つけていくべきです。これは本でもセミナーでも同じです。自分の考えに似た本ばかり選ぶのではなく、たまには大きく違った考え方に触れてみるのはどうでしょうか。


教師観が変わると

 教師観が変わった時、様々な状況に対応することができます。学年・学校が変わって、過去の教師観にもどすのもあり。これから新しい価値観にしていくのもありなのです。私は2校目の学校に赴任していますが、1校目の学校と教師観は大きく変わりました。また、息子ができたタイミングで仕事に対する考え方も大きく変わりました。これが自分の生活をより良くしてくれています。今までの教師観のままでいくと精神的に疲れてしまうこともあるかと思います。しかし、いろいろな教師観をもっている教師は「こんなこともあるか」と余裕があり強いです。教師観が変わることは常にアップデートしていくことです。また、過去の教師観にもどっても問題はありません。大切なのは対応できることなのですから。

終わりに

 自分の教師観はもてているでしょうか。私もそれほど立派な教師観をもっているわけではありませんし、いつもブレブレでどうしようもない時もあります。しかし、その葛藤が自分の教師観をつくっているのだと言い聞かせています。みなさんも自分だけの教師観をつくりましょう。


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