見出し画像

心理学を少しかじったら幸せになった話。

私、自分のことが全くわからなくってね。

というか、

なんかみんなと違う気がする・・・

って感じることが多かったの。


それがコンプレックスだったかって思い返せば、

そうでもなかったけど、

でもやっぱり同じモノ見ても、違うモノを見てる感覚があって

私、子供なのかな?

私、何か足りてないんじゃないかな?

私、人として何か欠けてるのかな?

って、そう感じてたことだけは覚えてる。

今となっては上手く言えないけど、

周りのみんなは似たようなものを似たような感覚で欲しがってるのに

同じ場所で同じモノ見て同じように興奮してるのに

それが私にはわからないってことが多かった気がする。


なんか、自分ってもしかしたら特殊で、

独特で変わり者なのかも・・・

って

みんなとは違う星のもとに生まれたのかも。

って少し寂しく感じてた。


今、CMで流れてる、

“二人の違いが 差に見えて”

って歌詞が耳に入って来た時、

泣きそうになりました。


それはもちろん、人間関係を構築するにあたって支障にもなった。

その時はまだわからなかったけど、

やはり、共感ってすごく大切なんだな・・・

って今はわかる。


そんな私が心理学に初めて触れたのは、

この仕事に就いてからですね。

研修ですね。

CS満足、ES満足。

その時はただ聞いてただけです。

へぇ~。くらいに。w

だけど、仕事で人間関係に行き詰った時、助けてくれたのが

それまで受けた研修の資料だったのです。


そしてそれらを、

自分に置き換えて考えてみたら滅茶苦茶面白かったのです!


マズローの欲求5段階説

交流分析 自我状態、ストローク

この二つは特に自分を知ることに役立ちました。


他にも色々ありますが、

『今自分が求めているモノは何か』

『人間関係に対しての自分のスタンス』

がものすごく明確にわかったのです。


反対に言えば、

『今既に自分はどんな欲求を満たせているのか』

『自分のどんなスタンスが人間関係構築の支障となっているのか』

がわかったんですよね。


多分、パニック障害を患っていた頃の私は、

そんな自分を守る生き方を模索していて

常に“安心・安全”ばかり考えて

無意識に内向的になっていたんだと思います。


だから、“感じる”という当たり前のことも

出来ていなかった。

私の場合は常に、

ここは安心か、ここは安全か、危険はないか

何か起きた時に助けてくれる人がいるか

そんなことばかり考えていたのです。


安心・安全というものはほとんどの場合、

既にそこにあるからその欲求は満たされていて、

そこを満たせてる人は次に”社会的欲求”とか”承認欲求”とかを求めるんですよね。

社会的欲求とは、集団に属したり、仲間が欲しくなったりという欲求です。

これまた、ここが満たされないと孤独感や社会的不安を感じ易くなるという、人間の基本的な欲求です。

よって、私の場合、そもそも”安全の欲求”を満たせずにいたんですね。


これを知った時には既に今の会社に入社し、月日も流れ、

サブというポジションも貰っていたので、

知らぬ間にクリアしていました。

恐らく、この時は認められたい期で”承認欲求”が大渋滞ですよw

まぁ、もちろん、認められたい欲が強いわけですから、

人間関係も大炎上ですw

むしろ、

ここからがまた正念場でした。


そして、更に出逢うわけですよ。

”エゴグラム”とか言う心理テストみたいなやつ。

これは割愛しますが・・・

また数年後に出会うんです。

”交流分析”という心理療法に。


人の中には必ず自我状態というものがあるんですね。

P・・・parent(厳しい私)⇒CP(critical parent)・NP(nurturing parent)

A・・・adult(理性的な大人)

C・・・child(自由な子ども)⇒FC(free child)・AC(adapted child)

という“自我状態”というものが存在してるんです。


そして、その自我状態というものは、出来事や相手によって無意識に使い分けていて、

それがストロークの言語表現としてコミュニケ―ションに現れるんですよ。


人の中には必ずある。

と言いましたが、

自分の中にもあり、

もちろん、

相手の中にもある。


相手のP,A,Cのどれかの語り掛けに対して

自分がP,A,Cのどれでレスポンスをしてるかってことなんですが、

スムーズなコミュニケーションって言うのは

大体が同じ自我状態で生まれてるんだそうです。


友達と気が合って、

ノリにノッテル時って、

同じテンションでコミュニケーション取れてたりするんですよね。

A:なんか退屈じゃね?カラオケでも行きたくね?

