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度肝を抜くような方法でギャンブルに勝ちたいという欲望に従うなら「地雷グリコ」だ(ネタバレあり)

繰り返すがネタバレありである。


何部が好きか?

1部は奇妙で、2部は熱い。3部は王道で5部は殺伐としている。6部で観念的になって7部は集大成。8部で原点に回帰している。何の話をしているかと言えば、ジョジョの話をしている。私が好きなのは4部である。杜王町(仙台がモデル)という一つの町で繰り広げられる冒険譚は他のシリーズ比較してスケールは大きくないが、作品全体が楽しさに寄せられており、読んでいて心地よい。

世の中に数多くの推理小説あれど、ここまでニヤケ面で読み進めた作品は私の記憶にはない。「地雷グリコ」はそうした作品だ。だからこそ私にとってはジョジョ4部なのである。面白い推理小説はこれまでも読んできたが、楽しい推理小説としては本作「地雷グリコ」がトップである。

高校生の射守矢真兎は勝負事が大の得意。彼女の前には知略に優れた好敵手たちが立ちふさがり、名目上の公平が掲げられた上でイカサマ混じりのゲームが行われる。地雷が設置された階段で繰り広げられる表題作「地雷グリコ」、小倉百人一首かるたを用いて行われる神経衰弱「坊主衰弱」、自分と相手で1つずつオリジナルの手を決めたうえで行われる5種の手の形で行われるじゃんけん「自由律じゃんけん」。

単純にして奇天烈なルールで行われる勝負の舞台で真兎は対戦相手の生存戦略と向き合い、打ち破っていく。合理性か、顧客選別による理想の店か、はたまた自由か。彼女にとってはゲームではなく、生の一環として勝負に臨んでいると作中では描写される。

タイトルだってそうだし、第1章を読んで確信したが、本作はエンターテインメント色が強く漫画チックである。っていうか「嘘喰い」でしょ、これ。なんで第一章から立会人いるんだよ。いなくても審判さえいれば成立するやろ、とは思いつつも、狂言回し担当はいないと読者としては置いて行かれるので、鉱田の存在はありがたい……どころか、いないとまともに読めたもんじゃない。

あくまで想像だが本作は漫画化も視野に入れて書いたのかと思った。それは視覚要素の強いトリックが多いためである。古典的なミステリーでは必ずしもトリックが映像映えするとは限らないので、単に視覚的に作劇したのか、映像化も念頭に置いたのか…。いずれにせよ文章でボードゲームをするのは大変である。盤面を見れば一目瞭然な情報ですら、地の文に全て記載する必要があるからだ。よくもまあここまで見事に描き切ったもんだ…と心の底から思う。

各章について一言

ギャンブルとしての出来が良いのは「地雷グリコ」(とフォールームポーカー)だと考えている。作中でも言われている通り、3の倍数の縛りを如何に外れるか、もしくは相手のその制約から逃れさせないようにするかがミソというのは単純にして面白い。

ストーリーとして面白いのは「自由律じゃんけん」だ。これは考えられる手が無数にあるのでミステリーとして評価するわけにはいかないが、予想を裏切る展開という意味で言えば本編は非常に評価が高いし、両者の戦略が明白に表れていた。ちなみに私は、独自手として「直前に自身が出した手と同じ(直前に出した手がない場合は空手)とみなす」という効果を考えていた。条件によって強さが変化する手は複雑すぎるためルールで禁止されており、なおかつ冷静になればこの独自手は訳が分からないだけで強くも弱くもないので、佐分利会長から軽蔑されるだろう。

フォールームポーカーは若干だがルールの許容範囲が気になった。ゲームの類ではルールの文言を明確に定義する必要がある。それはつまり、辞書に載っている意味とは違う単語には全て明確な条件をゲームマスター側が提示する必要があるということだ。作中でも触れられていたが、カードの消費をどう捉えるかは解釈に幅があるように思われる。焼却を消費の一環とするか否かは塗部に一任されていたわけであり、真兎にとっては危ない橋だったし、読者としては「選択されたカードがショーダウン時に開示されなかった場合は破棄されたとみなす」というルールを第1回戦後に追加する展開の方がルール明確化という観点からは良かったように思う。この部分は校正時に編集者がどういうコメントをしたかが気になる所だ。

あと、これは私のルールの読み違いかもしれないので間違っていたら指摘してほしいのだが、絵空は第4回戦で♠J, ♠Q, ♠Kを最終的に部屋から持ち出しており、その過程で♠3と♠4も触れて裏返しにしている。
これは神の視点で見れば、規定外のカード3枚(♠J, ♠Q, ♠K)+規定内のカード2枚(♠3, ♠4)に触れているだけなのでルール違反ではない。だが、絵空視点では「触れていいカードは交換するカードのみ」というルールに明確に違反しているのではないか?カードが落ちた場所がカメラの死角であるため、ジャッジである塗部からルール違反とは言われないだろうと高をくくって5枚のカードを触っていたのだろうか?作者のみぞ知る。どちらにせよ本作の面白さには影響しないのでどうでもいいことであるが、せっかくなので書いておいた。

少々厳しいことも言ったが、発火による行動阻害や扇風機による遠隔でのカード移動、カードの温存といった複数の戦略が一つの章に組み込まれているのは見事である。私は第3回戦まで読み進めた後に、再度章の頭まで戻って再読した。伏線を把握するため、そして1回戦から3回戦までで使用された全てのカードをノートにまとめるためである。その結果、「あれ~?♠Jって真兎が3回戦で持ってたはずだよな…」となり、トリックまでは分からなかったので素直に読み進め、真実を知って驚愕した。ライブ感を重視して読んでいる最中は考察しない私からしては珍しく、この超面白い話を100%楽しむためには再読の必要があると判断したのである。

大金と尊厳を賭けてまで真兎が大切にしたかったのは何かに関しては予想外で面喰った。私も鉱田と同じく、真兎は他者依存性の低い人間だと思っていたためである。爽やかな読後感が提供されて思わずため息をついてしまった。人外のような知能を持つ怪物が見せる人間らしさ、いいよね…。

騙すのは楽しい。騙し方に新規性があればなお楽しい

度肝を抜くような方法でギャンブルに勝ちたい。私からすればそれは本能に近い。この欲望は誰しもが持っていると私は思っている。ミステリーの醍醐味として、犯人側のトリックの独自性が評価されるのは同じ理由と私は捉えている。だからこそ、本作が本格ミステリ大賞と日本推理協会賞と山本周五郎賞を受賞したのは驚きではない。むしろ、「おいおい私の方が先に目をつけていたのに、後から『これおもしろいんすよwww』ってしゃしゃり出てくんな」という言わんばかりに古参ファン面したかったが、名誉ある賞を受賞できて作者である青崎有吾氏も喜びのコメントをしているのを受けて黙ることにする。

続編があれば読みたいのだが、これは一つのゲームを考えるだけでもえらい時間がかかるだろうと想像される。なにせ、ルールを複雑にすると読者に伝わらないし、簡単にしすぎると競技性に乏しいただのじゃんけんになってしまう。とはいえ、真兎も鉱田も絵空も使い捨てるには惜しいキャラをしている。願わくば彼女たちの物語をもっと読みたい。
重版・漫画化・アニメ化・シリーズ化 実現するかどうか賭けません?

余談

さて、本作はバズってしまったので多くの人間が読んだに違いない。だが、タイトルとあらすじだけ見て大笑いを決めた人間は世界に私唯一人であろう。その理由を推理できる人間はこの世に5人前後しかいないが、その5人のためにもここに備忘録として記しておくことにする。

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