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67歳で、「男から女」へ。性別適合手術を受けて、心も身体も変身した勇気ある決意。

還暦を過ぎても、「心の性別と、戸籍上の性別が違う。この違和感を持ったまま、死んでいいのか?」と悩み抜いて、オチンチンを切って本当の「女性」になった方が話題になっている。

名前は「小百合さん」。齢67歳で、念願のロリータ服をまとって喜びをあらわす。

幼少期から抱えていた”違和感”の正体に気づいたのは、結婚、子育て、離婚を経て還暦を迎えた頃だった。今ほど「LGBTQ+」の理解が広まっていなかった時代に生まれ育った中高年の世代には、性別違和を誰にも打ち明けられずに生きてきた人は少なくない。かつては「生きていく希望が見いだせなかった」と語る彼女の、自身の本来の性を取り戻すまでの苦悩と軌跡を聞いた。

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幼少時代から漠然とした“心の違和感”を抱えていたという小百合さん。当時はセクシャルマイノリティLGBTQ+に関する認知が広がっておらず、ネット上のコミュニティも発達していなかった。小百合さんは違和感の正体が分からず、誰にも相談出来ないまま、50代後半まで男性として過ごしてきた。

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私の場合は、『妹の服を着てみたりしていた』とか『女の子ばかりと遊んでいた』というような性別を意識した違和感を抱いた事はなく、ただ漠然と『生きていくのがイヤ』『生きていても楽しくない』というような感じでした。今であればネットなどを通じて同じ悩みを持った人に相談していたかもしれないですが、当時は周りにそんなことを相談できる人はいませんでした

 人生にどこか引っかかりを感じながらも、男性として女性と結婚し、子育て、離婚を経験した小百合さん。離婚の原因は性別違和とは関係なく、違和感の正体に気づいたのは、その何十年も後。きっかけは、セクシャルマイノリティの当事者たちとの出会いだった

「LGBTQ+を対象としたダイニングバーに足を運ぶようになって当事者の方と知り合い、そこで実情や苦労話を聞くうちに、自分の性別違和に確信を持つようになりました。それからイベントなどにも参加するようになり、58歳の時に初めてプライドパレード『虹色どまんなかパレード』に参加した際には、”セクシュアルマイノリティと呼ばれる人たちがこんなにもいるんだ”と感動すると共に、とても居心地がよかったのを覚えています」

 『虹色どまんなかパレード』から4年、小百合さんは62歳で初めて<ジェンダークリニック>に足を運んだ。自身の確信通り、性同一性障害の診断を受け、67歳の時に性別適合手術を受けた。トランスジェンダー当事者の間でも手術の施行においては様々な選択肢がある中、小百合さんは身体的にも、戸籍上でも本来の”性”を取り戻すべく、必要な選択だったと振り返る。

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セクシャルマイノリティーの人たちの積極的な行動が「令和」の時代になって活発化している。

「LGBTQ+」の人々が胸を張って生きていける、そんな世の中にするには、同性婚を認めない「自民党」「公明党」「日本維新の会」の連中を、この夏の参議院議員選挙で「落選」させなければいけない。

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