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中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」を読了。

中島らも氏の「灘中学校」「灘高等学校」時代の、永遠かと思われた「アホな6年間の中二病」っていう、思い出エッセイである。灘校がある場所っていうのは、私が生まれ育った地域と重なっているので、地名や店名がやたらと懐かしい。

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「保久良山」・・・らも氏が本山小学校時代に、遠足でよく登った山であるが、わたしも毎年、梅の花を見物に行く。ここの梅の花は・・・岡本の梅林は見事である。

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「甲南朝日(映画館)」・・・私の家から歩いて行ける便利な映画館であった。当時、多くあった「二番館」。ロードショウから降りて来た洋画を二本立てで上映していた。私が印象的だったのは「未知との遭遇・特別篇」と「テス(ナスターシャ・キンスキー主演)」の二本立て。どちらも傑作映画である。「テス」の監督は確か、ロマン・ポランスキーではなかったか。美しい映画である。未見の肩はぜひ。

嗚呼、「ゴッドファーザー1&2」のリバイバルも甲南朝日で観たなぁ。

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他にも、この本には、馴染みの地名や店名が登場する。

その、ほとんどが、阪神淡路大震災で消え去ってしまったのは、残念でならない。

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ちなみに「甲南朝日」に「映画の映写のしかた」を習いに行ったことがある。高校時代、映画研究会に所属していた私に、後輩が「先輩!甲南朝日の支配人と友達になりました」「ほお、そりゃあええなあ」「で、お願いしてみたら、映写機の使い方教えたるでえ、と言われまして」「ほんまか!」「ほんまです。先輩もいかはります?」「行くがな、行くがな!」

というわけで、一週間ほど、放課後の数時間、甲南朝日と言う映画館の闇の中へと通った。

映写技師はタバコをくゆらせた老人であった。この道30年だとか言っていたが、ほんまかどうか。

映写機の操作を一通り教えてくれたあと「ところで、君ら、いくらかもってへんか」。金を貸してくれと言うのである。貧乏高校生なので、300円ぐらいしか持っていなかった。その金を貸してやると「まあ、そのうちかえしたげるから」と再び煙をくゆらせた。

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40年以上経つが、いまだにお金を返してもらっていない。まあ、甲南朝日自体が倒産して消えてしまったし、あの爺さんも生きてはいまい。

闇の中で消えたイリュージョンである。

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