B:いいね!!!てか、踊り行きたくね!?

A:おっ!やべー!久々に踊り行っちゃう!?

B:よっしゃ、行くべ~!!!

的なwww


これって、欲求に素直なchildの自我状態で互いがコミュニケーションを取れてるんですよね!

AもBも自我状態が共にCで、相補的交流が成立してるんです。

言わば、スムーズなコミュニケーション。


それに対して、

A:なんか退屈じゃね?カラオケでも行きたくね?

B:え?今から?明日早いんだからやめときなよ。

A:明日のことなんて関係なくね?

B:てか、明日も仕事なんだから寝なさいよ。

とかになると、もう、既に2ターン目で雲行き怪し過ぎますよねw

Aさんが多少イラつき始めますよねw

てか、ダイブ、無理矢理な会話を成立させましたけどもwww


まぁ、これが交叉的交流と言って、

AさんがCなのに対し、

BさんはP(だと思うw)でレスポンスしてるわけですわ。


んで、何が言いたいかって言うと、

私はその“交叉的交流”をしがちだったってことなんです。


じゃー、偽って同じ自我状態でレスポンスすべきだったか

ってなると、それはまた違うと個人的には解釈しています。

対友達であれば個人的には別に偽る必要性はないと思ってますので。

その時の気分、気力ってのもありますからね。

ただ、互いの自我状態が違うとこういったコミュニケーションが生まれるってことだけです。

まぁでも、もし、

このコミュニケ―ションの時、乗り気でなかったのなら、

ハッキリと、

今日はそんな気分じゃない~また今度にしよー!

って返せば

Bさんをイラつかせずにすんだかなとは思います。www


友達はある程度言い合いをしてもすぐ仲直り出来るけど、

例えばそれが、彼氏彼女、夫婦だったら

度重なる言い合いは減らしたいじゃないですか。

もし、それが職場での人間関係だったら尚更じゃないですか?


自分である程度コントロールできるものなんだ!

と知れば、

どうにかなることもけっこうあったりします。


コミュニケーションもその一つかなって。

だから、この交流分析の自我状態とストローク、交流パターンってのは

出会えてすごく良かった!と感じていますね。


自分は自分でいいんだ!

って

相手も相手でいいんだ!

って。


だけど、

みんな我慢をしたり、

本音を言えなくてついつい相手に合わせてしまったり

裏側に本音を隠したコミュニケーションをしてしまうから苦しいのかなって

それを無意識に繰り返してるから

自分を好きになるきっかけを掴めなかったり

むしろ、

自分を否定するきっかけを作ってしまったりしているのかもな~って感じています。

だからこそ、

私は偽らない。本音を隠さない。というコミュニケーションを選びました。


それは、

相手にもそうあって欲しいと願っているからです。

『どちらかが偽れば相手も偽る。』

だったら先手必勝で、

私は偽らない。というスタンスを取ろう。

と思うのです。

100%不快感ナシ!

ってのは難しいので、そこは目指していません。

でも、

あ、この人嘘ついてないかも。

って感じたら、素直になれたりするじゃないですか。

だから、

どんな人ともそうやって交流していきたいのです。


よって、私はパニック障害を患ったことも、

今でもたまに発作を起こしそうになることも、

恥ずかしげもなく惜しげもなく伝えます。

そうしてきたことで、会社の他店舗の店長さんにも

『スタッフさんで苦しんでる人がいるんだけど、どうしたらいい?』

って相談を受けたりもします。w


だから思うのですよ。

それを患ったことも私の財産で、

卑屈になって人災になることなく

それを経験した私は人財になるんだ!

ってね。


って、今日もまた長くなってしまいました。


※心理学用語も使いましたが、

これは心理学をお伝えしたい記事ではない旨、明記だけさせて頂きます。


では、おやすみなさい★


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?